第11話 抵抗
楽歩は上手く潜入できたようだナ」
「ホホホ。あの子はまだまだ未熟すえ。すぐにボロを出します。やはりこの選択は正解ですえ」
熱狂に包まれるエスティオン基地の外、荒野に二人の男女が立っていた。天爛のような漆黒の衣装に包まれているが、彼女と違って全く目立たない。気配がどうこうという次元ではなく、視認していても油断すれば見えなくなってしまいそうなほどに朧気だ。彼らを目撃した者が特徴を語ろうとしてもできないだろう。あまりにも存在が薄すぎる。
男性の名を「
女性の名を「ザッカル・ケスク」という。レギンレイヴの最上位戦闘員にしてレベル4の「鉄の神器」の使い手だ。
彼らの任務は囮として潜入した天爛が少しでも情報を奪うべく、一秒でも長く試合を長引かせエスティオンの人間を惹き付けている間に、特級を筆頭としたエスティオンの主要戦力を暗殺すること。増援も何も期待できず、暗殺を遂行するのはこの二名のみ。早い話が捨て駒だ。
本来そんなことするつもりはなかったのだが、最近不審な事件や人物が増えてきた。野蛮だが、あらゆる組織の戦力を削り、戦争の発生する可能性を少しでも下げねばならない。
レギンレイヴ。その名の意味する所は「神々の残された者」。人類を終わりのない絶望から守り続ける砦。
天爛はこのことを知らない。自身が囮とされていることも、彼らが捨て駒にされていることも。
当然だがそれには理由がある。彼らは優しい笑みを浮かべながらそれを口にした。
「あの子は優しいから、ナ」
「ほんと、ほんとですえ」
この世界で最も善良な組織は何か。それはレギンレイヴだろう。神器の略奪さえ、神器使いを減らし戦死者を減らすための一種の荒々しい慈善活動と言ってもいい。疑似魔神獣討伐数も多く、近々疑似魔神獣の筋細胞を麻痺させ、無力化させる薬も開発される予定だ。
組織が発足して少しした頃、すぐに限界は訪れた。人材は足りている。だが、慣れない諜報に対応できる人間はそう多くはない。度重なる任務の失敗、それによって増加する意味のない戦いに心が荒み、エスティオンのような戦闘屋になりかけた頃、光が差した。
天爛楽歩。
神器使いとして高い実力を持ち、現在発見されている神器の最高レベル4に最も近付いた少女。
どこまでも無垢で純粋で優しいその少女のひたむきに突き進む姿に、どれだけの勇気をもらったことか。どれだけの安らぎをもらったことか。彼女はレギンレイヴの女神だった。
当初レギンレイヴのボスが彼女に付けようとしたコードネームは「聖域」。だがそれは自分には相応しくない、と彼女自身に拒否されてしまった。あの時のボスの表情は今でも忘れられない。
少女が組織を愛し、組織が少女を愛した。彼女は組織のためならいくらでも頑張れるし、組織も少女のためなら命をかけることすらできる。彼らの本質は無情に人類を守る砦……ではなく、どこまでも慈愛を持って、一切の例外なく全てを救う組織であるから。
天爛にこのことを伝えなかった理由は簡単だ。優しい彼女のことだ、一緒に戦う、などと言い出しかねない。主に行うのは暗殺なのであまり心配はしていないが、もし対面での戦闘になった際、レベル4の戦闘にレベル3がついていくなど到底不可能。彼女を無駄死にさせる訳にはいかない。
エスティオンは無情な組織ではない。天爛と無関係の組織による犯行ということにすれば彼女はレギンレイヴの一人の諜報員として処理されるだけですむ。情報を盗むというのは本来大罪だが、エスティオンにおいてはそこまでの罪と判定されないことはもうわかっている。無関係を偽装するための準備は既に終了している。軽い尋問と拷問、または軟禁だけで済む。殺されはしないはずだ。
「…………最終確認ダ。今回の標的八」
「特級数名すえ」
事前に入手した情報では、この模擬戦闘試合の目的は大規模任務に向けての士気向上。そして毎回その任務に参加しない者が、残たちのような存在が悪事を働かないか見張っているという。
今回、特級部隊員は任務に参加しない。主要戦力を削ることができることはかなり嬉しい。
「任務に向けての意気込みはあるすえ?」
「我らが女神に安寧ヲ」
「ロリコンすえ〜」
別々の方向に駆け出し、布で顔面の下半分を覆う。
襲撃開始。
――――――
「ござ……!」
天爛は雨あられと降り注ぐ攻撃を躱すことがやっとで、防戦一方を強いられている。初手の一撃とは打って変わって最低限の動きから放たれる巨人の攻撃を短い“くない”で何とか受け流し、華麗な足捌きで躱し、時折巨人の体に隠れるようにして愛蘭に手裏剣を放つ。が、尽くが撃ち落とされた。
切り札として用意していた水筒の水も、糸相手では何の意味もない。ただ天爛の体を重くするだけだ。
だが手放すことはない。まだどこかで使えるかもしれないという思考は確かに命取りになることが多いが、手札の多い糸使いに対抗できるのもまた手数だけなのだ。
「ほらほらぁ、逃げてばっかかぁ!?」
仁王立ちし、指を蠢かせながら愛蘭が挑発する。が、その声は天爛には聞こえない。完全に生き残ることだけに集中している、忍者として鍛え上げた超常の集中力。
(先程は突然の命の危機に驚いたでござるが……皆のため、頑張るでござるよ!)
側転、前宙、バク宙等々、アクロバティックな動きを繰り返し、愛蘭の視点を攻撃ではなく動きに集中させながら巧みに攻撃を避け、手裏剣を投げる。だが巨人が全ての邪魔をする。体格差の厄介さを痛感させられることとなった。
撃ち落とされた“くない”や手裏剣が大地に落ちている。鋭利な刃が底の薄い履物を傷付け、これ以上戦闘が長引けばまともに動くことすら出来なくなってしまう可能性が非常に大きい。ここらがやめ時か……
「ござる……タンマでござる!」
「あ?」
天爛がそう言うと愛蘭が指を動かすのをやめた。同時に巨人の動きも止まり、一旦命の危機は去る。
「んだよ今更。テンション下げんなよ?」
「愛蘭殿……拙者、近接での対決……そう、ステゴロを望むでござる!」
天爛は察した。このまま巨人と戦い続けてもいずれこちらの体力に限界がくるし、足場がなくなって動けなくなると。だが彼女は諜報員として、長期に渡って行動が持続する体の鍛え方をしている。体力を奪ったと思って油断している愛蘭とのステゴロならば、まだ勝ち目があるはずだ。
「ステゴロだぁ?ヤケクソかよお前」
「愛蘭殿……」
天爛がゆらりと構えていたくないを腰元まで下げ、逆手に持つ。ボロボロの腕で口元の布を持ち上げ、片眉を上げながら慣れない挑発的な表情をして、バカにしたように言った。
「ビビってるでござるか?」
「ぶっ殺す」
音も無く糸の巨人が崩壊し、その超質量に使われていた糸全てが愛蘭の両手に収束する。暴風が吹き荒れ、愛蘭の全身を包み込んだ糸は一瞬にして彼女の体内に収まった。
「傀儡傀儡」
ぼそりと愛蘭が呟くと、一瞬前まで彼女がいた場所に厚さ数cmの足跡と津波のような砂煙を残して視認不可能な速度で天爛の懐に潜り込む。獣のような低姿勢から右手を振り上げる愛蘭に、天爛がギリギリで反応し“くない”を割り込ませるが、吹っ飛ばされる。一撃で破壊された“くない”を投げ捨て即座に取り出した次の“くない”を地面に突き立てることで何とか観客席と背中からぶつかることは避けた。地面に二本の斬撃を刻み、割りながら静止した。
浮津と戦った時のような状況だが、威力のケタが違う。振動として伝わった衝撃、ダメージが内臓に響き、口元を覆う布に血反吐がこびりついてかなり不快な感触となった。一瞬思考が白に染まり、直後に激しい嘔吐感。
その威力に、天爛は己の大きすぎる間違いに気付く。
(直接戦闘の方が強い……!?)
ダメージが耐久限界を越え、片膝をつくが休む間は無い。地面を踏み抜く爆発音にも近い音が聞こえたかと思えば、気付けば愛蘭が超近距離まで迫っていた。
脚力をフル活用して地面を蹴り、頭上から振り下ろされた剛撃を紙一重で躱す。破壊された地面の破片が飛び散り、天爛の滑らかな肌に一条の傷をつけた。
そのまま思考すら挟まず全力で愛蘭から離れる。これなら巨人と戦う方がまだマシだったと、早々に後悔した。
挑発もいらなかったと更に激しく後悔する。
「やる……でござるな……」
「今更命乞いは聞かねえぞ?」
「ここらが切り時でござるか……!」
切り札の切り時を誤ることは、諜報員兼戦闘員には決してあってはならない過ちだ。
覚悟を決め、独り言のように呟くと、ぶら下げた水筒が破裂し、針状の水が飛び出した。
凄まじい速度で直線的な軌道を描いて愛蘭に飛んでいく。が、素手で弾かれた。水の神器としての効力を失った水が飛び散り地面に染み込んでいく。少し黒く染まった地面は、愛蘭の前にはなんの意味もなかった。
「不意打ちか?悪いがこの程度じゃ……」
「いいや。準備は終わったでござる」
天爛の両手首から血のように赤い刃が突き出し、空気を切り裂いている。否、それは血だ。チェーンソーのように回転しているようにも見える。水筒の水により作った一瞬の隙で作り上げたそれは、どこかかつての技術を感じさせる。
内側の手首、大動脈の位置から噴き出し、腕と同じ程度の大きさをしている。血液だというのに乱れることなく同じ速度、形状で動き続けるそれは血の紅もありとても美しい。
かつて存在していた、軟体からダイヤモンドまであらゆる物体を両断する、超威力の水の刃。彼女はそれを血液で再現した。自己犠牲をも厭わぬ彼女が研鑽の果てに辿り着いた境地、本来有り得ぬ水のカテゴリーを越えた水の神器の能力の応用!
ウォータージェット、否、ブラッドジェット。
「勝負はここからでござるよ!」
「往生際が悪いな」
どこか面白そうに笑った愛蘭が、同じように糸のチェーンソーを両腕に装着し、超速度で突進した。
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