第8話


 さて、その後の例の五人衆はどうなったか?

その後の五人の公達たちと彼女の妹の恋の行方は、どれもがそれほど劇的な結果を迎えたわけでもなかった。

 彼らはめいめい文を送り続けた。しかし、その返事は来なかった。それは彼女の妹が、返事書きを止めてしまったからだった。

 僕が代筆しようか? と彼女の姉は提案したが、妹はやや上の空で、それに首を振った。どうもそれどころではないらしく、一日中、漉き紙と首っ引きで、その白い紙面になにやらを書き付けていた。

 その間にも、雅やかなひとたちからの文は文机の上に積み上げられた。それ見かねて、姉が難色を示すと、「目は通しているわ」と、文机に向かったまま、妹は彼女の方に目を向けることなく言う。

「そうなの? ならば返事を書いてあげればいいのに」

「だってどんなお話をしてあげればいいというの?」妹は自身の苛立ちを隠さず言った。

 ここのところ、彼女はずっとカリカリしている。動作や態度に余裕が見られず、普段であるならばおっとりと返すような言葉も、いやに検立って響かせてくる。姉はその態度にうんざりしたが、しかしそうへきえきしていても始まらない。時間が経てば経つほど、彼女が男たちを拒めば拒むほど、向こう方の感情は否応にも高まり、その決して発散できない感情は鬱屈し、彼女への飢えと希求として方々に悪影響を及ぼす。

何んでも、右大臣の屋敷では離縁騒ぎが起きているというし、讃岐邸の方へはそれぞれの公達が、矢も盾もたまらず使者を送ってきて、あの返事はどうなったのか、もう婿は他に決まってしまったのか、あれこれと聞き立てている。姉はそれ一つひとつにていねいに対応し、まあ鷹揚に構えて居たほうが懸命でしょうといちいち答えていた。

「別に僕は構わないけれど。でも大臣殿たちが気の毒でね」

「嘘ばっかり。そんなことちっともおもっていないくせに」

 妹は姉の欺瞞を簡単に見抜いて、文机に頬杖をつく。

「そんなことより、『往生要集』っておっかしいわね。地獄というところは恐ろしいところだわ。特に、あの刀葉の林というのはどういうの。男の人にはたまらないでしょうね……」

「これ、読んでみてもいい?」

「ええ、どうぞ」

 妹はそっけなく了承すると、また机に向かって書物を始める。

 姉は高く積まれた文の山から、一番上に乗っているものから順に読んでいった。たいていはあたりさわりのない、というよりも、特に面白くもないような、平凡な恋の歌や繰り言などが連綿と綴られていたが、中にはちょっと目を瞠るようなものもあった。


「あなたから頂いたお手紙を、毎晩毎晩くりかえし眺めています。くりかえして、そして飽きることがありません。これはどういうことでしょう。あなたの、特に頂いた絵などを見ている時間などは……

 その時だけです。その時だけ、すべてを忘れられる。つまらない一日の出来事や、人に言われた嫌なこと、みんな、忘れてしまって、ただあなたの絵の中の世界に掛かりきりになる。それはまるで桃源郷の中にいるかのようだ。桃源郷で、おいしい桃を、一日中かじっているかのように、それのみのとりこになってしまう……

 私のただひとつの望みを叶えてくださってありがとう。これで私はなにもおもいのこすことなく……となればあなたも私もこれからは肩の荷が下りてすっきりするだろうが、そうは問屋が卸さなくてごめんなさい。私はあなたによってすっかり心を縫い留められてしまった。もうここからはどうにも動けなくなりました。

 こうなったのもすべてあなたが魅力的でありすぎるからだ。

 私のせいではない。

 なるべくしてこうなった。今となっては、そうおもうよ。

 あなたは今までに私の出会った、どんな女とも似ていない。

 はっきり言って、私はあなたからもらう文以外に、あなたのことを知らない。これ切りしか知る術がないというのは、それは当然だろう。しかしあなたのどのような姿を、実際に目の当たりにしたところで、これほどの尊敬は、ちょっと抱けないのではないかとおもうのだ。

 あなたの素晴らしい詩才。あなたのまるで踊りだすかのような、ゆかいかつそしてなめらかな筆致。たくさんの男を手中で転がして、それでも全く平然とし、そしてその本当の内情というものをこれっぽっちも私たちに与えてくれない、その驕慢。どれをとっても私は、もはやそれら無しでは居られないというような、不思議な境地に居る。この苦しみ、悲しみ、焦がれを何んとする。私はもはや、あなたなしでは居られない身の上だ。この苦しみをどうか哀れんでください。そして、それを哀れにおもうのなら、またお手紙をください。私にはもはやそれしか楽しみは残されていない。

 私を哀れとおもうなら……」云々。


「姫!

 姫、姫、姫!

 お手紙ありがとう。とても、とーてーも、たのしく読みました。

 しかし……あれはどういうわけですか? 僕、おかしくて笑ってしまいました。

 ずいぶんこっけいな人々が出てくるお話ですね。突拍子もないといったら聞こえは悪いかもしれないけど、なんでしょう……今まで見たことも聞いたこともないというか。もちろん僕は男ですから、どこまでも様々な物語を知っているわけではない。しかしあなたの話すものには何かしら気を引かれるところがある。つまり、発想がまったく新しいんです。

 お話を伺っていると、今にもあなたの作った空想の物語を読んでみたい気持ちでいっぱいになります。僕はそれを望んでも良いのだろうか? こんな幸運が僕などの身にまいおこることがあるなんて……なんて、朝から晩まで、踊ってばかりいますよ。こんなにまいにちを、たのしく遊び暮らしたことはないというくらい、あなたのことばかり考えている。でもそれは僕にとっては、もはやとても自然なことなんです。

だってそうでしょう? この世の中をみまわしてみても、あなた以上に他人を面白がらせることに長けている人はちょっと見つからない。あなたの考え方や物語の書きぶり、そして他ならぬ、あの図画の巧みさは、例を見ないんじゃないですか。僕は、実は暇に任せて木工寮などに出入りをしているんですが(これは二人だけのひみつにしてくださいね)、あなたのような絵の描き方をする人は、ちょっと宮中お抱え画工のなかでは、見受けられない。なんというか、精密なんですよね。甘えやごまかしがきかない。人物の立ち方、座り方、性格、着物の文様、焚き込めた香の種類なんかまで、きっちりかっちり決められているというかね。そこにひとりの人間が、絵の中に立っているというのが否が応でも分かる。であるからこそ、見ている者も、これはあだなおろそかにはできないとおもって、こちらもしゃんと背筋をのばして、あなたの紡ぐものばかりに掛かりきりになる……と、人間、ほんとうにすばらしいものを見た時は、そのものの真剣さに心打たれて、自分もそれに応えなくては、となりますね。あなたの創造するものというのはすべてそれなんです。だからこそ僕はもうすっかりあなたに夢中だし、あなたなしでは生きてゆけない……なんてね、年甲斐もなく言ってしまいますけど。

姫。僕に生きがいをください。こうなってしまえば、僕などは、あなたといっしょになりたいなどというろくでもない考えは、端から捨て去っているんだ。僕は、はっきり言います、あなたという女性そのものにぞっこんまいってる。そのあなたという存在が、僕などの近くにいるからこそ輝くなどということはありえない。僕はあなたを仰ぎ見るだけでいいんだ。僕があなたのお婿さんになって、それでお父様やお母様とも親族の関係を結んで、家と家とがむすびつきを得て……などといったちんたらした関係への希望などは、もはやどうでもよろしい。第一からして、そのようなことをあなたが望むはずがないんだからね。僕は……僕はあなたの崇拝者でしか有り得ない。そういう単純明快なことが、今頃になってようやくわかりました。あなたは、僕にそれを知らしめたくて、いままで僕の薄汚い、独りよがりの、傲慢極まりなく醜怪な求婚に肯わなかったわけでしょう? 常に正しいあなた。僕はあなたを仰ぎ見るばかりでつまらない一生を終えましょう、それこそが僕が生きたという証左になるんだ。これほど嬉しいことはない。僕はそれだからこそ……」云々。


「……ところで、先日頂いたお手紙ですが。

 すてきなお手紙をありがとう。また、私のつたない絵についても、一笑に付したりせず、きちんとしたものと汲み取ってくださってありがとう。私は、それだけで、姫に、恥を忍んで、自分の非才をひけらかすようなことをしたことを、後悔せずに済んでよかったとおもった……、ああしてかかなくてもいい恥をわざわざかいて、姫の御手をわずらわせるなどという甚だ不適切なことをしでかしてしまったのは……ああ、言い訳をさせてください。そうでないと、僕は……

 僕はハッキリ申し上げて、めらめらとした嫉妬を感じていました。こんなこと、女性に向かって吐きつけるのは、もう、男としては最低の、かっこ悪いふるまいですよね。でも僕は、それでも構わない。あなたに、どのように、嫌われようと、男らしくない! とおもわれようと構わない。僕はあなたに、もうもう、全てをさらけ出したいような気持ちでいるんです。

 あなたの絵を拝見したとき。負けた! とおもった。正直に申し上げているのです。あなたの絵には、とうてい敵わないとおもった。僕が、逆立ちしても、これから何度生まれ変わったとしても、どんなに僕が、あなたのような絵を描きたいと心から望んでも……それはとうてい叶えられない望みでしょう。あなたの絵は、宮中の画工などが一束で掛かってきても、ちょっと敵わないようなところがある。なんというか、唯一無二なのです。あんな筆致は、僕は見たことがないし、しかし、一見即了解、と言うべきか、それが素晴らしいものだということは、分かってしまうんですね。

 で、あるからこそ、あなたが、そのようなものを、僕以外の人に見せつけていると知ったとき……その時の、飢えるような、喉の奥をかきむしって、そのまま血を吐いて死んでしまいたいようなくるしみ、僕のあの時のくるしさ……あなたのような人には、到底分かり得ないことでしょうね。もちろん、分かる必要など無いに決まっています。あなたという人は、どこまでも清らかで、うつくしさばかりしか知らないような人なのだから……でも、そういう人に、僕のような、きたならしいかたまりのような男のことも、少しでいいから知っておいてほしい。なんだか、そんな、嫌がらせのような、いじわるめいたことも、考えてしまうんですよ。

 僕はすっかりあなたのとりこになってしまった。あなたのような人は、どこを探しても見つからない。

 試しに羅列してみようか?

 いや、そんなことは意味がないだろう。あなただって、同じことをたくさんの人から言われつけているだろうし、食傷気味ですよね。

 とにかくあなたはすべてがすばらしい。僕たち男は、まあ、はっきり言えば、”そういうふうにおもいこんで”女性に、せっせせっせと手紙を送る。別の女性の話なんか持ち出してごめんなさい? しかし、僕たちはやっぱり、その一人ひとりの女性を、すばらしいものと決め打ちして、交流を持つ。その決め打ちに、ぴったりと来る人なんて、居やしないよ。本当のところはね。他の人はどうだか知らないけど、僕の場合は、ずっとそうだった。

 今の僕の奥さんだって、こんなこと言ってはあれだけれど、お互いが、本当に好きあってむすばれたわけではない。あなたにならみんな正直にしたいから話すが……

 あなたから頂いた手紙。頂いた当時は、どうしたらいいか、とほうに暮れ、困っているばかりだった僕だったけれど……

 もう、これは絶望だな、とかね。ああ、すべてが終わってしまった。とかさ。

 あなたに嫌われてしまった。ああいううすぎたない、お目汚しをするというのが容易にわかるはずなのに、それにもかかわらずそれを決行してしまう、品のない男だとおもったよね。でも……これだけは知っておいてほしかった。

 僕はあなたの信奉者である。その、他ならぬ君に、僕の捧げられるもの、なんでも見せてしまいたい、いいや、見てほしい……という、いささか傲慢な考え方。そしてそれを見たあなたが、どんな反応を示すか……あなたのような人を試すようなまねをして、だからこそああいった、しっぺ返しを食らったとき、正直、やられた! とおもったよ。

 あの手紙をはじめにもらったとき、がくぜんとした。送った手紙を添削してよこしてくるなんて! こんな目に、ああいいや、こんな仕打ちを……だけど、今では理解できる。僕はあなたに歓迎を受けたのだと。あなたは僕の歌を添削してくれた。そんなこと、他の女の人から一度もされたことがなかったから、ほんとうにびっくりしたけど……でもね、こんなことを、一体誰が、されるなどと想像できる? 試しに、まわりに訊いてみたりもした。もちろん、そんなことはされたことがないと、誰もが首を振ったよ。いちいちそれを確認しながら、しかし僕は幸福だった……だって、姫、他ならぬあなたに、ここまで心を砕いてもらった男が、この都のいったいどこにいる? 僕は、それをおもうだけで……

 とにかく、手紙をありがとう。僕は今、じゅうぶんに温かい、充足したきもちでいっぱいです。あなたに出会えなかったらとおもうと恐ろしい。なぜなら……」

「なんだこりゃ?」姉は薄様紙を自身の正面に広げ、目を白黒させた。「すさまじいものだな、これは……」

「もうお返事を書いたりしないわ」妹は断言するように言った。「キリがないもの。こういうことをしていても」

「でも、彼らは、こういうことこそをしたいんじゃないの?」

「そうですか」妹はそっけなく感情の乗らない返事をして、「それならば私はどうしたらいいの?」

「このところお父さんからの締め付けが厳しくてね」姉は言った。「そろそろ……どうにかならなければ」

「どうにかってどういうこと?」

「そう突っかかるなよ」

「つまり、この五人の中から、どれでも好きなものをひとつ、さっさと選べって?」

「そう理解してもらえれば、話が早いね」

「何故よ」妹は姉をまるで、軽蔑に値するものであるかのように不審の目をして見つめた。「何故結婚なんか」

「あー」姉はその憤りを引き取って、「まあ、まともな家の女ならば、当然なんじゃない?」

「あ?」

「それとも宮中へ給餌にでも出掛けるか?」姉は妹の方を見ることなく、「まあ、それもいいかもしれないね。一緒に出仕しようか」

「お姉さん、ほんと?」

「その代わり、あなたのその面おもてを多数の人間に見られることになるけど」姉は少し笑った。「それでも構わないの?」

「そんなこと」妹は片頬をやや不自然につりあげた。「どうでもいい、さまつなことよ」

「そうかな?」姉は、公達からの妹への手紙をその辺に放った。「温室育ちの君には耐えられないだろうな。どこかの御大は、女房仕えほどすばらしい商売はないと書いているけど、それでもすべての宮仕えの女性がそう感じているわけでもない。中には、そのみのうえを恥ずかしく、耐え難いとおもっている人もいるだろう」「そんなの他人の勝手だわ。私がどう感じるかなんて、あなたに関係があるの?」「他に替えようのない、あなただからこそ心配しているんだよ」「口先で何を言っても駄目よ。お姉さんの魂胆なんてみえすいている」「君は、ことあるごとにそうやって、魂胆、魂胆と言うが」彼女は嘆息を漏らした。「僕にどう言わせたいの? 僕がどういう”魂胆”を口に出せば、君はまんぞくなわけ?」「だから、それは……」妹は目に力を込めて姉を見つめ、その水っぽくなった眼球をぎらぎらさせた。「あなたは、私を、利用して……」「利用して?」姉はその言葉に特に心乱された様子もなく、言葉を促す。「利用して、別の人、私とは違う人に会おうとしているのよ」「別の人?」「惚けちゃって。冗談じゃないわ、なぜ私が……」「以前、同じようなことを言われたような記憶があるけど」「あんな男の話、しないでよ!」感情的になって、妹が高い声を出す。「あんな男……あんな男のために、私はしたくない結婚なんかしたくない」「だから、無理にしなくてもいいと言っている」「仕立てたのはあなたたちじゃない。確かに私は、きょうりょくすると約束したわ。都で暮らすには、お金だけあればいいということではないというのも分かってる。今まで育ててくれたご恩返しに、お父さんやお母さんに、それ相当の地位を与えてあげたいということ……そういうことのためだったら、私はそうするべきだとすらおもった、それは義務だと、でも、あの男だけは……」妹は唇を噛んで、口をついて出てきそうになる言葉を飲み込んだ。「お願い。あの男のためじゃないと言って。お姉さんは、私と、それから他ならぬお父さんやお母さんのため、それに自分のために、宮中での生活を始めたいと言って。そうしたら何もかもがまんできる。嫌な男の一人や二人……」「だから、嫌なら、断れよ」「どうせ私はまともじゃないわよ」すっかり興奮しきった彼女は、みゃくらくなく、汚いものを吐き出すように言った。

「……何?」

「まともじゃないから、お姉さんの手をこうして煩わせるのよね。すべき人がすべきことをしないことくらい、非難されるのは当然のことなのに」

「そんなこと、誰も言ってないよ」

「いいえ、言われているのと同じよ。どうせ私は女房働きもできないようなでくのぼうですからね」

「僻むなよ」

「お姉さんのように、女から自由になるために男になって人前に出る度胸もなくて、でも結婚はしたくなくて、でも親孝行はしたくて、なんて、そんな都合のいい話はないわね。分かっているわ。でもね」

「分かった、分かった」

「あの男に会うためじゃないと約束してよ!」

「分かった、分かったよ!」姉はとうとう根負けして、彼女の言葉を制するように言った。「あの人のためじゃない。この一家のためだよ」

「あの人とか言わないで」

「面倒くさいなあ」

「面倒くさいとか言わないで!」

 完全に気が高ぶっている彼女は感情的に叫んだが、姉は片耳に指を突っ込んでそれに抗議のしぐさをするだけに留めた。

 妹はそのまま黙り込んだ。彼女は若干の倦んだ感情の飲み込みながら、静かに言った。

「じゃあ、このまま話は進めていいんだね?」「……………」「五人のうちから、ひとりをえらべるんだね?」「…………」「……聞いてる?」「……………」

 姉は肩をすくめた。

「いいの?」

「………………」

 妹は答えない。


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