永遠のまどろみを

糸守

思い出したくなかったこと

 こんな夢を見た。


 私はリビングのクッションに座ってくつろいでいた。


 そこへ一匹のスズメがやってきた。

 スズメといっても柄は夜鷹のような迷彩で、地味な茶色だったし、何よりぶくぶくと太っていて拳ぐらいのサイズだった。


 窓から入ってくる日差しによって作られた陽だまりに、ポツンとそいつはいた。


「久しぶりだな、今まで何していたんだい」


 と聞いてもこちらを向いてはくれない。

 そういえば鳥は喋らないな、と思った。


 鳥は口をぱくぱくさせながら虚空を見ていた。

 アホ面をさげて何がしたいんだろう。

 頬杖をついて鑑賞していると、急にこっちをぐるんと顔を向けた。


 どんな表情をしていたかはもう思い出せない。

 ただ笑っているわけではなさそうだった。


 そして私のクッションに登ってきた。

 少し後ろめたかったので、私は鳥にクッションを譲った。


 私が座っていた直後なので、クッションには私の跡がついている。

 それが気に入らないのか、単にクッションを自分にフィットさせようとしているのか、鳥はクッションを踏みだした。

 ズッズッとクッションが動く音がする。


 満足したのだろうか、クッションに鎮座したと思うや否や、グッという鳴き声をあげて数個の卵を産んだ。



 そう、卵を産んだのだ。



 ちょっと待ってくれよ、と思った。一匹しかいないのに卵を産むものなのだろうか。


「お母さん、なんでこいつは卵を産んだの?」


 母親はパタパタとスリッパの音を立ててこちらにきた。

 まあ、と声を漏らしていたが、すぐに私の方を向いて、


「鳥はね、オスがいなくても卵を産むことができるのよ」


 と言った。

 なんとなくそういうような気がした。


 すると、鳥はその卵を温めはじめた。

 クッションを巣としているのだろうか。

 私たちをきっと睨んできた。


「オスがいないのに子供は産まれるの?」

「鳥はね」


 へぇ、知らなかった、と答えるといつのまにか母親はどこかに行ってしまった。


 途端に鳥はどんどん息遣いが荒くなっていく。

 産まれるのかな、と私は体操座りにして見ていた。



 静寂が訪れた。

 お母さんになったんだぞ、と鳥に伝えようとした。

 鳥は荒い息どころか、もう息をしていなかった。



 疲れているのではなく、死んだのだ。



 そう感じさせるものがあった。

 やってしまった、私のせいだ、と反射的に思った。


 母親は私を見たら何を思うのだろうか。

 きっと私が鳥を殺したと思うに違いない。

 母親になんて言えばいいのだろう。


 わざとじゃない。

 私のせいではない。

 もしかしたら生き返るかもしれない。

 勝手に死んだ。


 醜い言葉が、胸の内からマグマだまりの気泡のように浮かび上がってくる。

「絶望」は「望み」を「絶つ」と書くが、まさに望みが絶たれていた。

 もう終わったんだ、と思った。


 そんな絶望の静寂を壊すものがあった。


 パカリ、と卵から音がしたのだ。

 急いで卵を見ると、亀裂が入っていた。

 パカリ、パカリとどんどん亀裂が入っていく。

 産まれる、これは見なくてはいけない。



 そして亀裂が卵を一周して、子供が顔を出した。


 どぶみたいな色をした汚い鳥だった。


 それでも産まれてよかったね、と思ったところで私は目を覚ました。





 今までで1番目覚めが良かった。

 それは夢を見ていたのではなく、回想をしていたかのように感じたからだろう。

 頭の中がクリアで、一切の曇りがない晴天のようだった。

 夢と現実のグラデーションの中間部のどこを切り取ってもどちらでもないのだ。

 今までに感じたことのない不思議な心地でしばらくぼーっとしていた。


 気づかなければ幸せだったのに、人というものは不意に、自分を第三人称の目線から見つめて、この状態になったのはなぜだろう、と疑問に思うことがある。

 厄介な生き物だろう。

 俯瞰しなかったら幸せだったことなど、数えきれないほどあるのに。


「なぜこんな夢を見ていたのだろう」

 幸せを粉々に砕いたそんな疑問が、胸の内からマグマだまりの気泡のように浮かび上がってきた。




 そこで今まで胸の奥底に押し込んでいた、セキセイインコのことを思い出した。




 私が数年前踏んづけてしまい、死んでしまったセキセイインコ。

 レモンのような色の美しい鳥だった。


 死んで数ヶ月は私の消化系がやられた。

 思い出して、と言わんばかりに、いまだに腹を壊すことがある。

 だから辛いものは当分食べられていない。


 生きていた頃は、セキセイインコのための餌である穀物の殻を少し庭に撒いていた。

 するとスズメが大量にやってきて、おこぼれをいただきに来るのだ。

 セキセイインコは穀物の中身しか食べないが、スズメは穀物の殻も食べるらしい。


 そんなことを毎日続けると、普段はどこか別のところにいるスズメたちも、朝は大量にうちの庭に発生するのだ。

 その姿にいつもパブロフの犬の話を思い出していた。


 まだセキセイインコが生きていた頃は目覚ましなどいらなかった。

 なぜならスズメたちが餌を求めて鳴いているからである。



 踏んづけたセキセイインコは踏んだ衝撃により内出血で死んだ。

 もう視界が濁って何も見えない私に、腹部を触るとぶよぶよしており、血が溜まっているのだ、と獣医は静かに告げた。




 セキセイインコのことを思い出した時、私は初めて汗で背中がびしょびしょになっていることに気がついた。

 この量だと、寝ている間も汗を相当かいていたのだろう。


 ベッドから飛び起きた。

 ただただ不快で、セキセイインコへの申し訳なさをまた思い出して胸が苦しかった。



 だが不思議と肩は軽く、体調は極めてよかった。

 頭の中がクリアで、一切の曇りがない晴天のようだった。


 


 それは休日の7時50分のことであった。

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永遠のまどろみを 糸守 @Itomorizake

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