#05 感情が壊れてしまいます

 扉を開けると、ほのかなコーヒーの香りに包まれた。

 店内は明るい光が灯り、人々がゆったりとくつろいでいる。

 足を踏み入れたことのない未知の領域だった。


「何が好き?」


 自然と並んでレジの前に立つ彼女は、まず僕に振り返って尋ねた。


「お、俺はホットコーヒーでいい……」

「ふうん、冒険しないタイプか」


 冒険しないタイプはアウトなのか、セーフなのか、彼女の表情からは読み取れなかった。

   

「このピスタチオフラペチーノにホワイトチョコトッピングと、ホットコーヒー、どっちもラージでお願いします」


 ピスタチオ……なんだ?


 高麗朱里――もといシュプさんの提案で、僕らは最寄り駅近くのスターバックスに入店していた。

 その間、なんか「ウケるんだけどその服ww 似合ってないww」とか、いつもシュプさんとしているようノリで話を振られた気がするけど、まともに頭に入ってこなかった。


 へぇ、とかふーんとかで聞き流してた気がする。

 

 二人分のドリンクを受け取って席に着くと、

 彼女は改めて僕の顔をじろじろと眺めると、得意げな顔をして言った。


「で、どう? 可愛かったでしょ?」


 そうやってふさっと髪をかき上げると、

 なおのこと目の前のいるのがあの高麗朱理であることを思い知らされる。


 可愛いかどうかと聞かれれば当然可愛いが、

 どっちかというと綺麗だ。私服も色っぽくてとても似合っている。

 100点だ。

 

「い、いや――」

「いやぁ!? どんだけ綺麗な子を期待してたのよ!」


 ちがう。


「いやちが……」

「まあ、あんたがコクった子よりかは見劣りするだろうけどねぇ」


 むしろ本人なんです。などと言えるわけもなく。

 僕のそんな一言で気分を害したのか、彼女はむっつりとした顔でピスタチオ何とかをストローでちゅーちゅーしはじめる。

 やばい。すぐ目の前で高麗朱理がピスタチオなんとかをちゅーちゅーしている。唇がめちゃくちゃ色っぽい。目も大きくて綺麗だ。ヤバイ。


 というか、もしかして高麗さん、僕が同じクラスの人間だと気づいてないんだろうか。

 今の僕はメガネもしてないし、前髪をあげてるから、人相が一致していない可能性もあるが……まあ、普通に気づいてないんだろうな……。

 告白したときも全く認知されていなかったし。


 というか本当に彼女がシュプさんなのか?

 代理で来ているとかいうオチなんじゃないか?


「あの……本当に、シュプさんなの?」

「そうだってば。美少女すぎて度肝抜かれちゃった?」


 高麗朱理が数年来の付き合いだった親友? それはどんな偶然だ?


「もしかして裏で本人が控えてるとかない? ドッキリとか……?」

「そんな面倒なことするわけないでしょ」

「本当にシュプさんなの……?」

「そうだってば」


 目の前で腕を組んでムッとしているのはどこをどう見ても高麗朱理だ。

 その彼女が否定しないのであれば、そういうことなのだろう。


「やばぁ……」

「可愛すぎて?」


 こういう変に鬱陶しい切り返しは、確かにシュプさんらしい。


「ちょっと、聞き流さないでよ」


 とはいえ、まずは平常心。普段通りだ。

 ここで会話もままならないような情けない展開だけは避けなければならない。

 いつものロンコミで会話するノリで行けば、たぶんどうにかなる。


「きょ、今日はお日柄もよく……」


 どうにかできるわけないだろ!


「ふふ、やっぱりめっちゃ陰キャじゃん」


 ニコニコと、なぜか嬉しそうな反応をされる。

 こんな反応なんぞ異性にされたことない。ましてやあの高麗朱里が、僕なんかにそんな表情を向けるなんて、どんな奇蹟だ?


「はぁ、でも良かったぁ」


 そして安心したように、胸をなでおろす。

 ふと気になったのだが、さっきからなぜ、”そんな”リアクションなのだろう。


「なんで俺の顔見てほっとしたように”良かった”って言うの……?」


 僕みたいなやつと顔を合わせて、良かった、などと口にする理由など到底良い意味ではないだろうが……。


「さあ? なぜでしょう?」


 質問に質問で返すのはどうなのだ?

 とはいえ、会話が途切れて気まずくなるよりは有難い。

 僕は理由を考えた。


「た、たぶん、自分より顔が悪くて良かった、とか思ってるんじゃない……?」


 シュプさんなら、そんな思惑がありそうなものである。

 実際僕も彼女の容姿が酷かったらとついさっきまでは考えていた。

 相手に舐められないで済んで、心底ほっとする、という心理である。ロクでもねぇ。


「すごい! やっぱりあたしのことよくわかってんね」


 あたってんのかよ。ロクでもないな。


「もしかして俺からマウントを取りたかったから……?」


 まさか理由まで同じだったりして。いや、そんなわけないよな……。


「そうそう! やっぱりみなもっちゃんにはマウント取りたいからね。

 もう次にロンコミで話すときにあたしのことホラ吹き女とは呼ばせないよ」


 マウントを取りたかったようだ。

 やべぇ、高麗朱理と同レベルの思考だった!

 それは喜んでいいのだろうか。


 あれ?

 いつのまにか僕も、あの高麗さんを相手にしているというのに普通に話ができている。


 会話のテンションが完全にシュプさんのそれなので、多少なり緊張がほぐれつつあるのかもしれない。


「でも正直、良かったってのはもう一つ理由があってさぁ」


 シュプさんはストローを咥えながらぼそぼそといった。


「超年上のおっさんとか、お風呂も入らなそうな不衛生な人とかが来ることも覚悟してたからね。

 思ったよりもふつーの人で安心したというか……」

「俺が普通……?」


 普通の基準がよくわからない。

 ただよく考えてみると、今日は今までずっと友人として接してきた相手との初の顔合わせだ。

 女の子だったら、相当な勇気が必要だったに違いない。


「これからも友達続けるならさ、見た目で拒否感とか抱きたくないじゃない?

 とはいってもあたしにだって生理的に無理ー!ってラインはあるわけでさ、そのあたりは怖かったよ」

「おぉぅ……」


 目の前の女の子は笑っていたが、内心では怖かったんだろうか。

 というか友達でいたいから、なんて言葉を高麗朱理からもらえる日が来るとは思わなかった。


「な、なるほどね……まだ友達でいてくれるわけね」

「当たり前だろうがよ。何年の付き合いだと思ってんだ」


 シュプさんがそう言って僕をにらんでくる。

 悔しいけど、怒ってる顔も可愛い。


「その顔でシュプさんの言葉遣いなの違和感しかないけど……」

「ん? どういう意味?」


 まあ何はともあれ、顔を合わせるまで恐怖を抱いていたのはシュプさんも同じだったようだ。

 僕が思ったよりも生理的にアウトじゃなくてホッとしたと――喜ぶべきか否か、微妙な感想じゃね?


 とはいえ、シュプさんという友人が失わないで済むというのはそれはそれで安堵するところではある。


「にしてもみなもっちゃんは驚くほど普通ンゴね。とても百戦錬磨の陰キャには見えないよ」


 目の前の美人からネットスラングがちょくちょく入るの、慣れないな。


「俺もシュプさんが本当に女とは思わなんだ……」

「女よりも女らしいでしょ?」

「あーはいはい」


 女よりも女らしくてきれいです。はい。

 

「ていうか、みなもっちゃんは本当にカノジョとかいないの?」

「いるわきゃないわ……」


 いたこともない。


「みえないなー」


 なんだそりゃ、彼女なりの慰め文句かな?


「彼女いない歴年齢だわ」

「ついでに好きな人に告白して玉砕しちゃったしね、言われてみれば面構えが違うね」

「不本意な告白だった」

「嫌々の告白とか、相手の子かわいそー」

「ほっとけや!」


 僕を振ったのはあなたなんですけどね!

 なんて言えるはずもなく、いつものノリで軽口を叩きあう。

 自然とお互いに顔を見合わせて、クスクスと笑みをこぼしていた。

 ロンコミでシュプさんと会話しているかのような、何とも言えない、心地よい雰囲気である。


 ところで、やっぱりシュプさんは僕が同じクラスの男子とは気づいていないようだ。

 まあ僕としてはその方が有難かった。


 なにせ学校での僕は、不良にいじられるようなド陰キャで、つい先日高麗さんに無謀にも告白してフラれた立場である。そんなのが露呈しても気まずいことこの上ないだろう。

 むしろこの状況の幸せをかみしめよう……。なんたって僕と高麗さんは、中学校の頃からの親友なのだ。


「でもそっかぁ、みなもっちゃんもう完全にフリーなんだね」

「フリーってなんだ?」

「好きな子もいなくなったし、これからは浮いた話も全くないんだなぁって。はーつまらん」

「俺の切実なコイバナを娯楽として楽しんでんじゃないよ……」


 ネタが提供できなくなってごめんね。


「次に好きな人できたらまた教えてね」

「どうかな。俺はもう誰も愛さないかもしれない……」

「なんそれww」


 ぶっちゃけ高麗朱理のことは今も密かに見つめたりしてるけど、さすがにそんなキモイことを本人の前で堂々と言う気にはなれない。


「ちなみにまだ好きなわけ? そのフラれた相手のこと」


 シュプさんの前のめりの質問にギクリとする。

 しかし顔には出さない。

 ご本人に聞かれるというおかしな状況だが、まあいい加減いちいちそんなこと考えるのは止めたほうがいいのだろう。

 目の前にいる彼女はどう転んでも、僕の親友なのだから。


「どうだろうね。好きなのかな?」


 じろじろ見てしまうぐらいにはまあ、好きです。

 と、目の前の高麗朱理から目を背けながら答える。


「そうなの? もうその好きな人とはお近づきにはなれないんでしょ? まだ未練がましくその女が好きなわけ?」


 高麗、もといシュレさんが不味いものでも口にしたみたいにうえぇという顔をする。

 何度も言うが僕を振ったのはあなたなんですよ?


「そもそもお近づきになるチャンスなんて元々皆無だったんだよ。俺は単に無理やり成功するわけがない告白を強制させられただけなんす……」


 自分で言ってて悲しくなってきたわ。

 つか本人に改めて説明するもんでもない。


「そうかそうか、悲しいよな……わかるよその気持ち」


 わかってたまるかよ。というか当事者にこれは慰められてるのか?

 どういう状況だよこれ!?


「ってことでそんなみなもっちゃんに朗報だよ」

「はは、なに? だれか紹介でもしてくれるの?」


 いつもの軽いノリで僕も薄ら笑いを浮かべながらそんな切り替えしをする。

 このときはまだそんなノリを僕も楽しんでいた。


「ちがうちがう、あたしが付き合ってあげるって話」

「え? なに? やけ酒にでも付き合ってくれんの?」


 俺、未成年なんだけどwwなんて冗談が喉から出かかっていた。


「ちがうって」


 不意に、テーブルの上に置いていた自分の手が、冷たい何かに包まれた。

彼女が僕の手をつかんだのだ。

 まるで暖を取るみたいに、両手で優しく握られている。

 そんなこと、今まで家族からもされたことなかった。

 こんな気持ち悪い奴の手、握るような女の子なんて存在するわけないとさえ、思っていたのだ。


「あたしが恋人になってあげよっか? って話」


 ましてや、そんな告白じみたこと、言われる日がくるなんて――

 ああ、そう言われるまでは心底、友人との会話を楽しんでいたんだ。

 本当に、心から。

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