第9話 愛だの恋だの

 アプラー湿原まであと1日という距離まで来たところで、ルカたちの魔物の群れに襲われていた。

 鼻先から生えた巨大な一本角が特徴的なボーンライノスは、その角に見合うだけの体格を併せ持った魔物だ。

 突進してきて巨大な角をぶつけるだけのシンプルな攻撃方法だが、これがものすごく厄介なのである。

 速度はそこまで速くない。

 しかし、たった3歩の助走で大人10人分はあるだろう大きな岩を粉砕する威力を発揮する。


『ボーンライノスを見つけたら、何もせずに逃げろ』


 冒険者たちの中では常識となっている言葉であるが、商人であるクラウスには覚えのないものだった。


「荷車に乗って!!早く!!」


「ヒィイイイイ!!」


 顔に似合わない悲鳴を上げて走るクラウスの襟首を掴んで、荷台に放り投げる。

 ゴンッと鈍い音がしたが、細かいことは気にしてはいられない。

 この場は逃げるのが最優先だ。

 文句は後から聞いてやると、ルカはひたすら荷車を引っ張って走り続けた。


 地響きのようだった足音が静かになる。

 ようやく追いかけてきていたボーンライノスがいなくなり、足を止めることができた。

 乱れた呼吸を何とか整えようとしているルカの横で、逃げてきた方角を気にしているロザリアがいる。

 決して軽くない装備を身に着けているのに、息が一つも乱れていない。

 おまけに警戒する余裕まであって、なんだか悔しくなって視線を逸らした。


「ルカ……ルカ!聞いているの!?」


「は、はい!」


 ロザリアの声が聞こえたと思ったら、顔が目の前にあってのけぞる。

 美しいと称されることが当たり前だと思える美貌が見つめていることに気付いて、全力で距離を取った。


「な、なんですか!?」


「話を聞いていなかったの?ボーンライノスの討伐経験はあるかと言ったのだけど」


「えっと……討伐の経験はないです。後始末は3回ほどですね。核の位置は知ってます」


 思い出しながら言えば、ロザリアは一つ頷いた。


「防御魔法の他に、結界魔法は使える?」


「防御魔法は自分にも他人にも使えます。結界魔法はボーンライノス並の一撃なら耐えられるかどうか……」


「上等よ。一撃分だけでいい。耐える結界魔法を作って」


 そこまでの会話で、ルカはロザリアが何をしようとしているのか理解できてしまった。


「待ってください!まさか、ボーンライノスの群れに突っ込むつもりですか!?命知らずもいいところですよ!」


 倒せではなく逃げろと、真っ先に言われる代表格の魔物が相手だ。

 正面から挑んで勝てるなんて思えなかった。


 そんなルカの悲鳴のような声をよそに、ロザリアは甲冑や腰に下げたレイピアの状態を確認している。

 どう考えても、突っ込む気満々であった。


■■■■■


「あー、えらい目に遭った……」


 そう言いながら起き上がってきたのは、ルカが荷台に放り投げてから放置されていたクラウスだ。

 額にはこぶができていて、整った顔が台無しになっている。


「クラウス……予定を少し変えるわ。ボーンライノスの群れに何かが起きている。寄り道するけど構わないわよね」


「俺が雇い主ではあるが、旅に関してはこっちがお荷物なんでね。マーシュベアの手のひらが採集できれば問題ないよ」


 肩の位置まで手を上げて、やれやれと首を振るクラウス。

 どうやら、ロザリアとクラウスの間では話がついたらしい。


「2人とも待ってください!クラウスさんも、なんで許可を出しているんですか!?あれだけ追いかけられたのに!」


「最初に言っただろう?俺にとっては、スリルこそ生き甲斐なんだ。街の中でぬくぬくと生活しているだけでは味わえない、この緊張感……堪らないね」


 恍惚とした表情で言うクラウスを見て、ルカは知らないうちに距離を取っていた。

 ここにも関わってはいけない人間がいた。

 類は友を呼ぶ、なんて言うがこんな近くに2人もいてたまるかと心の中で頭を抱える。


「諦めなさい。雇い主の許可が出たのよ。それに、ボーンライノスの様子が変だった。気が付いていた?」


「様子が変?……特に思い当たらないですけど」


「彼らの縄張りは、群れに遭遇した場所から推測してあの木が生えているあたりが境界線よ。通常なら、縄張りを越えてまで追いかけてこない。それなのに、私たちを執拗に追いかけた」


 ロザリアが指差した木に目線を移す。

 足を止めた場所からかなりの距離がある。

 ボーンライノスたちは、あの木を越えても追ってきていた。

 彼女の言うように、異変があると考えると妥当だろう。


 冒険者は、魔物を討伐するだけが仕事ではない。

 魔物の生態調査や保護活動、分布図の作成など剣を使わない仕事だってたくさんある。

 それは下級冒険者になった時、最初にやらされる仕事でもあるので、やるべきことだとはルカもわかっていた。


「あーもう!わかりましたよ!!結界魔法やればいいんでしょ!?とびきり頑丈なやつを作ってやりますとも!」


 半ば自棄になりながらロザリアに右手を向ける。

 手のひらに魔力を集中させて、彼女の体を包み込むように結界魔法を使った。


「僕の使える魔力をぎりぎりまで込めました。ニ撃まで耐えられると思うけど、それ以上は無理です。くれぐれも気をつけてください」


「ありがとう。ボーンライノスたちを倒したら合図を出す。聴こえたらクラウスも連れてきて」


「わかりました。いいですか、ニ撃分だけですからね」


「はいはい」


 緩く手を振って、ロザリアがボーンライノスたちの群れの方角へ歩いて行く。

 それを見送り、ルカは大きなため息を吐いて顔を上げた。


■■■■■


 上級冒険者であるロザリアに頼りにされて嬉しい反面、こんな無茶なことばかりしてきたのかと想像して怖くなった。

 背筋に冷や汗が流れて体を震わせたところで、ルカは向けられた視線に気が付いて振り返った。


「ロザリアとずいぶん親しげだったな。俺といる時よりも楽しそうだった」


 視線の主はクラウスだった。

 どういう訳か、ふて腐れていて頬に手を当ててじとりと睨んでくる。


「僕と親しげに見えた?気のせいですよ」


「いいや。彼女は気を許した相手でないと、まず魔法を使えなんて言わない。なんと言ったって『孤高の黒薔薇姫』だからな!」


 なぜかクラウスが得意げに言うのを横目に、ルカはこみ上げてきたため息を我慢しないで吐き出した。


「だからですよ。僕の主人はロザリア。契約があるから不用意に手を出さないし、安全装置付きとも言える。こんな都合のいい人材も、そうそういないですから」


「本当にそうかな」


「この前から何なんですか?まるで、ロザリアが僕のことが好きみたいなことばかり言ってきて。クラウスさんには関係ないはずだ」


 あの夜の小川で言われたことは、しこりのように心の中に残っていた。

 ただ都合がよかったから。

 自惚れるな。

 命の恩人だから。

 そんな言葉を繰り返し呟いて、どうにか頭から追い出そうとしてもしつこく戻ってくる。

 苛立ちを隠さないで言えば、クラウスは勝ち誇ったように鼻で笑って言った。


「関係あるさ。なんと言ったって、俺はロザリアに告白したことがあるからな!」


 しっかり20秒は待ってから、ルカは恐る恐る尋ねた。


「……それがどうかしましたか?」


「わからないのか!?俺はロザリアに振られている!それでも友人の立ち位置にいられるんだ。十分、特別だろう?」


 ふふん、と得意げに笑うクラウスに、ルカは呆れた目を向けた。


「そうですね。クラウスさんはロザリアにとって特別でしょうね」


 反論するのも面倒くさく思えて、おざなりに返事をする。

 誰かにとっての特別な人だろうと、そうじゃなかろうと、自分には関係ないと思っていた。


「なんだ、悔しくないのか?俺にはルカの言葉と表情が合っていないように見えるがな」


「はあ?」


 自分で思うよりも険のある声が出て、内心驚く。

 すぐに口をつぐんで、そっぽを向いた。


 その時、ボーンライノスの群れがあった方角からパンッパンッと弾ける音が聴こえる。

 冒険者が合図としてよく使う音魔法だ。


「ロザリアからの合図です。ほら、行きますよ」


 荷台に乗ったままのクラウスの方を見ないで、ルカは荷車を引き始める。


「君が何に悩んでいても勝手だとは思うが、これだけは言わせてほしい。ロザリアを悲しませるな」


「あの人が僕のことで悲しんだりするはずないですよ」


 主人として守ること以上の役割は求められていない。

 それに、ルカにとっての一番は仲間を殺した魔物に復讐することだ。

 愛だの恋だのなんてことは、今はどうでもよかった。

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