第6話 知らない気持ち
事の発端は、ロザリアが異性からの好意に鈍いことと、ルカというお邪魔虫がそばにいることからだ。
今までの彼女は『孤高の黒薔薇姫』の呼び名通り、誰もそばに近寄らなかったし、近寄らせなかった。
それがルカという存在がいるようになって、それまで諦めていた連中が自分にもチャンスがあるかもしれないと勘違いした結果がこれだ。
ロザリアが言い寄ってきたやつらを半殺しにしていることをすっかり忘れ、自分なら認めてもらえると夢想する輩が後を絶たない。
さっきの男には「文句があるなら僕に言え」と啖呵を切ったが、街中で向けられた視線全てを相手にできるかと言われたら、不可能だとも思っていた。
そんなことをつらつらと語り、最後にはルカは辟易した目を主人であるロザリアに向けた。
「僕の主人はあなただ。だけど、誰を好きになろうと構わないし、口を挟む権利もない。ただ今の状況は、無関係の人たちにも迷惑をかけかねない。何か対策を取ってください」
ギルド内でのロザリアの行動は、一種の名物として扱われていた。
賭け事をするやつもいたし、野次馬だって大勢いる。
しかし、それはあくまで冒険者の中での話だ。
いつ言い寄ってくるやつらが暴走して、関係のない一般人を巻き込まないとも限らない。
そうなれば、ロザリアだって責任が問われるだろう。
契約を交わしている主人を心配する気持ちからそんなことを言ったのだが、ロザリアは別の解釈をしていたらしい。
ルカの話を聞いて、拳を打つと名案だとばかりに顔を輝かせた。
「いいことを思いついたわ。ルカが私の婚約者になればいいのよ」
「……………はぁ?」
言葉の意味を理解するまで10秒はかかったと思う。
『婚約者』
それって、つまりは結婚する相手という意味になる。
冗談でだって口にしていいものじゃない。
ましてや、自分なんかに向けられる言葉としてこんなにも不釣り合いなものはないだろう。
ロザリアは上級冒険者で、誰もが羨む美貌を持った雲の上の人間。
対して、ルカは下級冒険者であることもだが、これといった特技もない道端の石ころだ。
釣り合うどころか、天秤に乗ることすら烏滸がましい。
ぶんぶんと首を横に振ると、ロザリアはニコッと効果音が付きそうな笑みを浮かべていた。
なぜか、嫌な予感がした。
「命令よ、ルカ。あなたは私の婚約者になりなさい」
ロザリアの言葉を聞いた瞬間、右手の甲が燃えるように熱くなる。
顔をしかめて手の甲に目を向けると、黒かった痣が赤色へと変わっていた。
契約魔法が使われた証。
絶対服従の命令に、ルカが反応するよりも前に体が勝手に跪いていた。
「承りました」
承諾しようだなんて考えていないのに、言葉がするすると出てくる。
心の中の混乱は凄まじく、契約魔法の効力を初めて恐ろしいと思った。
■■■■■
赤く染まっていた痣が、元の黒色に戻る頃にはルカの心の中の混乱も少しは落ち着いていた。
嘘だ。
全く落ち着かないし、なんてことをしてくれたんだという気持ちしかない。
ちらりとロザリアに視線を向けると、いいことをしたとでも言いたげな雰囲気でにこやかに微笑んでいる。
今すぐ詰め寄って命令を解除しろ、と言えるだけの度胸があればよかった。
いや、度胸があっても命令を解除できたとは限らない。
『魂の契り』はとても効力が強い契約魔法だ。
一度口にした命令は滅多なことでは覆せず、だからこそ慎重に扱わなければならないと本に書かれていた。
(初めての命令の使いどころがこんなのでいいのか!?)
もっと、こう、命がけのことを命令されると思っていたのに。
婚約者になれというものが、契約魔法を使ってまで命令されるものとは思えない。
そこで、ルカは気が付いた。
今までは勝手に絡んでくる連中を独断で排除していた。
それが、これからは合法的に行えるということではないか?
(考えようによっては、面倒事が減るかもしれない)
ロザリアがルカのことを本気で婚約者にしようとしているとは考えにくい。
ルカが対策を考えてくれと言ったから、思いついた案を実行しただけ。
そう思うと、巡り巡って自分のせいだった。
(なにやってんだ!!馬鹿野郎!)
頭を抱えて悶えていると、ルカの奇行を目にして遠巻きに見つめていたロザリアが言った。
「何をしているのか知らないけど行くわよ。次の依頼が立て込んでいるの」
「行くってどこへ……?」
くいっと顎をしゃくったロザリアに歩み寄ると、その手に大量の依頼書があった。
「もしかして……これ全部に出向くつもりですか」
10件、20件なんて少ない数ではない。
軽く50件はあるように思えた。
「愚問ね。上級冒険者にはその地位に責任が伴うのよ。これも私たちのやるべき仕事なの」
「責任……」
そんなことを言われて、どんなに簡単な討伐任務の現場でも、必ず上級冒険者が1人はいたことを思い出した。
下級冒険者の視点しか知らないから偉そうなことは語れないが、強くなっても責任からは逃れられないのは可哀想だと思った。
むしろ強いからこそ、ルカのような石ころに変な願いを頼まれてしまうのだと思ったら、なんだか申し訳なくなった。
「なんというか……すみません」
「誰に謝っているのよ」
眉をひそめたロザリアに言われて、ルカ自身も首を傾げる。
「よくわからないです」
「ルカって、時々とんでもない思考になっていることがあるみたいね。まあ、個性的でいいんじゃない」
笑われるでもなく、不審に思われるでもなく、真顔で言われてルカは目を丸くした。
蔑まれることには慣れていた。
理不尽な恨みをぶつけられることだって、両手では足りないほど経験してきた。
逆に、褒められたことがあったかと思い返してみれば、すぐに出てこないあたりで察せられる。
「個性的……?この僕が?」
「十分個性的よ。変人とも言えるかもしれないわね」
「変人……」
ロザリアに言われたことが馴染んでくると、決して褒められている言葉ではないのに心が軽くなった気がした。
仲間殺しでもなく、下級冒険者の1人でもない。
ただのルカとして見られているのだと思ったら、急に顔が熱く思えた。
自分自身の気持ちの名前がわからなくて、でも恥ずかしいと思うのだけは理解できる。
赤くなっているでろう顔を背けていれば、依頼書をめくりながらロザリアは言った。
「今から向かえば間に合いそうな現場がいくつかあるわ。魔物の討伐は待ってくれない。急ぐわよ!」
「は、はい!」
挙動がおかしいことはわかっていたが、そこに突っ込まれなかったことに安堵して彼女の後をついていく。
感じたことのない胸のぬくもりが何なのか答えが出ないまま、ルカは走り出したロザリアの後を必死になって追いかけたのだった。
■■■■■
ギルドのある街からほど近い森で行われていた、大型の魔物の討伐任務。
ロザリアと駆けつけた時には、親玉である大型の魔物だけが残っている状態だった。
「状況は?」
「親玉らしき魔物を後回しにして、周りにいた小型の魔物から倒していました。小型と親玉は繋がっていたようで、順当に弱体化しています」
剣を構えていた冒険者に手早く尋ねたロザリアは、細身の剣ーーレイピアを抜いて前へ出た。
「上級冒険者のロザリアよ!負傷者の保護と、小型の魔物の排除を徹底すること!中級以上の冒険者は私と共に大型を叩く!ついてきなさい!!」
その一言で現場の指揮系統を掌握してしまい、大型の魔物はあっという間に討伐された。
トドメの一撃はロザリアの放った魔力の斬撃で、斬れ味鋭い一閃はその場にいた誰もが魅了されるほど美しかった。
倒された魔物の後始末を手伝いながら、ルカはさっき感じた胸のぬくもりとは別の感情を自覚していた。
(悔しい)
下級とはいえ、ルカも冒険者の端くれだ。
弱いことをわかっていても、何もしないまま終わってしまったことに唇を噛み締めている自分がいたことに驚いた。
強くなろうとすることをやめたはずなのに。
ロザリアと一緒にいるようになって、閉じ込めていた感情がいとも簡単に鍵を壊して現れる。
その気持ちの尻尾を掴みかけて、手を伸ばすのを止めた。
(また間違うつもりか?)
自分だけの感情を優先して、無茶をして、最後に何が残ったかを忘れたとは言わせない。
また誰かを傷つけるのか。
勝手に出てきた気持ちを再び心に押し戻して、ルカは何も考えなくて済むように作業を続けた。
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