君は路上の月
岡本圭地
第1話 日本一下手くそなストリートミュージシャン
「やめろ、下手くそ!」
酔っ払ったサラリーマンが、飲みかけの缶ビールを投げつけた。
バコン!
それは、吉沢陸の頭に直撃する。
だが、彼は気にも止めなかった。
「や、や、や、優しく、ぼぼ、僕を照らす、ひ、ひ、人がいる〜♪」
ジャン……ジャカ、ジャカ……。
今夜も、沢山の人が行き交う駅前広場で、ギターをかき鳴らし歌う陸。
ふと、道行く女子高生達が、陸を指差した。
「何あれ、やばっ」
「下手すぎじゃね?」
複数人で歩く男子大学生達も、苦笑いを浮かべ、陸を見た。
「酷えな、あいつ」
「よく人前で出来るよな」
「騒音だよ、騒音」
他の人達も、口元に笑みを作り、ヒソヒソ話をしている。
ほぼ、同様の会話だ。
確かに、陸のギター弾き語りは拙かった。
だが、それは仕方がない。
彼には生まれつき、二つの障がいがあったからだ。
話す時に、どもってしまう吃音症と、右手が震える本態性振戦という障がいだ。
そのため歌もギターも、およそ一般人には、聴くに耐え難いものだった。
一時間後、演奏を終えて一息つく陸。
そこへ、一人の警察官が近づいた。
警察官は、険しい表情だった。
「ちょっと君。苦情が入ったから、やめてもらうよ」
一瞬、警察官と目が合うが、すぐに陸は視線を外した。
そして、飲んでいたペットボトルのキャップを締めると、陸は撤収作業を始める事にした。
「あのさぁ……」
陸が片付けていると、警察官が喋りかけてきた。
「このK駅は、ストリートミュージシャンに、とても寛容なんだけど、君のはねぇ……」
警察官は顎を触り、言いづらそうにしていたが、やがてハッキリと言った。
「ここを巡回する時、よく君の演奏が聴こえてくるんだけどさ、ちょっと音楽の才能ないんじゃないかな?」
ソフトケースにギターを仕舞う陸の手が、一瞬止まる。
だが、すぐに撤収作業を続けた。
アンプとマイクスタンドをキャリーカートに乗せると、紐で固定し、それを転がした。
陸は無言のまま、その場を後にした。
心なしか、いつもよりギターとアンプが、重く感じられた。
そんな陸と、すれ違う男がいた。
小松若也という、三十代のフリーターだ。
見た目は小太りで丸顔、眼鏡をしている。
彼は苛立っていた。
「ちくしょう、何だよ! あのパチンコ店! 遠隔操作してるんじゃねえのか!」
小松は文句を吐いた後、振り返り、パチンコ店に向かって中指を立てた。
今日、小松は二万円をすった。
それにより、全財産はポケットにある三百円だけになってしまう。
小松は、その残り少ない金を握りしめると、コンビニに立ち寄った。
素早くカップラーメンと発泡酒を買うと、とうとう文無しだ。
だが、明日は日払いの派遣アルバイト。
なんとか、食いつなげるだろう。
小松は鼻をすすると、歩きながら発泡酒を開けた。
プシュッ。
泡立つ黄金水をグビリ、ガブリと飲み干すと「んぐあっ」と地獄のようなゲップを、夜空に浮かべるのだった。
◇ ◇ ◇
次の日の夜。
アルバイトが終わった小松が、K駅から出てくる。
今日は気分転換に、普段は通らない、K駅の西口を歩いてみた。
すると広場から、酷い演奏が聴こえてきた。
「なんだこれ。音楽か?」
小松は、路上ライブをしている男性を見つけた。
陸だ。
「酷えな、あいつ……よく人前でやれるよなぁ」
眉をひそめる小松。
よく見ると、アンプに貼り紙がある。
アーティストネームを、表示しているのだ。
「吉沢……陸? ふーん」
小松が、お尻を掻きながら眺めていると「おい! 下手くそ!」と、怒鳴り声が聴こえた。
いつものように、酔っ払いに、絡まれだしたのだ。
陸の演奏は耳障りで、人の気持ちを逆撫でする効果があるのだろう。
「迷惑なんだよ! さっさと帰れ!」
男が、陸に詰め寄る。
だが陸は気にしていない。
無視されたと思った男は激怒し、側にあるアンプを蹴飛ばした。
ドガッ!
これには通行人が立ち止まり、注目し始めた。
視線を集めてしまった男は、チッと舌打ちをして、仕方なく立ち去った。
その間も、陸は演奏をやめなかった。
「……何だ、あいつ。面白い奴だな」
小松は、その一部始終を見て喜んだ。
俺の動画配信ネタに、持ってこいの逸材じゃないか、と。
小松は動画配信サイトにて、イタズラ動画を毎週アップしていた。
視聴回数、チャンネル登録者数は、そこそこ多かった。
それで小金も稼いでいた。
そして、そのイタズラ動画の内容だが、どれも酷いものばかりだった。
カップラーメンを持ってラーメン屋に入り、店員からお湯を貰って、その場で食べる挑戦もの。
髪の毛のない人の頭に、吸盤をくっつけて逃げる迷惑なもの。
女子大学の入り口に、猥褻な玩具を置き、反応を見る破廉恥なもの。
とにかく、度を超えた不快なイタズラ動画ばかりを配信している『迷惑系』と称される人物だ。
ちなみに、再生回数が一番多かったのは、交番にボーリング玉を転がして「ストライク!」と叫ぶ、とんでもない動画だった。
この動画をアップした後、小松は捕まった。
しかし、小松は懲りない。
今回も、許可なく陸の演奏を、勝手に撮りだした。
小松はすぐに、その映像を編集し、『日本一下手くそなストリートミュージシャン・吉沢陸』という動画をアップする。
続けて、陸にイタズラをした動画も配信した。
陸の演奏中、小松が背後で踊ったり、アンプの電源を切ったり、背中に落書きをしたりと、色んなイタズラを試みたのだ。
そんな事をしているうちに、小松は陸の性格を理解し始めた。
この男は、一度演奏に入れば集中して、周りが見えなくなるタイプだと。
一度寝たら、ゆすっても、なかなか起きない人の様に。
この小松の予想は、当たっていた。
陸は障がいがあり、上手に演奏が出来ない。
そのため、一度演奏を始めると、全神経を集中させるしかなかった。
演奏中に、何を言っても耳に入らないのは、このためだ。
小松のイタズラ動画は、話題となった。
アップする度、再生回数やチャンネル登録者数が増えた。
それと共に、イタズラも過激さを増していく。
三日履き続けたパンツを陸の頭に乗せたり、陸のポケットに麻婆豆腐を入れたり、遠くから犬のフンを投げつけたりと、呆れるほど酷いものばかりだった。
最初は小松と陸が、コンビでやってるんだと思っていた視聴者も、実は二人は他人同士だという事を知る。
K駅で、頑張って演奏する下手くそミュージシャンが、イタズラ動画のネタにされているとの情報が、SNSで拡散した。
こうなると、さらに視聴回数は増えた。
小松は勿論、陸の知名度も上がった。
演奏が上手いわけでもないのに、日増しに陸の周りに人が集まっていく。
ただ、それはおもしろ半分で見る人、ネタとして写真や動画を撮る人が、ほとんどだった。
◇ ◇ ◇
「ただいま」
電動車椅子に乗る、森美月が帰宅した。
美月の母が出迎える。
「おかえり、美月。大学はもう慣れた?」
「うん。バリアフリーも整ってるから、移動しやすいよ。私以外にも、車椅子の子が何人かいるよ」
「そう、良かったわね」
美月がリビングに移動すると、中学生になる妹の桃香が、ソファでスマートフォンをいじっていた。
「あっ、お姉ちゃん。おかえりー」
桃香は立ち上がり、車椅子に座る美月の後ろへと回った。
そして中腰になり、スマートフォンの画面を美月に見せる。
「何? 桃ちゃん?」
「見てよ、お姉ちゃん。さっき面白い動画、見つけたの」
桃香は、六人組・男性アイドルグループの熱狂的なファンだ。
また、その類の動画かな、と美月は思った。
しかし、今回は違った。
液晶画面には『日本一下手くそなストリートミュージシャン』と表示されている。
美月は、なんだろう? と首を傾げた。
桃香は、クスクス笑いながら言った。
「これね、路上ライブしている人に、イタズラする動画なの。酷すぎて、笑っちゃうの」
その動画は、ギターを持って演奏するに青年に気づかれないよう、背後からリボンやイヤリングをつけるという、イタズラ動画だった。
「下手でも頑張って演奏してるのにね。絶対、そのうち炎上するよ」
笑っている桃香の側で、美月は硬直する。
驚きのあまり、声が出せなかった。
なぜなら、イタズラされている彼を、美月はよく知っていたからだ。
——8年前、陸が小学五年生の時だった。
「おらぁ、陸! ギブか? ギブアップか?」
騒がしい、昼休みの教室。
身体の大きい東昌大が、陸にプロレス技をかけたていた。
アルゼンチンバックブリーカーという、相手を担ぎ上げ、背骨を痛めつけるという荒々しい技だ。
「ううう……」
苦しそうに、呻き声を漏らす陸。
すると昌大は、陸を床に降ろした。
しかし、やめたわけではない。
今度は、陸の両足を掴んで、教室中を引きずり回した。
そんな陸を見て、ニヤニヤと笑う、同級生達。
そこへ、一人の女子が駆け寄った。
「昌大君、やめなよ! 陸君が嫌がってるじゃない! 先生に言うよ!」
注意したのは、美月だった。
坊主頭の昌大が、顰めっ面で後頭部をボリボリと掻く。
「なんだよ、またお前かよ!」
先生に告げ口されては、堪らない。
昌大は大きな舌打ちをすると、仕方なく教室から出て行った。
「あ、あ、ありがとう。み、みみ、美月ちゃん……」
それは、数年前からだった。
陸の、どもる喋り方と、手が震える障がいを真似て、からかう同級生が増えてきたのだ。
特に昌大は、からかうだけでは飽き足らず、一方的にプロレス技をかけては痛めつけるという、虐めを繰り返した。
そして、それに気付いた美月が止めに入る、というのが、ここ最近のパターンになっていた。
陸と美月は、幼馴染だ。
保育園の頃から、ずっと一緒だ。
小学五年生になった今でも、二人は近所で遊ぶ事が多い。
この日も、学校が終わると、陸と美月は『秘密基地』と名付けた廃車置場に向かった。
タイヤもドアもない、錆びついたトラックの荷台に、腰掛ける二人。
ふと美月が、秋空を見つめる陸に、話しかけた。
「ねえ、陸君、音楽聴こうよ」
美月は、音楽プレーヤーのイヤホンを片方、陸に差し出した。
陸は震える右手で、受け取った。
「古木アキナっていう、シンガーソングライター。今、凄い人気があるんだよ」
二人は、イヤホンの左右を分け合い、お互い片方の耳で音楽を聴いた。
声量のある歌声と、ピアノの音色が流れた。
〜♪
陸は、音楽に興味が無かった。
シンガーソングライターの意味も分からない。
だが、耳から入ってくる歌声とピアノ、メロディ、リズム、それらに不思議な心地よさを感じた。
「私、今からでもピアノ習おうかなぁ」
ボソリと呟く美月を見て、陸が言う。
「ぼ、ぼ、僕もやろうかな……?」
美月は、意外そうな顔を陸に向けた。
その顔が笑みに変わる。
「本当? でも陸君は、ギターの方が似合いそうだよ。私、K駅でギター弾きながら歌ってる人、見た事あるんだ。それ、路上ライブって言うらしいよ。かっこいいよ」
「……も、もし僕がそれ、やったら、き、き、来てくれる?」
「絶対行くよ! 陸君のファン第一号になるよ!」
「じゃ、じゃあ、僕、ギギギ、ギター買わなきゃ」
「えーっ、気が早いよ、陸君! あはは」
白い歯を覗かせる美月。
直後に、空を見上げた。
「あれ? もう暗くなってる」
いつの間にか日は沈み、夕闇が訪れていた。
「陸君、そろそろ帰ろうよ」
「う、うん」
二人は、トラックから飛び降りた。
そして、歩き出した瞬間、美月は「わあっ!」と感嘆の声を上げた。
「見て見て、陸君! 満月だよ!」
「ほ、ほ、本当だ……」
夜空の向こうに、丸々とした光が見えた。
——その時。
どこからともなく、優しい風が吹き抜けた。
ふわりと広がる、美月の黒髪。
キラキラと揺れる眼差し。
ふと陸は、その手を握りたくなった。
◇ ◇ ◇
ビーン……。
寒空の下、ギターのチューニング(音の高さを調整)をする陸。
今日も駅前にて、路上ライブを行おうとしていた。
そこへ、大きな影が近づいて来る。
「……陸か?」
どこかで聴いた、男の声。
その声には、懐かしさと共に、胸が締め付けられる様な嫌悪感があった。
陸は、名前を呼ぶ人物に顔を向ける。
声の主は、かつて小学校の頃に陸を虐めていた、東昌大だった。
やはり、と陸は思った。
昌大は、別の中学校へ行ったため、会うのは実に六年ぶりとなる。
「……陸だよな」
二度目の呼びかけに、陸は少しだけ頷いた。
すると昌大は、口の端に笑みを作った。
「お前、今、ネットで有名じゃないか。悪い意味で。本当、良くやるよな」
この威圧感。
息が詰まりそうな、空気感。
あの頃の恐怖、悔しさ、情けなさが蘇る。
「お前、そんな下手くそな歌うたって、恥ずかしくないのか? まさか本気で、デビューしたいとか思ってるんじゃないだろうな?」
昌大は呆れたように、鼻で笑った。
「もう十八歳だぞ。現実見ろよ。頭、大丈夫か? 脳みそ腐ってんじゃないのか?」
その時、昌大の後ろで、二十代の女性二人が足を止め、ヒソヒソ話を始めた。
(ねえ、あのギター持ってる人って、あの動画の人じゃない?)
(ほんとだ。結構イケメンじゃん)
(じゃあ聴いてく?)
(ええっ、それはいいよ)
昌大はチラリと、その女性達を見た。
女性達の後ろにも、足を止めて見ている人がいる。
昌大は、視線を陸に戻した。
「……まあいいや」
居心地が悪くなったのか、昌大は立ち去ろうとした。
「そうやって一生、笑われてろ。ばーか」
そう言い残すと、昌大はプイと顔を背けて、駅の方へと歩いて行く。
陸は解放されたように、安堵の息を吐くと、去っていく昌大の背中を見つめるのだった。
つづく……
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