第8話 商人クラウス

 アプラー湿原に生息するマーシュベアの手のひらの採集。

 それが今回、ロザリアが選んだ依頼だった。

 依頼主は、彼女の知り合いらしいクラウスと名乗った商人。

 彼女の後ろに隠れるようにしていたルカを見て、『面白そうな子を連れてきた』と言っていた。

 会話の端々から彼女との付き合いの長さや、仲の良さがわかって何故だか胸の中にもやもやが溜まっていく。


(状況についていけないから苛立っているのか?)


 誰だって知らない話を目の前でされたら戸惑うし、わからないことを怒りたくなるだろう。

 そんな気持ちだと結論付けて、ルカはロザリアから準備するように頼まれていた荷物を詰め込んだ荷車を引きながら2人についていった。


 雑用をこなすのは慣れているし、野営だって何度も経験してきた。

 ギルドが拠点を構える都市シーブルを出発し、すでに3日が経っていた。


「さすがにアプラー湿原は遠いな。まだ工程の半分も言っていないんじゃないですか?」


「冒険者ではないクラウスがいるのよ。慎重な工程を組んでおくに越したことはないわ」


 夕食の用意をしながら言えば、鳥型の魔物を狩ってきたロザリアが隣に立って下処理を始める。

 羽がむしり取られた肉の塊を手にして、内臓を取り出すとそばに置いていた水桶で洗っている。

 魔物は核を利用するだけでなく、適切な処理をすれば食材にすることもできた。

 鳥型、イノシシ型、シカ型、ウシ型なんかは処理の方法が確立されていて、街で飼育している家畜同様の味を再現することが可能だ。

 冒険者たちにとっては貴重な食材であり、また核を回収すれば儲けにもなる。

 無駄な部分が一つもない。

 魔物は冒険者にとっても街の人にとっても脅威だが、それだけの関係ではなかった。


「お待たせしました!鳥型の魔物の照り焼きです」


 食べられる部位を最大限に利用して、持ってきた香辛料や調味料を使って味付けした。

 普通の旅ならここまでのものは用意できないのだが、ロザリアは食事だけは普段と変わらないものがいいと言って用意させた。

 味のほとんどしない携帯食や、はっきり言ってまずい保存食のスープの味を知る身としては、食事を豪華にしたい気持ちが痛いほどわかる。

 だけど、それを実行するにはお金がかかるし、その荷物を運ぶための人件費だってバカにならない。

 つまりは、お金に余裕がなければできないことだった。


 簡易テーブルを置いてそこに魔物の照り焼きを載せた皿を並べていくと、席についていたロザリアとクラウスが心なしか嬉しそうな雰囲気になった。


「おかわりもありますから、たくさん食べてください。パンとスープもありますよ」


「とても旨そうだ。ルカは料理もできるんだな」


 クラウスがフォークを手にして聞いてくる。

 スープを器によそいながら、ルカは少し得意げに胸を張った。


「下級冒険者になって長いですから。一通りの家事はこなせます」


「長いってどのくらいだ?」


「12歳からだから、もう6年になりますね。まあ、ずっと中級にもなれていないってことでもあるんですが……」


 ついつい自虐的な部分が顔を出してしまう。

 大体の冒険者は5年もすれば、中級になれると言われている。

 ルカはそこを1年も過ぎている。

 才能がないのは自分でもわかっているが、冒険者をやめるつもりはなかった。


■■■■■


 3羽分の魔物で作った照り焼きはすぐになくなって、ルカが近くの小川で調理器具を洗っている最中だった。

 草木を踏みしめる音が聴こえて警戒していると、明かりを持ったクラウスがやってきた。


「やあ、少し話せないかな」


「別に構いませんが……どんなご用ですか」


 ロザリアは拠点している岩場周辺の見回りをしている。

 ここにはルカとクラウスの2人だけ。

 わざわざ1人になるタイミングを狙ってきたのかと、身構えたところで彼は口を開いた。


 商人であるクラウスに食事のことで褒められはしたが、ロザリアのいないところで話しかけられるほど親しくなったわけではない。

 ルカに向けられる視線に敵意はないが、何かを探るように見られていることには気付いていた。


「その、聞きたいことがあってな……ルカのその右手の痣は契約魔法の証だろう?誰と契約したんだ?」


「噂くらい聞いたことがあるのではありませんか?黒薔薇はロザリアの異名ですよ」


 川の水に浸したままだった右手を持ち上げて、なんとなく痣を撫でる。

 ただの痣なのに、撫でたところが熱くなったように感じた。


「もちろん、噂は知っている。進化したスライムに襲撃されて、生き残るために君がロザリアと契約したって。でも、『魂の契り』を使ってまでやることだったのかと思ってね」


 残っていた鍋やフライパンを洗い終えて、水気を払って布巾で拭う。

 クラウスに言われたことが頭に染み込むのを待ってから、ルカはようやく顔を上げた。


「あの時の僕には、対価に差し出せるものがこの体と魂くらいしかなかった。それに、僕が下級であっちが上級です。金貨が手元にあったとしても、大した効果がないのはクラウスさんもわかるはずですよ」


「ルカはそれでよかったのか?この契約は君からは解除できないはずだ。ロザリアがどんなことを命令しても、聞き入れる覚悟があると?」


「そうでなければ、ロザリアの血を飲んだりしません。僕はあの場にいたのがロザリアでなくても、きっとこの体を差し出していた。それくらい、僕は死ぬことが怖かった」


 淡々と話せば、クラウスは息を呑んで黙った。

 死んで復讐できなくなることがなによりも恐ろしかった。

 3年前に起こった事件は、すでに多くの人が忘れかけている。

 下級冒険者が死んだところで、残念ながらこの世にはそれほど影響がない。

 仲間のみんなのことを覚えているのは自分だけだ。

 願いも、苦しみも、後悔も、片時だって忘れたことはない。

 それがルカを冒険者に繋ぎ止めている楔だった。


「痣のことを聞くためだけにこんなところに来たのなら、クラウスさんは物好きですね」


 言外に「これ以上話すことはない」と言ってやれば、頬を掻いて苦笑いを浮かべていた。


「君の古傷を抉るつもりはなかった。もうこの話はしない。できたら、もう一つだけ質問に答えてくれるか?」


「一つだけなら」


 鍋やフライパンを重ねて持つと、拠点の岩場に向かって歩き出す。

 ルカの隣に並んだクラウスは、やけに真剣な表情で切り出した。


「君は命令とは言え、ロザリアの婚約者になったわけだが……彼女のことをどう思っているんだ?好きなのか?嫌いなのか?」


「……僕がロザリアに好意を持っているか、ということですか」


「ああ。どうなんだ!?」


 ずいっと顔を近付けてきたクラウスに押され気味になりながら、ルカは重ねた鍋を持ち直して言った。


「どうって言われても……好きか嫌いかなんてわかりません」


「わからない……?」


「そもそも、ロザリアは僕が言い寄ってくる男たちをどうにかしてくれと言ったから、命令を使って婚約者になれなんて言ったんですよ。そこに好意があったからだと自惚れられるほど、僕は強くない」


 もし、ルカがロザリアと同じ上級冒険者だったら。

 婚約者になれと言われていたら、素直に喜ぶことができたのだろうかと考えてしまった。


「僕にとって、あれは命令でしかない。好きとか、嫌いとか、そういう話じゃないんですよ」


「ほんの少しでも、ロザリアが君を好きだと考えたことは?」


「あり得ないですよ。僕みたいな石ころが、あの人の視界に入っているわけないですから」


 自分自身に期待できるのは、未来は無限だと思えるからだ。

 そこに希望を見出せなくなったルカには、他人からの好意は必要のないものだった。

 転がって削れるだけの石ころが、宝石に成りたいと願ったって不可能なんだと知っていた。


■■■■■


 それっきり会話のなくなったルカとクラウスは、拠点の岩場に戻ってすぐに寝支度を始めた。

 アプラー湿原までは、どんなに急いでもあと2日はかかる。

 休める時に休んでおくことも、旅をする上では大切なことだ。

 ルカは荷台に毛皮の絨毯を敷いて、ごろりと横になった。

 ロザリアが先に火の番をすると言っていたので、交代する時間まで眠れる。


(ロザリアが僕を好きなんてこと、あり得ないのに)


 クラウスに言われたことは突拍子もないものだ。

 誰からも好かれて、強くて、美しい彼女が想いを寄せる相手は間違っても自分じゃない。


(たまたま、近くにいたのが僕だっただけだ)


 それがきっと、一番答えに近いと思っていた。

 都合がよかったから。

 それ以上でも以下でもない方が、ルカにとっても、ロザリアにとっても面倒を避けられる。

 それでいいはずなのに、気分が落ち込んでいる自分がよくわからなかった。

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