第10話
東宮にも後宮はある。そこへ、彼女は新しく入内した。
けれどその入内を、ほとんどの貴族が言祝ぐことはなかった。でもそれも当然のことだ。その入内によって彼らが得られるものが少ないからだ。自身のキャリアや将来に良い影響がでるわけでもなく、それどころか出世枠がひとつ奪われてしまうのだ。内実はどうであれ、競争相手が増えるというのを歓迎することは難しい。で、あるからして、その異例中の異例、前代未聞、言語道断の入内に関して、左大臣を中心として陣の座が設けられ、雲上人は侃々諤々それぞれの意見を出し合った。しかしその話し合いの末に「自由恋愛なんだからいいのではないか」などといった結論が生まれるわけもなく、総論としての意見書を主上に奏上しに行くが、彼の人はご自身の髭などを指でひねりながらつまらなさそうに、「意見は意見として厳粛に受け止めます」などと宣うばかり。
断固として決定事項を変えるつもりはない。であるから、他人の意見など耳を貸すにも値しない、というようなあからさまな態度は、本来であるならば、誰にとっても推奨されるべきではない態度だ。それは身分の上下に関わらず、この狭い貴族社会でいっぱしの立ち位置を得ようとおもうのならば、裡に秘めた感情というのは、出さないほうが賢明だろう。秘めた感情が負に傾いているのならばなおのことだ。人の不興を買う。しかしこの場合、その態度を示すのはこの世で最も尊い御方の御子息その人なのだ。そのような御方の示す態度を、不快になど誰がおもうだろう? しかし、左大臣は不快だった。何故か?
愛されていないからだ、と左大臣はおもった。
先代であったなら、もっと話は単純だったはずだ。お互いの意思疎通は、もっと簡単に行われていた。先代は彼の意見を取るに足るべき、聞くに値する、頼みのものとして扱ってくださった。彼の意見は苦言ではなく助言だった。先代はよく、彼に意見を求めた。彼はそれに的確に答えた。先代は彼の贈った娘を愛していた。それはお互いの良好な関係を築く上での礎だった。すべては彼の満足のいく関係として、すべてが正常に成り立っていた。
だけどあの御方は、私のことなど見向きもしない。取るに足らない……つまらない、必要に値しない男だと見くびっているのだ。
”正妻”を”愛する”というのは、男であるなら、どんな地位の男でもそれは義務だ。するべきことだ。それは、家の存続に繋がる行為だからだ。するべきことをしていれば、その他にどんな場所で女を作ったとしても構わない。しかし、義務を果たさず、そのようなことにかまけるような男が居たとしたら最低だ。おのれの生の目的を履き違え、家の存続、一族の将来、子孫の繁栄を放棄するなどということはありえない。だから人々は義務を果たす。その義務に、身分の上下など無い。だからすべての男は義務を果たしている。実際に、あの御方はするべきことを果たされた。俺の娘はこの世で最も気高い御方に愛された。だからこそ無事に、俺の孫でもあるところの東宮が、ああして立派に立ち、そしてああやって……
彼にはそれがくるしい。私の何が気に入らない? どうして私を無きものとする。このような有様は、私に対する侮辱だ。最も高貴なものが、もっとも下賤なものによって汚され濁り果ててしまう……このような、このような不純が、一体どうして?
「だってかわいそうじゃないか」
東宮は、沢山の人々に傅かれて、健康健全にお育ちになられた。摂政として、彼はそれを誇らしくおもう。「きっと彼女はどうしていいかわからなくなっているんだろう。本来の指標を失って、寄る辺をなくしたものが、どういう末路を取るのか考えてみるが良い」
だからといって、なぜあなたのような方が、その責任を負わなければならないのか?
「僕ならば、その方をお慰めすることができるとおもう」
「そのようなことを、どうしてあなたがなさらなければならないのですか?」
「なぜってそれは」
まだ十五歳になったばかりの、うら若い少年は、その瞳の中にきらきらとした、透明無垢な正義感を漲らせて、しかしそれを自身で制御する素振りもなく、また意識しているわけでもなさそう言う。そういうときの彼の声はうつくしい。うつくしいように聞こえる。
「僕がそうしてあげたいからだよ」
そのようにして新たな東宮妃の入内は人々に祝福され、歓迎された結びつきではなかったため、祝い事の規模もそれほどでなく、慣例のように、方々から豪勢な贈り物が届いたり、歌をよくする貴族たちから特別の和歌を送られたりすることもない、甚だ華やかさに欠ける入内となった。
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