第9話 選手変更

「ござる……」


「……………………誰だお前」


 先程天道が愛蘭に言っていた用事とは、これから行われる模擬戦闘試合である。数日後に行われる年に数回の大規模任務に向けてエスティオンの全構成員の士気高揚のために行われるものである。組織の実質的な頂点である最上第九席同士の戦闘を見られるということもあって、試合開始前から観客のボルテージは上がりまくっている。


 第一試合は最上第九席第四席「愛蘭霞」vs一級部隊員「浮津美影うきつみかげ」。


 糸の神器vs薙刀の神器。


 本来愛蘭は同じ最上第九席の誰かと戦うはずなのだが、様々な事情が絡み合って彼女は毎年特級または一級の人間と戦うのが恒例行事だった。


 その事情の一つは、彼女が対人戦において最強とされているということ。


 いつの時代も、力を得た人間が天狗になるのはよくあることだ。その鼻を叩き折るのにこれ以上の機会はない。その為完膚なきまでに叩きのめす為に、対人戦最強の彼女が駆り出されることになるのだ。因みに本人はたまには強い奴と戦いたい、と嘆いている。一種の欲求不満だ。


 因みに浮津は決して弱くはない。単体で国を落とせる最上第九席の一人から「あいつは将来自分より強くなるかも」と言われる程度の実力はある。一級は単体でかつての陸軍全隊を滅ぼせると言われる。あくまで愛蘭の基準がおかしいだけだ。


 浮津美影は一級部隊員最強の戦闘員だ。加入したのは僅か三ヶ月前だが、あっという間に頭角を現し、史上最速で一級まで上り詰め一級最強と呼ばれるに至った。そのせいでかなり重症の天狗となっているのだ。


 口癖は「私は無敵だ、最強だ」


 薙刀を振り回し敵の首を次々と切り落とす様から「羅刹」の異名を付けられ、そのせいか上官への反抗も目立ってきたため今回愛蘭の対戦相手に選ばれた。


 舐めやがって。吠え面かかせてやると意気込んでいたが、現在選手用控え室にて、謎の少女と対面していた。


 小柄な体躯に漆黒の髪と露出多めの衣装、天を衝くようにピンと立った、纏めあげた髪が特徴的だ。


 突然の不審人物に、浮津は薙刀を手に持ちながら会話を交わそうとする。


「身分は?」


「一応一級部隊員でござる」


「……お前のような奴は一級にいない。証拠を出せ」


 訳の分からないことを言う眼前の少女に眉を顰めて証拠の提示を求めると、少女は黙って階級章を取り出した。


 片翼が掘られた金属板。色は青だ。間違いなく一級の階級章。だが、一部分だけ血のような赤に染まっていた。いや、血のような、ではない。これは……


「本物の血?」


「そうでござるな」


「なんだこれは」


「さあ……返り血?」


 刹那、神速の振り抜きが少女の首を狙った。一切の抵抗をせず、薙刀が吸い付くように首に接触し停止する。少量の血液が少女の首から流れた。


 が、抵抗しなかったように見えて少女は抵抗していた。かつて「くない」と呼ばれていた武器が浮津の腹に突き付けられていた。軽く押し付けられたそれが服を裂く。


「やるな」


「それほどでも」


 同時に飛び退き、控え室の端と端に移動し睨み合う。一分の隙もない戦士の構え、死を幻覚する超級の殺意。


「その血は、一級の誰かのものか?」


「殺してはないでござるよ」


 少女がもう片方の手にくないを持ち、構え直した。浮津も両手でしっかりと薙刀を握り締め、持ち込みを固くし刃と少女の接触面を調節した。衝突する前から戦闘は始まっている。


 そのまま言葉を発することなく、衝突。上段から振り落とされた薙刀を交差させた“くない”で受け止める。


 そのままくないの表面を滑らせて勢いを付けながら薙刀をもう一度上段まで振り上げ、薙刀の神器の能力を発動する。その姿は死神のようで、明確な死のイメージが脳裏に浮かび上がる。ただ首を落とすためだけの構え。


「断」


 関節を捻り完全に縦に振り下ろすためのフォームをとる。


「頭」


 少女の体が不自然に前方に倒れる。片足を前に出してなんとか倒れ伏すことだけは避けた。


「台」


 能力が完全に発動し、少女の首だけが浮津の前に差し出される。薙刀の神器。能力は“対象に首を差し出させる能力”。罪人の、敵の首を刎ねるための断頭台。


 しかし少女も無抵抗で受けることはない。腕だけを割り込ませ重ねた逆手のくないと腕甲で受け止める。が、衝撃を殺しきれずに吹き飛び、室内に積まれてある大量の荷物が埃を立てながら崩れた。すぐに異常なまでに柔軟な関節を駆使して立ち上がり構える。浮津もまた大きく飛び退き、奇しくも先程と同じ距離感で見つめ合うこととなる。


「……中々。一つ問おう。一級は殺さずにどうしてある?」


「拙者の目的は最上第九席の情報収集故。しっかりと傷の手当はしてるでござる。もうすぐ目を覚ますであろう」


「ほう……親切だな」


 両者が腰を落とし、突進の構えを取る。後数度の衝突で決着はつくと浮津は踏んでいる。だが、少女はそうではない。


「なので急いでいるのでござるよ」


「?」


 カタン、と何かが揺れる音がした。選手用のコップだった。視界の端でゆらゆらと揺れている。


 一瞬だけ視線を動かすと、まだ残っていたはずの水がほとんどなくなっていた。最後の一滴が物理法則を無視した不可解な動作で浮かび上がる。背後。蠢く何かが。


「な……」


「一対多は不得手故」


 鋭い針のような何かが浮津の首を打ち抜いた。全身の力が抜け、ヨロヨロと数歩歩く。視界が揺れ、足元の景色がぼやける。まともに立つことができない。薙刀の神器を杖代わりにして何とか立った姿勢を維持しようとするが刀身が滑り壁にもたれかかる。経験したことのない虚脱感が恐ろしい。


 震える手で首を触る。そこには水が針の形状となって突き立っていた。水であるが故に不定形のそれは、しかし決して形が変わらない。表面は揺れても中身はピクリとも動かず、ただ浮津の首を刺すためだけに作られたかのよう。


「水の神器」


 浮津が倒れ、ピクリとも動かなくなる。ガランガランと無機質な音を立てて薙刀の神器が床を滑った。それから数秒ほど観察し、確実に動かなくなったのを確認した後、くないを仕舞って少女……天爛は包帯と軟膏を取り出した。


 それを倒れ伏した浮津の首筋に塗り、少しキツめに巻いた。血がじんわりと滲むが、気にせずに巻く。


「これで良し……一時間もしたら動けるようになるでござる。……これは借りるでござるよ」


 浮津を仰向けに転がし、衣服の隙間から彼女の階級章を取り出した。名前の欄には間違いなく「浮津美影」と刻まれている。これを模擬戦闘試合の管理委員に提出したら、代理として認めてもらえるはずだ。


 この模擬戦闘試合は最上第九席全員が出場し観戦する。情報を盗むにはうってつけだ。この機を逃がす訳にはいかない。


「……しまったでござる」


 身だしなみを整えながらぼそりと呟く。


「コードネームを名乗り忘れたでござる」


 第一試合選手変更。

 最上第九席第四席「愛蘭霞」vsコードネーム「影燕」


 ――――――


「あ?選手交代?」


 愛蘭は控え室でその報告を聞いていた。初めてのことだ。浮津に何かあったとは思えないが……まあいいか。


 報告員はすぐに退出し、控え室には彼女一人だけが残された。最近何やら嫌な予感が続く。これがそれと関連していなければ良いのだが。


「……あれ。ならあたし戦う必要ないんじゃね?」


 頬を掻きながらそう呟く。彼女は決して戦闘が好きな訳ではない。どうせやるなら強い奴と戦いたい、というだけだ。弱い奴は見ていてウザイというのも理由の一つだが。


「んーまあ……姫にいいとこ見せれるしいいか」


 愛蘭と遺華は、非常に仲が良い。血は繋がっていないが、まるで本当の姉妹のようにに見える。


 実際愛蘭は遺華を妹のように思っている。だが遺華は愛蘭のことを母親として見ている。それは二人の過去に起因する。


 彼女らは似たような境遇なのだ。二人とも一度暴走を経験し、大事な人を失っている。


 愛蘭は妹を、遺華は母親を。その傷は一生消えることはないだろう。未だ二人の心には大きな傷痕が刻まれている。


 いつまでも忘れることができていない。経験したはずのあの血の臭いを、こびりついたあの赤黒さを。暴走が終わりエスティオンに保護された後、無機質な写真に映された最愛の人の最後の瞬間を。何度も思った。共に朽ちたいと、死にたいと。


 当時の二人の出会いは運命的なものだったのだろう。お互いがお互いの中に失った者の面影を見ている。姿を重ね、互いを見ているようで見ていないことに深い罪悪感を抱き、それでもやめることができていない。簡単に言うと、依存だ。


 危険だとは理解している。やめるべきだとも思っている。だが、彼女らの戦う理由はそれなのだ。それ以外に存在することはできないのだ。


 既に失ったと理解している。帰ってこないとも、己が奪ってしまったとも。だが、お互いの顔を見る度に思ってしまうのだ。まだ生きているのではないか、と。まだ償うことが、捧げることができるのではないかと。


「大概、狂ってんなぁ、あたし……」


 春馬と言う少年と出会った時、最初に感じたのは羨ましいという感情だった。彼は何も失ってはいない。


 人を殺したことは確かに罪として彼を苦しめる事になるだろう。だが、結局少佐と彼は無関係の他人。最愛の人を奪う苦しみに比べれば大したものではない。いや、それは自分が狂っている故の暴論か。


 彼も自分たちと同じように苦しんで欲しいと心のどこかで願っている自分がどこまでも醜く感じる。きっとこんなことを思っているのは自分だけだ。遺華も他の最上第九席もそう思ってなどいないだろう。


「……………………はぁ」


 頭を振り、頬を叩いて気合いを入れる。気の狂った蜘蛛のように指を蠢かせ、軽いウォーミングアップをする。傍から見ればただの気持ち悪い人だが、糸使いのウォーミングアップはこれだ。戦闘の前、彼女はいつもこの動きをする。


「行ってくるか」


 静かに扉を開けた。

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