第18話

 それにしても、きちんと”正しく”男女を産み分けることの、何と大変なことか!

 この時代においての出産という行為はそれそのものが命がけだ。現代のように医療体制が発達しているわけでもなく、当時の人々の意識も、産婦の身体のことを第一に考えているとは言い難い。第一優先にされるのは母体よりもその腹からあたらしく生まれるまあたらしい生命の方だ。その新しい生命には役割がある、メリットがある、価値がある。それは、イエというこの世で最も尊ばれるはずの、価値を置かれるに相応しいものの、存続と更新を手助けする唯一のアイテムなのだ。そのように、絶対に必要で、かつ希少性の高いものと、「役目を終えた」もう一つのものが天秤にかけられて、自然な重さを持つのはどちらか、というのは、深く考えてみずとも分かることだろう……

 というわけで、その儀式は子の刻あたりから行われた。すでに彼女は里に下がっていたから、お産は新築したばかりのぴかぴかした、清々しい檜の香り漂う讃岐邸新館で行われた。

 お産のために局全体が白を基調した調度で揃えられ、寝殿には神聖なるかおりが漂い始める。外は真っ暗、中は真っ白、それがお産の正しい風景で、そしてそこに読経坊主と陰陽師、それにおなじみ憑坐童などが勢揃いし、そこへ世話焼き女房やらなんやらがどやどやと入り込み、部屋の中は人いきれですさまじい熱気。そこへ坊主たちの加持祈祷の声、魔を払うとかいう弦打ちのビイーン、ビシーッという音がまじり、産褥のうちにある彼女のウンウン唸る声などはかき消されてしまってほとんど誰にも聞こえない。そのような余計なことをしていないで、もう少し母体を安静に取り扱うために人力を尽くしたら良いのでは? そうすればお産のうちに力尽きて亡くなってしまうなどという痛ましい目に遭う宮様の数も減ったかもしれないのに……などと、私どもはついおもってしまう、が、しかし当人たちにとってみればこういったことこそが一番やらなければならないことであり、違う文化圏から眺めたときに奇異に映るものも、その文化圏内のものからすれば、「確かに無意味なことなのかもしれないが、しかし決まり事である以上は、それをしないではいられない」というものには違いない。そして、「いや、意味がない、理屈が通らないって分かっているんだけどね」とおもいつつ、やらなくてはならないこと、そうなってしまっていることなどは、現代においても数え切れないほど挙げられるのではないか?「医療体制も万全ではない時代に、母体そっちのけで読経調伏に明け暮れて、それで産褥で母体が瀕死の目に遭ってもやはり、他のものできるのはお祈りと物の怪を払うことだけなのか?」などと、別の時代に生きるものたちを一段下のものとして見下ろすことの出来るような文明社会に生きているとはいえない私どもの生くる現代においての「出産」についても、まだまだその蛮人性が散見されるのは確かだろう。そしてその文化圏で認められている蛮人性を、また別の文化圏の人々が眺める時……その視線の先に移る私どもの姿とは、どういった形でその眼前に現れるのだろう? 約千年前にはこうしてみじめな扱いを受ける母体が千年の時を経て、医療体制がさて整ったところで、大切にされているか否か?

 千年経とうが経つまいが、女の体というものはあまり大切にされず、ただまわりのものたちはその体の中から男か、女か、どちらが出てくることだけを考えている。

 今回のこの出産においての正しい産み分けは、男だ。男が彼女の腹の中から出てくるのが一番望ましい。なぜなら彼女は”宮腹”だからだ。将来において万乗の君となる可能性を秘めた性というのは男においてである。女が生まれたとしてもそれは内親王として、深層のお姫様として一生を過ごすか、降嫁させてあげるかくらいしかできない。しかし彼女が摂関家の娘あれば別だ。その場合は、産むとすれば女のほうが望ましい。女を産んだほうが正しい。なぜならその育てた女を万君にへと献上することのできる可能性にめぐまれるから。

 そして彼女が必死の格闘の末に産んだのは男児だった。これを奇跡としなくて何んとする?

 生まれ出でた新たな生は大切に扶育された。

 竹取の老人は泣いて喜び庭駆け回り、さっそく金峰山へ御礼参りに出掛けていた。そして、まだ茵の上で寝付いている彼女の汗の滲んだ額に冷たい感触。薄っすらとまぶたを上げると、そこには穏やかな顔をした、うつくしい女が、男着のままで彼女を見ていた。額の汗を、つめたい布で拭ってくれている。彼女は少し笑った。するとそれにつれて、同じような顔をした姉も笑った。

「今度のことは本当におめでとう」

 姉は鈴の鳴るような、しかしその裡に静かな落ち着きを秘めた声で言った。

 彼女はそう言われて嬉しかった。自身の体の不調、それは自身にとってはじゃまもの以外の何物でもなかったけど、それでも姉の感謝の対象になりえるものでは在り得たのだとおもって。でも姉はその後で嫌なこと言って妹のことを益々に病みつかせる。 「これであなたも、もう立派な一人のお母さんだな」

 ゲーと彼女はその場に胃の中にあったものを吐き出した。周りのものがそれを介抱する中、姉ははたはたと優雅に扇で自身を扇ぎながら、不思議そうな顔をしていた。

 朦朧とする意識の中から視線を起こして、彼女は何かを求めるように頭を動かした。

 私には誰かの何かが必要だ。そしてその誰かというのも、何かというのも知っている。そういう気がする。しかしその、彼女が求めているものというのは”間違ったもの”だ。だから正しく私には起こらない。そういうことなのか? 彼女は自身の姉のことを、靄のかかったような明瞭としない視界の中で見ている。彼女はそこに居た。そして彼女は、確実に、その姿を見ていたのだ。

 体の中からじわじわと加熱されていくような、虫の好かない季節だ。髪などろくすっぽ洗えないから頭の中はカユくなるし、重苦しい着物など全部脱ぎ捨てて、生まれた時のままの姿で、冷たい氷などを飽きるまで浴びていたいような、嫌な季節だ。ただでさえ不快なのに。これ以上、体も、腹の中も、全部不快にさせて、一体私というのはどうしてしまったんだろう。しかし、そのような季節においても吾が姉は、憎らしくなるほどうつくしい。まるで季節など、体など、精神など、まったく何も問題ではないような顔をして、じっと何かに浸っているかのように、静かに、おとなしくしている……妹はそういう姉の横顔を見ている。そして姉は、深い同情を込めた声で言った。「可愛そうに」

 一陣の風が吹いた。それはとても心地良いものだった。妹は目を瞑った。このまま目を覚まさないでいられたら、どんなにいいかとおもった。


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