#08 一夜明けても夢はさめない


 週明けの朝、洗面所で顔を洗うついでに鏡を見た。

 先日は食い入るように見ていた自分の顔だが、やはりというか、髪型がちょっと変わっただけの冴えない男だ。

 これに眼鏡をかければほら、先週まで何事もなく過ごしていた陰鬱な男に元通りである。

 改めて思うが、高麗朱理――もとい、シュプさんはこんな奴が友人のままでいいのだろうか。

 

「どうしよう……」


 これからのことを想像し、思わず手のひらで顔を覆い隠してしまう。

 嬉しい半分、恐ろしいが半分。


「俺だとは気づいてないよな……? そもそも同じ学校にいるとも知らないみたいだし」


 シュプさんが高麗朱理だったのは、むしろ喜ばしいことだと思う。

 長い間大切な友人として接してきた相手が、あこがれの人だったんだから、決して悪いことじゃない。

 今僕を悩ませている要因は別にある。

 

「思わずLIME交換しちゃったぁ……」


 シュプさんからの突然の申し出――それは正式な連絡先の交換である。

 オフ会で顔を見せあったその上でのこれだ。

 これはもしかして、脈ありなんじゃ? などという危険な思い込みを、僕は慌てて振り払った。

 ありえない。そんなことは地球が何度ひっくり返ってもあり得ないことだ。

 

「というか、あれは都合のいい夢だったんじゃないか?」


 ありえるぞ。

 先日、高麗朱理に告白して玉砕したショックで、ありもしない夢物語を現実と勘違いしているかもしれない。

 実は昨日、僕は誰ともデートなんてしておらず、家で寝ていただけだったのかもしれない。

 

 ブルッ。


 そのとき、懐のスマフォが小刻みに揺れた。

 クズ三人組か、あるいは家族からの連絡以外ほとんど反応を示さない僕のスマフォだ。

 端末を開くと普段全く使わないLIMEというメッセージアプリが何かを受信している。

 それを開いた瞬間、口から「うぅぉぁ」という謎の嗚咽が漏れた。

 

『おはようみなもっちゃん。昨日はちゃんと家に帰れた? ところでせっかくLIME交換したのに、家についてから何の連絡も寄越さないのはどうなの? 友達の自覚ありますか?』


 おはようシュプさん。

 どうやらこれは夢じゃないみたいだ。

 しかも結構な長文を朝から送ってきてくれている。

 正直まだシュプさんとして接していいのか、高麗さんとして接するべきなのか訳が分からないよ。

 

「とにかく、学校に行く準備しないと……」


 返事は行きながら考えよう。



『お早うございます。とてもいい朝ですね。ところでリアルの友達って何をすればいいんでしょうか? やったことが無いのでよくわかりません』

『なんで敬語?ww 普通はたくさんメッセージは送るもんじゃないの?』

『それっていつもやってることと変わらなくない?』

『言われてみればそうだったわ。でもLIMEは使ってなかったでしょ? ロンコミだけじゃ夜しか話さなかったし』

『このアプリ、さっきからポコポコポコポコうるさいんだけどー』

『使うの初めてかよww どんだけ陰キャなのww』


「なんか四六時中つながってるみたいだ……」



 会話内容はいつもシュプさんを相手にしてるときと変わらないんだが、謎の感動がある。

 ところでこのメッセージのやり取りはどのタイミングで終わるんだろう。

 返事を書き続けていたら終わらなくないか?

 

 考え事をしながら歩いていると、気が付けば昇降口手前までたどり着いていた。

 歩きスマフォを先生に叱られるという、普段ならありえないイベントをこなしつつ、いつもの教室に向かう。

 

 教室に入ってすぐ、すでに自席で友達とだべっている高麗朱理を発見した。

 

『これから授業だからまた後でねー』


 シュプさんからの最後のメッセージを目にとめる。

 なるほど、こうやって一旦会話を終了させるわけか。ひとつ理解した。

 返事は特に必要ないと判断してスマフォをバッグにしまう。


 改めて、彼女を見る。同じ教室に、高麗朱理がいる。

 先週と変わらず、仲のいい友人と世間話をしながら愛嬌のある笑顔を振りまく高麗さんだ。

 そんな人が、さっきまで僕とメッセージのやり取りをしていたというのは、未だに信じられない。

 その事実を認識すると、なんだろう。言いようもない感情が押し寄せてくる。

 なんだこれは。優越感か? しかし、それを自覚しているのは僕だけというちぐはぐな状況。

 素直に喜べない!

 とにかく言葉では簡単には言い表せないなにかだ。


「なんかいいことでもあった?」

「う?」


「いや、アイポン見ながらニヤニヤしてるなんて珍しいなって」

「……」



 二人の話し声が、聞こえてくる。

 僕の席は、二人の二つ後ろだ。いやでも耳に入る距離だ。

 

「嬉しいことはあるにはあったけど……つかしおりん……」

「な、なに?」


急に不機嫌そうになる高麗さん。対面しているしおりんと呼ばれるお友達は、その圧に少し気圧されている。


「あたしに嘘ついたでしょ」


 なんだかいたたまれなくなってきた。

 こうやって盗み聞きをしている相手は、ただのあこがれの人というだけではないのだ。

 数年来の友である。

 盗み聞きなんて、そんなの、とても重大な裏切り行為なのではないか……?

 

 次の授業までは時間があるし、トイレにでも行ってこよう。

 二人の会話は気になったが、僕は席を立って足早に教室を後にした。


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