拈華微笑

三鹿ショート

拈華微笑

 当初は、幻聴だと思っていた。

 彼女もまた、同じようなことを考えていたらしい。

 其処で、自分が考えていることを相手に発言させたところ、どうやら我々は、言葉にせずとも互いの思考が分かるようだった。

 そのことが分かった瞬間から、我々は離れることを決めた。

 己の思考が漏れてしまう相手と共に生活を続けることなど、出来るわけがないからだ。


***


 彼女と離れてからの生活は、苦痛だった。

 私は相手を刺激することがないような言葉を選ぶことができないために、口を開けば、多くの人間の怒りを買ってしまうのである。

 口を噤んだこともあったが、その場合は他者に利用されるばかりになってしまい、私は自分のために生きることができなかった。

 そのことを思えば、言葉を口に出さずとも互いの思考が分かる彼女との生活を選ぶべきだったのかもしれない。

 だが、彼女は私とは異なり、社交的であるために、何の不自由を感ずることもなく生きることができる。

 彼女にしてみれば、私との生活は望むようなものではなかったのだ。

 ゆえに、私はなるべく他者と接触することがないような仕事を選んだ。

 給料は良いものではなかったが、感情に左右されることが無くなったために、このような生活でも構わなかった。


***


 孤独に生き続けるかと思っていたが、私のように他者との接触を拒みながらも馬が合った女性と、私は交際するようになった。

 どのような事柄について苦痛を覚えるのかということを互いに理解しているために、理想的な恋人だと言うことができるだろう。

 しかし、そのときは突然やってきた。

 私も恋人も、互いの思考を知ることができるようになったのである。

 それまでは普通の生活を送っていたのだが、何故このような変化が訪れたのだろうか。

 理由は不明だが、我々は彼女と同じような理由で、その関係に終止符を打ったのだった。


***


 それから何度も同じような経験をしたことから、私は一つの可能性を考えた。

 もしかすると、好意を抱くということが理由なのではないか。

 そのように考えたのは、これまでに思考が分かるようになった相手というのが、いずれも私の恋人と化した人間ばかりだったからである。

 心から愛した相手ならば、自分のことを知ってもらったとしても問題は無いという綺麗事を吐くつもりはない。

 誰にでも、他者に明かすことができない思考を持っているものである。

 だからこそ、思考が分かるようになった恋人と、私は別れてきたのだ。

 この考えが正しければ、私は今後、恋人を作ることができないということになってしまう。

 肉体的な欲望を過剰に抱いているわけではないが、気が合った相手と多くの時間を共に過ごしたいと考えている私にとって、それは受け入れることができない事実だった。

 落ち込みながらも、そこで私は、彼女の場合はどのようなことが理由なのだろうかと考えた。

 もしも私と同じような理由だった場合、我々は互いに唯一の理解者だと言うことができるだろう。

 通常ならば、それは強固な絆と化すだろうが、我々の場合は、他者に知られてはならないような思考が漏れてしまうために、最も避けるべき相手だと言うことができる。

 それならば、やはり孤独に生き続けることしか、選択肢は存在していないのだろう。

 私は、大きく息を吐いた。


***


 久方ぶりに再会した彼女は、様相が異なっていた。

 輝く髪色に、派手な装飾品、そして、道行く異性の目を奪うような煽情的な格好だったのである。

 私と目が合った瞬間、彼女の思考が分かった。

 私と再会したとしても、彼女は特段の感情を抱いておらず、私に対して、自身の能力を自慢してきたのである。

 いわく、彼女が異性の目を奪うような格好をしているのは、一度でも自身に劣情を抱いた人間の思考を読み取ることができることに気が付いたからだということだった。

 彼女の思考が相手に伝わることはないのかと問うたところ、どうやら彼女の思考は、他者に伝わることがないということらしい。

 何故かといえば、彼女が相手に対して心を許していないからである。

 互いを想っていれば互いの思考が分かるが、彼女の場合、相手が己に対して特別な感情を抱いていると、その相手の思考を読み取ることができるということだった。

 つまり、彼女の誘惑に負けた人間は、彼女に弱みを握られてしまうということになるのである。

 そして、彼女は得た情報を利用して相手を脅しては金銭を奪い、現在は裕福な生活を送っているということだった。

 なんとも、不公平な話ではないか。

 私の言葉を聞くと、彼女は笑みを浮かべた。

 そして、そのまま手を振りながら、私の前から姿を消したのだった。

 やがて、彼女の姿が消えてから、私は気が付いた。

 彼女の思考が分かるということは、彼女は私に対して、心を許しているということになるのではないか。

 そのことを伝えようとしたが、彼女の姿を再び目にすることはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

拈華微笑 三鹿ショート @mijikashort

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ