第2話 再会

 今夜も、陸の路上ライブが始まった。


「あ、あ、逢いたい、た、たー、ただ、逢いたい〜♪」


 言葉がすぐに出ず、何度も繰り返してしまう。


 ギターのコード音も、ハッキリしない。


 相変わらず、陸の演奏は、道行く人に笑われた。



 曲が終わるとピックを咥え、両手を揉んだ。


 四月にしては、指先が凍るほど寒かった。



 すると突然、陸は驚きの表情を見せた。


 咥えていたピックが、ポロリと落ちる。




 美月が現れたのだ。


「陸君……だよね?」


 車椅子に座る美月は、白いニットのセーターに、フワリとしたスカートを履いている。



 陸は感慨深そうに、美月を見つめた。


「み、み、美月ちゃん……」


 二人が会うのは、三年ぶりだった。


 小学生の頃は、よく遊んだ陸と美月だが、中学生になり思春期を迎えると、二人の間に微妙な距離が生まれていた。


 そして、二人の仲を完全に裂く出来事が、起きてしまった。



 中学三年の夏だった。


 下校中の美月が、、信号無視の車に跳ねられてしまったのだ。


 その後、美月は車椅子生活になってしまった。


 陸は度々、病院に訪れたが、美月は会おうとしなかった。


 絶望に、打ちひしがれていたからだ。



 それに、こんな姿を陸に見せたくない、という思いもあった。


 美月は退院してからも、陸とは距離を取るようになった。


 高校も別々になり、二人が会う機会は、完全になくなってしまった。




「久しぶりだね、陸君。路上ライブ、凄いね。ハンデがあるのに、頑張って演奏して……偉いよ、陸君」


 陸は少し照れて、眉のあたりを掻いた。


「や、や、約束……だから……」


「約束?」



 そこへ、ノソノソと小松がやって来た。


 いつものように、三脚スタンドを立てると、カメラをセットする。


 今夜も、イタズラ動画を撮影しようとしているのだ。



 彼のバッグには、バナナの皮やブラジャー、オシッコを入れた水鉄砲などが入っている。


 今回のイタズラで使おうと、用意した物だ。




 美月は躊躇したが、意を決して、小松に近づいた。


「あのイタズラ動画を、撮ってる方ですよね?」


 小松は訝しげな目で、美月を見下ろした。


 その視線は、美月の顔に向けられ、次に車椅子に向かい、また美月の顔へと戻った。


「……だったら、何だよ」


「やめてもらえませんか? 本人は一生懸命、演奏してるんですよ。そんな事されたら迷惑です」



 小松は、ギロリと美月を睨む。


 その眼鏡の奥の眼光に、美月は怖気付いた。


「何が迷惑だよ。路上で勝手に演奏するのだって、迷惑だろうが。ちゃんと許可を取ってるのかよ?」


「それは……」


 美月は口篭った。




「それによ、この子は俺の動画で知名度が上がったんだからな。むしろ俺に感謝して欲しいくらいなんだけどよ」


 美月は勇気を出し、負けじと食い下がった。



「なんで感謝しなくちゃいけないんですか? あなたは、ただ陸君をネタにして、馬鹿にして、お金を稼いでるだけでしょ? ちゃんと陸君にも、出演料も払ってるんですか?」


 途端に小松は、激昂した。


 鬼の形相で、美月に詰め寄る。



「なんで、俺が金を払わなきゃいけないんだよ! そもそも、こんな下手くそな演奏を公共の場でやる事自体、頭いかれてるだろ! もう行けよっ! 車椅子に乗ってるからって、容赦しねえぞ!」


 美月は首を振って、小松を睨み返した。


「とにかく、もうやめて下さい!」



 美月の頑なな態度に、カッときた小松。


 とうとう美月に手を出した。


「行けって! 邪魔すんなっ!」


 美月の肩を突き飛ばす。


「きゃっ!」


 美月はバランスを崩して、車椅子ごと地面に倒れた。



「いったぁい……」


 美月が顔を上げた瞬間、不思議な光景が目に飛び込んだ。


 小松が、宙を舞っている。


「えっ?」



 陸が、小松をぶん殴ったのだ。



 吹っ飛んだ小松は、地面をゴロゴロと転がった。


 ガシャン!


 自らがセットした、三脚カメラへと、頭から突っ込む。


 その衝撃で、小松のカメラは壊れた。


 眼鏡も、何処かへと飛んでいった。



 さらに陸は、倒れた小松に馬乗りになると、拳を振り上げる。


「やめてっ! 陸君!」と美月。


 その声で我に返ったのか、拳をピタリと止める陸。



「ひっ……ひっ……ぶひっ……ぶひっ……」


 小松は、情けない声を出して、狼狽した。


 そして、フラフラしながらカメラとバッグを掴むと、一目散に逃げ出すのだった。




 小松がいなくなると、陸は倒れた美月と車椅子を、起き上がらせた。


「だ、だ、大丈夫?」


 美月の顔を、覗き込む。


「うん、平気」と、前髪の乱れを整えた美月。



 しかし、人が行き交う駅前の広場で、これだけの事が起きたのだ。


 当然、通行人達の注目を浴びた。



 その中の一人である中年女性は、交番へと駆け込んでいた。


 中年女性の話を聞いて、交番から出てくる警察官。


 陸達のいる場所から、その交番が遠くに見える。



 気付いた美月が、焦った。


「陸君、大変! 警察官が来る!」


「えっ……!」


「早く逃げよっ! ギター貸してっ! ギターのケースも!」



 陸は、素早くギターと、ソフトケースを美月に預けた。


 マイクやアンプなど、機材は右手に、そして左手で美月の乗る車椅子を押した。


 二人は協力して、その場から急いで立ち去るのだった。




 直後に、警察官がやってくる。


 しかし、陸達が逃げた後だった。


 警察官を呼んだ中年女性も近づく。


「おかしいわね。ここで男の人達が、喧嘩してたのに……」と、周りを見回した。



 ふと警察官は、何かを見つけた。


「おや?」


 そこには、小松が用意したバナナの皮や、ブラジャー、オシッコ入りの水鉄砲が落ちていた。


 警察官は怪訝な顔をして、首を傾げた。


「何だ、これ……?」





 ◇ ◇ ◇





 陸と美月は、駅から離れた団地までやって来た。


 後方を確認する美月。


「大丈夫だよ、陸君。誰も追って来てないよ」


 陸は、やっと足を止めた。



 重い機材を持ち、美月の車椅子を押し続けた陸は、疲れ果てた。


 前屈みになり、ハァハァと、荒い息を繰り返した。



「陸君、大丈夫?」


「う、うん……」


 息を整え、陸が顔を上げた。



 美月は、背もたれに掛けてあるバッグを開けた。


「はい、これ差し入れ」


 美月は、温かい缶コーヒーを、陸へと差し出した。


「陸君に会う前に買ったの。色々あって、渡しそびれちゃった」


「あ、ありがとう」






 その後、二人は団地に隣接している、広い公園へと移動した。


 きっと昼間は、団地の子供達で賑わっている事だろう。



 ベンチに座った陸に、美月が問い掛けた。


「ねぇ、陸君。陸君が今、ネットで話題になってるんだけど……知ってる?」


 陸は、首を振った。


「し、知らない。てて、手が震えるから、ス、スマホもパソコンも、あ、ああ、あんまり触らない」



「そっか。さっきの男の人に、いつもイタズラされてるの、気付いてた?」


「……き、気付かなかった。え、え、演奏に集中してるから。で、でで、でも、おかしいとは思ってた。ポ、ポケットに入れ歯とか、は、鼻をかんだティッシュとか、へ、変な物が入ってたから……」


「信じられない……酷いね、あの人」と美月は、呆れた顔をした。





 ふと美月は、陸が拳を気にしている事に気付いた。


 小松を殴って、痛めたのだ。


「手、痛いの?」


「ちょ、ちょっとだけ」


 心配そうに見つめる美月。



「……でもビックリしちゃった。陸君が、あんなに怒るなんて」


「み、美月ちゃんが……」


「私が? 何? あの人に突き倒されたから?」


 陸は、コクリと頷いた。



「そう……。ありがとう」


 美月は、意味ありげに陸を見つめた。




 その直後、美月は思い出したように、プッと吹き出した。


「でも、あれだけ懲らしめたら、きっともう来ないよね、あの人。なんかブヒッ、ブヒッとか言ってたよね」


 美月の笑い顔につられて、陸もクスッと笑った。




「あっ、そう言えば……」


 美月が、眉を吊り上げた。


「路上ライブ、頑張ってるねって言ったら……陸君、約束だからって言ったよね? あれって……」


「みみ、美月ちゃんと、しょ、小学校の時にした約束……。ギ、ギターで路上ライブするって……。み、み、美月ちゃんがファンになるって……。お、覚えてない?」




 美月は、暫く黙った。


 やがて苦笑いを浮かべ、首を捻った。


「そんな事あったかな。ごめんね、忘れちゃった……」




 その言葉は、陸を落胆させた。


「そ、そっか……」と、露骨に悲しそうな顔をした。


 しばらく、押し黙ったままの陸。


 その様子を見て、美月は、ためらいながら声をかけた。



「……陸君?」


 美月の声に、陸は作り笑いを浮かべて、何でもないと首を振った。





 ◇ ◇ ◇





 この出会いをきっかけに、美月は度々、陸の路上ライブへと足を運ぶようになった。


 もともと、陸が路上ライブをしていたのには、大きな理由があった。


 約束を果たすのもそうだが、いつか美月に会えるのではないか、という期待だ。



 その陸の願いは、叶ったのだ。


 しかも、頻繁に路上ライブに来てくれる。


 陸にとっては、とても幸せな時間だった。



 ちなみに、小松はと言うと、全く姿を見せなくなった。


 陸に吹っ飛ばされて、恐怖を抱いているからだろう。





 ——季節も春から夏へと進んだ、ある日の事。


 陸と美月は、古木アキナのライブへと行った。


 小学生の時、美月が陸に勧めたアーティストだ。

 


 会場は、約三千人が入るホール。


 生の演奏は素晴らしく、圧巻の一言だった。

 



 その後、夜十時。


 陸は、美月の車椅子を押し、夜道を歩いていた。


 駅から美月の家まで、無事に送り届けるためだ。



「本当、今日は楽しかった。感動しちゃったなぁ」


 美月が、先ほどのライブを思い返して、嬉しそうに言った。


「う、うん、そ、そうだね」と陸。



 美月は、陸を見上げた。


「陸君も、路上ばかりじゃなく、たまにはライブハウスとかでもやってみれば?」


 美月の言葉に、陸は苦笑した。



「ぼぼ、僕、下手だから……。ラ、ライブハウスの人に、こ、断られるよ」


「でも、陸君の歌声って、高くて綺麗だよ。声量もあるし。一曲の中で、凄い良いなって思うところが、いくつかあるよ」


「あ、ありがとう。お、お、お世話でも嬉しいよ」


「お世辞じゃないよ!」



 そう言って、再び美月が顔を上げた時だった。


 街路樹の向こうに、光を見つけた。


 それは、月だった。


 

「あっ、満月!」


 美月が声を上げたので、陸は足を止めた。


 すると美月は、スマートフォンを取り出した。


「なんか街路樹の向こうにあって、良い感じ。綺麗に撮れるかなぁ?」


 美月のスマートフォンが、カシャッと音を出した。



「うーん、やっぱり遠いから、上手く撮れない。……そうだ、ねえ陸君、二人でツーショット撮ろうよ」


 美月の提案に、陸は思わず照れた。


「くく、暗いけど、ちゃ、ちゃんと撮れるかな?」


「大丈夫だよ、自動でフラッシュになるから」


 美月が、こちら側にスマートフォンをかざした。



 二人には、微妙な距離があった。


「陸君、遠いよ。もっと顔近づけて」


「う、うん」



 二人の顔が近距離になった時、スマートフォンに向けていた視線が、お互いの顔へと移動した。


 無言で見つめ合う、陸と美月。


 やがて、どちらからともなく、二人は唇を重ねるのだった。






つづく……


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