第8話 殺したという現実

春馬が天道から無駄に長ったらしい説明を受け始める少し前まで時間は遡る。まだ暁の光さえ見えぬ早朝であった。


 彼らは無限に続くかのように無機質な荒野を歩いていた。旧東京中心部はまだ瓦礫が残っているが、そこを出ればもはや何もない。砂と舞い上がった粉末状のコンクリートのみの世界だ。本来は来る必要はない、来たくもないのだが、ほんの少しの希望をかけてこの場所を歩いていた。


 彼らは一つの部隊だ。五人一組で隊列を組み、新たな適合者を探すエスティオンの要。『適合者捜索部第三部隊』。アンタレスの輝きの導くままに新たな適合者……即ち新戦力を探し求める、エスティオンが発展した要因の一つ。


 しかし最近は滅多に適合者を発見することができていなかった。元々適合者はそう多い訳ではない。いずれいなくなるのは自然なことで、もう見つけ尽くしたというのが彼らの見解だ。それでもこうして探索しているのだが。


 探索時間が二日を過ぎた。これ以上捜索しても誰も見つからんだろうと思って帰還準備を始める。が、その時彼らの視界に一人の人影が揺らめいた。アンタレスが激しく光る。


 一瞬の静寂の後、荷物を放り出して彼らは駆け出した。人影がどこかに行ってしまったらたまったものではない。全速力で駆け、目的の場所に到着する。


「はっ……君、はっ、ちょっと、いいか、な」


 息を切らしながら部隊長が問う。人影の正体は可愛らしい少女だった。小柄な体躯で、黒に近い紅の髪を頭頂部で纏めあげ、口元は布で隠している。しかし体の露出部分は多く、脇腹や腹部は網目状に編み込まれた漆黒の布で覆っていた。明らかに旧東京で絶望の中を生きている人間ではない。だが、そもそもこんな場所にいる時点でまともな人間ではないので特に気にするようなことではない。


 かつての人間がこの場にいたなら言うだろう。闇に溶け込むようなその衣装と小柄な容姿から、「忍者」と。


「僕たちは、エスティオンの人間でね。君には才能があるんだ。人類を救う才能が!付いてきてくれるかな?」


「……ござる。構わんでござる」


 承諾すると、第三部隊の人間は満面の笑みを浮かべ、放り出した荷物を回収しに行く。一人だけだが、発見できただけ万々歳。そう思って。


 その後ろ姿を見つめながら、忍者衣装の少女は懐に忍ばせた無線機のような何かを取り出し、複雑に配置されたボタンを軽快なリズムを刻みながら押した。


 数秒の後、無線機から濁った音が響き、一人の男性と思われる人物の声が聞こえた。


 《無事潜入できそうか》


「当然でござる。しかし一つよろしいか」


 《……なんだ》


「この任務はそう……スパイでござる。拙者は伝え聞いた忍者に憧れているのでござるよ。衝撃であった……おもむろに開いた古文書がまさか忍者の全容を記したものであったとは。以降拙者は忍者に憧れ修行を積みやがて神器を……」


 《長い。結論から言え》


「拙者、この任務やりたくないでござる」


 《黙ってやれ》


 ブツリ、と鈍い音がして、男性の声は聞こえなくなった。少女はむう、と呟き、しかしエスティオンの人間が荷物を纏め終わったと気付くと即座に無線機をしまいこんだ。


「今のは?」


「なんでもないでござる」


 神器悪用上級大罪組織、というものが存在する。


 神器を悪用し無辜の民を殺し、略奪を繰り返し、エスティオンの邪魔をするなどなどの悪行を働く組織。


 現在確認されているのは二つ。一つはエスティオンの切り札たる最上第九席にも迫る実力者を複数抱える戦闘特化集団、『アスモデウス』。


 そして二つ目は各地で神器を略奪し、時にはエスティオンやアスモデウスの人間からも神器を奪う略奪組織『レギンレイヴ』。又の名を諜報組織。


 レギンレイヴは神器の略奪のみを目的とした組織である。故に戦闘は好まず、戦闘に発展しそうな事象が発生した場合は速やかに回収済みの神器のみを抱えて逃亡し拠点を変える臆病な組織だ。一応最上第九席よりも少し弱い程度の戦闘員が数人いるようだが、大した脅威ではない。だが、彼らは誰にも気付かれていない、彼らだけの強みを隠し持っていた。


 それは隠密。かつてのスパイや忍者を思わせるような活動に力を入れていた。戦うことなく敵を丸裸にし、情報戦において無類の力を振るう。


 彼女の名は天爛楽歩てんらんらくほ。レギンレイヴによって付けられたコードネームは『影燕』。影に潜伏し情報を啜り、各地を渡りながら逃げ続ける、レギンレイヴに存在する数名の戦闘員の一人にして、諜報員の一人。


 一羽の渡り鳥が新天地を定めた。


 ――――――


「…………………………は?」


 春馬の鼓膜を震わせたのは、自身の神器によって人間が爆死した、という恐ろしい言葉。


 到底信じることはできない。


「おいおい、嘘にしちゃタチがわりいぜ……」


「春馬君。本当のことなんだよ」


「は、そんな覚えてもないことを」


「疑うなら現場を見に行ってもいい」


 目を泳がせながら否定の言葉を紡ぐが、その尽くを否定される。ただの少年には信じ難い事実だった。


 助けを求めるように天道の瞳を見つめる。が、その瞳はまっすぐだった。到底嘘をついているようには見えない。


「は、はは……そんな、訳」


 だが、これだけで信じるというのも無理な話だ。何かメリットがあって嘘をついているという可能性も捨て切ることはできない。まだ希望はある。


「写真も……ある。見るかい?」


 だが、天道が白衣のポケットから一枚の裏返った写真を取り出す。見てみたい、自分は人殺しなどしていないと証明したい。もし本当のことだったらどうしようとか、そういう考えはこの時頭にはなかった。


 掠れた声で見せてくれ、と言うと天道が写真を裏返した。


 そこには飛び散った大量の血液と、千切れた内臓器官、その上で直立する禍々しい腕をした少年が写っていた。


 誰だ?俺だ。


「あ、ああ……ははは……」


 天道たちは悲しいものを見る目で春馬を見ている。同情、憐れみ、慈愛、様々な感情が混じった目だ。


「そんな訳、ない……そんな訳そんな訳そんな訳そんな訳そんな訳!ない!」


「春馬君落ち着いて……」


「俺が!誰かの命を……奪うなんて!罪人でもない、人の命を!そんな訳がない!有り得ない!」


 完全に錯乱し取り乱す。


 誰も否定してくれないから、自分が否定しないとおかしくなりそうだった。そんな訳がないと裏返った声で叫び続ける。否、実際狂っているのだろう、この時は。拘束具がガチャガチャと揺れ、春馬の両腕のある位置から黒い炎のようなオーラが漂い始めた。


 自分の犯したことは限りない大罪なのだ。命を奪うなど、最もしてはならない行為。天道や愛蘭はこのことを知っていてあの態度を取っていたのなら、悪魔に見えてくる。遺華は出入口の近くに立って欠伸(あくび)をしている。目の前に恐るべき大罪人がいるというのに、だ。この場にいる全員頭がおかしい。こんな場所いることはできない……


「愛蘭君」


「あいよ」


 声をかけられた愛蘭が指を気の狂った蜘蛛のように動かすと、春馬は途端に落ち着いて平静さを取り戻した。


 傀儡傀儡マリオネット。対象の脳に糸で干渉し電波信号を操作することで感情の動きを操る技。反抗されなかった場合、全身の筋肉を操ることも可能となる。


「落ち着いたかい春馬君」


「あ、ああ……」


 先程までの困惑や恐怖は一切なく、澄み切った青空のような明るい気分だった。自分は何をそこまで取り乱していたのかと、疑問に思うほどに。


 途端に喉が痛くなってきた。訓練されていない彼の喉は、彼自身の絶叫に耐えることができない。もはや掠れた声しか出ず、水を求めている。


「あーほらそんなに叫ぶから……ほらよ」


 呆れたような顔をしながら愛蘭が自分の水筒を差し出した。中には並々と新鮮な水が詰まっている。


 差し出されるままに水を飲む。先程までは悪魔のようにも見えたが、今は美の女神に見える。


「じゃあ愛蘭君、遺華君。もう退室してくれていいよ。特に愛蘭君はこれから忙しいだろう?」


「いいのか?まだちょっと危ないかもしれねえぞ?」


「君のお陰でもう心配はなさそうだ。安心して行きたまえ」


「じゃあ失礼させてもらうわ」


 遺華の背を押しながら愛蘭が部屋から出て行った。その時の彼女の顔は美しいというより可愛かった。盛大にニヤケて隠す気もない。よほど遺華が好きなのだろう。


 美人は何をしても絵になるから困る。風と一緒に僅かに揺れる桃色のツインテールや膨らんだスーツ、ロングの黒髪がもはや輝いて見える。


 それを見送って天道が別の資料のページを開く。


「では君の意思決定を行おう。と言っても申し訳ないことに加入は確定事項だが……先程の話を聞いた時の取り乱しようを見れば君が殺しに忌避感を覚えていることは理解できる。一応、覚悟を決めるためにも聞いておこう」


「覚悟なんてねえけどさ……まあ、確定だってんなら逆らわねえよ。抵抗してもすぐ叩きのめされそうだし……ただ、聞いときたい。お前らは殺しに忌避感がないのか?」


「僕らは……と言っても僕は違うが、率先して殺しを行う。主に疑似魔神獣が相手だが、時に人を殺すこともある。当然罪悪感はあるが、他の人間を守るためなら……できる。それに皆、理由がある。戦う理由があるんだ」


「なるほど」


 覚えはある。以前一度だけ戦闘中のエスティオンの人間を見たことがある。あまり強くなかったのか、かなり苦戦していたようだが、その表情から強い使命感を感じた。


 傷の痛みや疲労を感じながらも一歩も引かず勇敢に戦ったその姿に子供ながらに興奮したことを覚えている。あの時は命の尊さもよくわからず、殺しにも忌避感はなかった。


「でも俺、戦う理由なんてねえぞ?」


「多くの人間は適正があるというだけで加入している。君と同じだな。が、そのほとんどが戦いの中で自分の戦う理由を見つけている。君もいずれ見つけられるだろう」


「うーん……」


 戦う理由。それはそう簡単に決められることではない。


 頭を悩ませていると、脳裏に浮かび上がる光景があった。夕焼けの中で、誰かが手を差し伸べている。


『私――――き――』


『あ……おあ……』


 覚えている気がする。誰か、友達のような人がいて、ずっと一緒にいて、でもいつの間にかいなくて。もう一度会いたい。いいや、会わなくてはいけない。そんな気がする。


 でもどこにいるのかもわからない。この世界のどこにいるのかわからない。ならどうすればいいか。簡単なことだ。世界のどこへでも行ける力を得ればいい。


「力を、得られるんだよな?」


「当然」


「俺は、力を得て、誰かに会わなくちゃいけない。この世界のどこにでも行ける力を得られるかな?」


「それは君次第だ」


「最高だな」


 にっと笑うと、天道もそれに応えるように優しく笑った。


「では、少し移動しようか。力の頂点の戦いが見られるだろう。それと、組織についての説明もしなければならない」


「説明は聞きたくないが戦いには興味あるな」


「黙って聞け」


 拘束具を垂直に起こしながら軽く言い合う。さすがに寝っ転がったままで移動するのは春馬に可哀想だ。


 車輪を取り付け、扉を開けて移動を開始する。


 白い石のような素材で構成された通路を歩き始める。奥からは歓声のような声が聞こえ、自然と気分が高揚する。


 (説明聞かなくちゃいけねえんだよなぁ……)


 それがなければもっと期待できたのに……と思いながらゆっくりと移動する春馬だった。

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