第3話 隠された才能
△△ミュージックという、有名な音楽事務所がある。
その事務所がある、ビル最上階の一室に、福田優作はいた。
かつて、天才ピアニストとして、注目を集めていた人物だ。
彼は現在、プロデューサーとして名を馳せている。
若い才能を発掘しては、一流ミュージシャンへと育て上げ、世に売り出すのが彼の仕事だった。
△△ミュージックは、彼なしでは、ここまで大きな会社にならなかった。
それは誰もが認める、周知の事実であった。
そんな彼は時折、まだ駆け出しの、素人ミュージシャンの動画を見る事がある。
才能ある原石を、探すためだ。
これまでにも、気になったミュージシャンには、何度か声をかけた事がある。
この日は、たまたま『日本一下手くそなストリートミュージシャン吉沢陸』という動画を見つけた。
ちょっとした、好奇心だった。
気になった福田が、クリックしてみる。
『あ、あ、逢いたい〜♪ た、たー、ただ、逢いたい〜♪』
福田は、首を捻った。
確かに下手だ。
歌もギターも、聴けたものではない。
しかし何だろう、この違和感は。
福田は椅子に深く座り直し、ヘッドフォンを用意し、じっくりと聴いてみた。
目を閉じ、陸の歌声に集中する。
やがて、気付いた。
これは、上手く言葉が出せないだけではないか?
声自体は、非常に高くて美しい。
演奏は、約三分ほどだった。
最後の方に『君は〜』と、声を張り上げるフレーズがある。
ここで福田は、思わず立ち上がった。
『は』の母音は『あ』になる。
この『あ』だ。
福田が驚いたのは、この一音だ。
——何だ、これは?
福田は、ゾクリとした。
腕から背中、首筋から顎の辺りまで、鳥肌が立った。
まるで、電流が駆け抜けたような衝撃に、立っていられなくなったのだ。
こんな感覚は、今まで感じた事がない。
福田は、動画を何度も繰り返し、再生した。
その度に、深く唸った。
そして彼は、思いついたように、五線譜を用意した。
おそらく、陸が演奏しているであろうメロディを、書き起こしてみたのだ。
陸の左手の指の形を見て、コードも推理してみた。
しばらくして、サビの部分だけだが、譜面が完成する。
いくつか間違いはあるかもしれないが、八割、九割は合っているだろう。
早速、福田は電子ピアノを用意して、陸の曲を奏でた。
……涙が溢れた。
これほどまでに美しく壮大なメロディは、世界中を探しても、そうは無いだろう。
心に沁みるというより、心を強く掴まれ、揺さぶられるようだ。
福田は、陸について調べてみた。
SNSに陸の情報が、いくつかあった。
どうやら彼は、重度の吃音症と、右手が震える障がいがあるらしい。
なるほど、と福田は深く頷いた。
福田は腕組みをして、目を閉じた。
もし、それらの障がいを取り除けば……?
福田は、自分でも驚くような、無謀な考えが頭に浮かんだ。
それは、ある一定期間、陸をアメリカに行かせるというプランだ。
最新の医療技術で、彼の手の震えを治す。
吃音症は、言語特訓、心理療法によって改善する事が出来るだろう。
そして一流の講師に、歌唱とギターのレッスンを受ければ、彼はその才能を発揮するのではないか?
先ほどの陸の曲の中に、一つ、とんでもなく素晴らしい音があった。
この一つの音を、一パーセントとしたならば、それを十パーセント、二十パーセントと上げていく。
いつか百パーセントになった時、彼は間違いなく、日本を代表するアーティストになるだろう。
いや、世界トップクラスの位置まで、登りつめるかもしれない。
だがしかし、やはり机上の空論だ。
願望が含まれた想像だ。
確信などない。
それは勿論、福田も理解している。
そもそも、壁が多いのだ。
彼が、アメリカ行きを拒否する可能性も、十分に考えられる。
行ったとしても、彼は異国の地で、ずっとやっていけるだろうか。
また、彼の生活費、レッスン料、医療費、それに通訳も雇うなら、かなりの額が必要になる。
仮に一年だとしても、ゆうに一千万円は超えるだろう。
それを、会社が出すだろうか。
まだデビューもしていない、それどころか日本一下手くそとまで呼ばれる彼を、バックアップするだろうか。
ふぅ……。
福田は、とうとう深い溜息をついた。
社長に直談判してみるか。
これまでの自分の実績、会社への貢献度を考えれば、無下に断りはしないだろう。
もしも会社が渋るようなら、自分の貯蓄を崩してでも、彼に賭けてみるか。
福田は悩んだ。
諦めようとしても、その都度、陸のあの一音を思い出す。
ふと、時計を見た。
夜の八時を回っている。
もう五時間も、悩んでいた事になる。
福田は重い足取りで、窓ガラスを開けた。
夜風にあたり、深呼吸をしてみた。
気持ちを落ち着かせると、窓を閉めて椅子に座り直した。
ここで再度、陸の動画を見る。
改めて、陸の突き抜ける一音を聴いた瞬間、福田は力強く立ち上がった。
彼は社長室へと急いだ。
◇ ◇ ◇
夜七時。
今夜も始まろうとする、陸の路上ライブ。
そこへ、電動車椅子に座る美月が、姿を見せた。
「こんばんは、陸君」
陸は、美月を見て、軽く手を上げ微笑んだ。
美月は、意味ありげな笑みで陸に近づく。
「陸君、これあげる」
美月が陸に手渡した物は、二頭身の可愛い男の子の人形だった。
掌に収まるくらいのサイズ。
大きな頭と、大きな胴体、ちょこんと両手両足がついている。
よく見ると、プラスチックで作られたギターが、お腹の部分に張り付いていた。
「こ、これは……?」
陸が、美月に顔を向ける。
「実は、一ヶ月前から作ってたんだ。陸君に、そっくりでしょ?」
美月が笑うと、陸もつられて微笑んだ。
「あ、ありがとう。だだ、大事にするよ……」
ジャラーンと、ギターを鳴らし、本日の路上ライブかスタートした。
ふいに美月は、五十代くらいの男性の存在に、気付いた。
少し離れた場所で、腕組みをし、じっと陸を見つめている。
美月は、不思議に思った。
ほとんどの人は、クスクス笑いながら見ているのに、彼は目を閉じて真剣に聴いている。
時折、顎を動かして、リズムも取っているようだ。
陸の路上ライブは、歌だけで、喋る事はない。
いつも、十曲ほど歌うと終了する。
曲のリストは、オリジナル曲とカバー曲が、半分ずつだ。
時間にして、一時間弱。
やがて路上ライブが終了し、陸が機材を畳んでいると、例の男性が話しかけてきた。
「ちょっと、いいかな? 吉沢陸君」
陸と美月が、男性に顔を向けた。
「僕は音楽関係の仕事をしてる、福田という者なんだけど。ちょっと、話があるんだ」
陸は、困惑した表情を見せた。
一方、美月は警戒した目を向けた。
「あの、失礼ですけど、名刺を頂けますか?」
美月が、険しい顔をして言った。
そんな美月を見て、福田は驚き、眉を吊り上げた。
途端に笑った。
「はははっ。大丈夫だよ。詐欺とかじゃないから」
福田は財布を出して、そこから名刺を二枚、陸と美月に手渡した。
名刺を確認する美月は「えっ……」と、声を漏らした。
「福田優作……。あの古木アキナをプロデュースしていた、ピアニストの方ですか?」
「ほう、よく知ってるね。確かに数年前まで、彼女と一緒に仕事をしていたよ」
美月は、思わず顔を綻ばせた。
「私、古木アキナさんのファンなんです!」
福田は「そうなんだ」と、笑顔で答えると、陸を見た。
「そういう訳で、陸君。僕は一応、ちゃんとした音楽事務所の人間だからね」
陸は、やや背筋を伸ばし、コクンと頷いた。
「……ちょっと、二人だけで話せないかな?」
福田はそう言って、陸と美月を交互に見た。
陸は、美月に声を掛けた。
「み、み、美月ちゃん。ちょ、ちょっと待っててくれる?」
「うん……分かった」と美月。
二人は、近くにある噴水を背にした石製ベンチに座った。
福田が、コホンと一つ咳をすると、陸の震える右手に着目した。
「その震えは、いつからだね?」
「あ……ち、小さい頃から、ず、ずっとです……」
「病院には行ってる? 震えを止める薬とか、無いのかい?」
陸は、少し困ったような顔をして答えた。
「い、以前は行ってましたけど、よ、よ、良くならないから、さ、ささ、最近は行ってないです……」
「吃音症も、子供の頃からずっと?」
「は、はい」
「吃音症の人でも、歌う時は吃らない人が、多いみたいなんだけどね」
「は、はい。カ、カラオケとかは平気です。でで、でも、ギターで弾き語りすると、ど、ど、吃ってしまうんです……」
福田は二、三度、小さく頷いた。
「なるほどね。自分で全ての音、リズムを作り出すわけだからね。きっと気持ちが、構えちゃうんだろうね」
福田は、続けて話しかけた。
「ところで君は、どんな音楽を聴いてきたんだい?」
「え、えっと……い、色々です。す、すす、好きなのは昔の洋楽、あ、あとクラシックも……」
これには福田も、大いに納得した。
あの美しく壮大なメロディは、クラシックの影響があるのだろうと。
「君の動画を見たんだが、逢いたい〜って歌うバラード、あの曲名は?」
「あ、あ、あれは『君は路上の月』と言うタイトル……」
福田は、また小さく頷くと、遠くにいる美月をチラリと見た。
「根掘り葉掘り聞くようだけど、あの子は恋人?」
「は、はい」
「そうか……大変だな」
一瞬、大変だなの意味が分からなかった。
だがすぐに、美月が車椅子を使っているからだと、察した。
「今、仕事は?」と福田。
「ぶ、物流センターで、に、荷物の仕分けをしてます」
「なるほどね」
それなら多少、手が震えても、業務に支障はないだろう。
数秒間の沈黙の後、福田は「これから大事な事を言うよ」と前置きをした。
福田は、真剣な顔つきになった。
先程までの穏やかな雰囲気が、影をひそめる。
その表情を見て、陸は緊張の色を強めた。
「……陸君、君には才能がある。それも、とてつもないほどの才能が。その声だ。高くて美しくて、人の心を揺さぶる事が出来る。僕は、その声を世に広めたいんだ」
陸は、驚きのあまり、言葉を失った。
目を白黒させて、福田を見返す。
「しかし残念な事に、致命的な障がいが、君にはある。そこで、それらを取り除いて欲しいんだ。そして、歌と演奏のレッスンも受けてほしい。アメリカで」
あまりにも、衝撃的な内容だった。
陸は愕然とした。
「……詳しく言うとだね、アメリカで、最新の医療技術を受けてほしい。それで手の震えは、無くなるはずだ。吃音症も、訓練とカウンセリングで良くなるだろう。そして、プロの講師とマンツーマンで、歌唱とギターの演奏を磨いて欲しい。期間は一年間。事務所の社長や役員達と協議して、そうなったんだ。もちろん、費用はこちらが全額負担する。どうだね?」
陸は、いつの間にかポカンと、口を開けていた。
やがて、遠くにいる美月に、視線を送った。
福田も、つられて美月を見た。
陸の心情を察した福田が言った。
「一年間、あの子には会えなくなる……。もちろん、家族や友人にもね」
福田は、表情を固くし、話を続けた。
「だから、無理にとは言わない。だが、もし君が一流のアーティストになりたいというのなら……考えて欲しい。今すぐに答えを出せとは言わないよ。しっかりと考えて、決心がついたなら、名刺にある僕の携帯に、連絡してくれ。もちろん、渡米の前には、君のご両親に誠意を持って、しっかりと説明をさせてもらうつもりだ」
福田は、胸の内を全て伝え終えた。
肩の荷が降りたように、小さく吐息を吐くと、立ち上がった。
「それじゃあ、失礼するよ」
そう言って振り向いた福田の目は、あとは君の気持ち次第だ、と語っていた。
福田が歩き出すと、陸も立ち上がった。
福田は駅へと向かう途中、美月と目が合った。
軽く会釈をする福田。
美月も同じように、会釈をした。
そこへ、陸がやって来る。
「……陸君、何の話だったの?」
「な、なんか色々と……。みみ、美月ちゃん、あ、明日の路上ライブには来てくれる?」
「うん、もちろん」
「じゃ、じゃあ明日、話すよ。きょ、今日はもう帰ろう」
「うん、わかった。明日ね」
陸は、美月の車椅子を押して、駅へと向かった。
アメリカ……。
一年間……。
陸は歩きながら、福田の言葉を反芻していた。
つづく……
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