第2話 爆破 or 契約

 荷車に乗せた魔法箱がぶつかってゴトゴトと鈍い音を立てる。

 荷台に積んだ魔法箱の中には、さっき討伐し終わったばかりのスライムの核が収納されていた。

 それと、もう1人が荷台に乗っている。

 下級冒険者であるルカなんかでは手が届かないような強さを持った、上級冒険者のロザリア。

 魔法を使うところを目撃されて、なぜか小馬鹿にされたがそれを無視して仕事をこなすことにしたのだった。


 『孤高の黒薔薇姫』なんて大層な呼び名が付けられているが、ルカにとってこの人は”関わろうとしてはいけない人間”になっている。

 どれだけ話しかけられようとも、聞こえていない振りを続けた。


「ねえ、魔法はどうやって覚えたの?」


「…………」


「独学?それとも本?教えてよ」


「…………」


 黙って荷車を引き続けるルカの背中に、ロザリアは話しかけてくる。

 これだけ無視されているのに、まるで意に介していない。


(返事はしない。反応だってしてやるものか!)


 馬鹿にするように笑われた(かもしれない)ことがあって、僕は意固地になっていた。

 意地でも返事をしないと、ずっと前を向いていたから異変に気付くのが遅れてしまった。


 ベタリと何か粘着質なものが地面に落ちた。

 魔物の討伐では耳に慣れた音で、特別なものでもなんでもない。

 しかし、聞こえてきた状況がおかしかった。


 スライムの群れはとっくに討伐され、この場には後始末を押し付けられた下級冒険者と少しばかりの中級と上級の冒険者しかいないのだ。

 誰かが気付くはず。

 そんなルカたちの油断を嘲笑うかのように、魔物は突然現れた。


「うわぁあああああ!にげっ……」


 悲鳴が耳に届いた時には、この場はすでに大混乱となっていた。


 討伐任務の時にはおよそ50体だったスライムが、今度は数え切れないほどの大群となっている。

 目算で100体以上。

 今も増殖を繰り返しているから、数は時間が経つごとに増えていた。


「これは……!」


 荷車から手を離したルカの横に、荷台から華麗に飛び降りたロザリアが並ぶ。


「誰かがしくじったみたいね。スライムの核が生きていて、この場に残っている人間を養分に欲している」


 冷静なロザリアの声がどこか遠くに聞こえた。

 下級とはいえ、曲がりなりにも冒険者を名乗っている。

 命の危険と隣り合わせであることは承知の上で、日々を生きている。

 安全なんてものは、魔物の討伐に行けばどこにも存在しない。

 わかっていたはずなのに、目の前で起こる惨状が信じられなかった。


■■■■■


 助けてくれと叫ぶ声も、逃げろと警告する声も、一緒になってスライムに飲み込まれていく。

 戦おうと剣を抜くが、そもそもスライムに剣での攻撃は効果が薄い。

 効果があったとしても、残された冒険者の多くは下級。

 ろくな戦力にならず、役立たずの烙印を押され続けてきた。

 そんなやつらがいざ危機に立ち向かおうとしても、普段と違う状況を前に慣れない武器を振り回せるはずがない。

 剣を構えていても、合体して巨大化したスライムはご馳走だと言わんばかりに下級冒険者たちを飲み込んだ。


「やめろっ!」


 言葉なんて通じないのに、そう叫んだルカは駆け出していた。

 腰に下げた剣を抜き、ついさっき冒険者を飲み込んだスライムの核を突き刺す。

 悲鳴にもならない断末魔を上げて、そのスライムはどろりと溶けた。

 飲み込まれていた冒険者を救出して、生きていることを確認する。


「大丈夫か!?しっかりしろ!!」


「がはっ!はぁ……おれは……」


 ぼんやりとしていた冒険者は、スライムたちが襲いかかってくる状況を見て急に立ち上がった。

 その表情は必死そのものだった。


「お前たちも逃げろ!スライムが合体して進化したんだ!」


「進化しただって!?」


 魔物の中には同族同士で捕食することで、種族として進化するものがいる。

 大抵の魔物は強く頑丈になり、中級以上の実力がなければ倒せないようになるのだ。

 それが、下級冒険者ばかりのこの場で起こった。

 死んでしまう。

 そう強く思った。


 3年前の事件からずっと、自分自身を傷つけてきた。

 そうしないと生きていられなかったから。

 仲間を見殺しにした自分を、おめおめと逃げ帰った自分を許してしまえば、誰を憎んで生きればいい。

 その対象が自分自身だとしても、そうしなければならなかった。


 防御魔法も、治癒魔法も、少しでも自分が生き残るようにと時間をかけて覚えたものだ。

 楽に死ぬことなんて許さない。

 仲間たちの無念と後悔を抱え続けて、彼らを殺した魔物を倒した時に死ねるように。

 仲間を見殺しにしたあの時から、この命は自分のものじゃない。

 だからこそ、こんなところで死ぬわけにはいかなかった。


「冗談じゃない!スライムなんかにやられてたまるか!」


 派手な魔法は使えない。

 綺麗な剣捌きなんて習ったこともない。

 それでもこの手には、これまでに培った経験がある。


「オラッ!!」


 魔物には必ず、体のどこかに核が存在する。

 それを壊せばどんなに強い魔物だって、一撃で倒せるのだ。

 いったい、自分がどれだけスライム討伐の後始末をしてきたと思っている。

 目を瞑っていたって、核の位置くらい把握できる。

 そこを突き刺せば、巨大化したスライムであっても形を失って溶けていった。


 完全に溶けきったスライムから飲み込まれた冒険者を救出しながらルカは考えていた。

 どうしてスライムを仮死状態にできなかったのかとか、誰が犯人かはひとまず置いておく。

 この大量発生して、進化した個体もいるスライムから生き残る方法を思いついた。

 しかし、それがうまくいくかはわからなかった。


「ミンガルディ様……恥を忍んでお願いがございます」


 向かってくるスライムだけを、その細身の剣で倒していたロザリアに声をかけた。


「僕ではこいつらを一掃できない。でも!ミンガルディ様なら可能ですよね!?」


 自分の力では敵わない魔物がいることはもう知っている。

 そんな魔物たちを倒せるくらい強い人たちがいることも。


「お願いします!ここにいる冒険者のみんなを助けたいんです」


「君の提案を受け入れたとして、私にどんなメリットがあるの?」


 細身の剣に付着したスライムの粘液を払ったロザリアは、無色透明な眼差しでルカを見つめていた。


■■■■■


 短い間隔で深呼吸をして、ロザリアの視線を受け止める。


「……もし、この提案を飲んでくださるなら僕のことをあなたの好きに扱っていい。魔物討伐の囮だろうと、後始末だろうと、荷物持ちだろうとなんだってやります」


「私が必要ない、と言ったら?」


「その時は僕の仲間を殺した魔物用に準備しておいた爆破魔法で、この場ごと木っ端微塵にするだけです」


 死ぬ覚悟も、殺される覚悟もできている。

 本当は仲間の仇を討つために用意した魔法だから、使いたくないが背に腹は代えられない。

 スライムの養分にされるくらいなら、道連れにしたかった。


「ミンガルディ様ほどの実力なら爆破から逃げられるとは思いますが、保証はできません。ここであの群れを食い止めないと、街にまで被害が及んでもおかしくない。今さら仲間殺しの汚名が増えたところで、痛くも痒くもありませんから」


 とうにこの体は、仲間の血で真っ赤に汚れている。

 その血が増えようと、もう綺麗になりたいとも思わない。

 仲間の無念を晴らせないことだけが悔しかった。


「なんだってやる……その言葉は本当なのね?」


「嘘だと思うなら今すぐ僕を斬ればいい。そうすれば、爆破だってできません」


 脅しにもならないと思っていたが、悩むきっかけにはなったようだった。

 考え込んでいるロザリアは、それでも手を動かし続けてスライムを倒し続けた。


 足下に群がっていたスライムを一太刀で斬り伏せたロザリアは、ようやく顔を上げた。


「いいわよ。君の提案を受け入れてあげる。その代わり、君の身柄は私のもの。それでいい?」


「構いません。あっ、最後に我が儘を一つ。僕の仲間を殺した魔物に復讐することだけは自由にやらせてください。それ以外はこの体も、魂も、全部あなたにあげます」


「潔くて結構。では、契約しましょうか」


 そう言ったロザリアは細身の剣で右手の親指を斬りつけた。

 ぷつっと切れた指からは真っ赤な滴が零れ落ちそうになっていた。


 地面に跪いたルカは、切り傷のできたロザリアの手を恭しく持ち上げてその赤い滴を舐める。


「ぐっ……!」


 一際大きく鼓動した心臓が落ち着く頃には、僕の右手の甲に大きな黒い薔薇の痣が浮かんでいた。


「契約完了ね、よろしく。えっと……」


「ルカ・リッピです。ルカと呼んでください。あなたは……ご主人様がいいですか?それともロザリア様?」


 差し出された手を取って立ち上がりながら、自己紹介をする。

 呼び方を尋ねると、くすりと笑って彼女は言った。


「ルカに任せるわ。では、仕事をしましょうか」


 一瞬で切り替わった空気に肌が痺れる。

 ロザリアから放たれる魔力の圧で、気絶していてもおかしくなかった。

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