第4話 暴走

――――――誰の、夢だろう。


 ――――――誰の、記憶だろう。


 ――――――誰の、声だろう。


 声がする。


「ねえ、ゼロ。お話しましょう、ゼロ。お名前は何がいいかしら。……ええ、そうね。きっとそうよね、ゼロ」


 優しい声がする。暖かい声がする。包まれて、虹みたいで、どこか冷たくて、でもここにいたい。


「ねえ、ゼロ。私、この国が好きなの。ムーナの本で見ていたわ、ゼロ。季節が好きだわ。四月は桜が咲いて、五月にはアサガオが咲くのよ。私、朝日を浴びながら咲くアサガオが一番好きだわ。私の中にはなかったわ」


 問いかけて、委ねて、溶かして。とても心地いい。幸せで、嬉しくて、ああ、ずっと聞いていたい。


「動物も好きよ。草原を駆け抜けるお馬さんが好きだわ。とっても命を感じるわ。大地の命が、大好きよ。……ねえ、ゼロ。お話しましょ、ゼロ。お名前はどうしましょう。……ええ、そうね。きっとそうよね、ゼロ」


 手を伸ばした気がした。何も掴めなくて、何もないけれど。どこか満足できて、安らかで、そうすることが幸せで。


「五月は、サツキというのよ。季節は春が好きだわ。お馬さんがその中を駆けるの。サツキハルウマ……だめね、ええ、だめよゼロ。おかしいわ、そんなの」


 名前を呼ばれた。でもまだ自分の名前じゃない。ああ、顔が見える。美しい。この世の何よりも。


「そうね、きっとこの子が邪魔なのよね。この子を飛ばせば……サツキハルマ……うん、いい感じだわ。いつかのあの子の名前は、サツキハルマ」


 そう、呼ばれた。全てが鮮明になる。


 もがくことも足掻くこともない。そんなことは全て母がやってくれた。道が作られている。ここを進むだけだ。何も考えず、ただただ突き進めばいい。


 光の中で手を伸ばした。何かに触れる。すぐに消えた。泡みたいに、水みたいに、消えて消えて消えて消えて……


 すぐに黒く染まった。


 ――――――

 

「うっへえ〜どうなってんのこれ」


 二人の女性が血まみれの瓦礫の山に一歩足をかける。一人は美しいスーツ姿の長身の女性で、スーツの内側に着たワイシャツ以外全てが漆黒という逆に目立ちそうな服装をしており、絶望的なまでに胸部が貧しい。そしてもう一人は近未来的なピッチピチなスーツを纏った小学校低学年程度の幼女。可愛らしい桃色髪のツインテールがふよふよと揺れている。輝く真っ白なギザっ歯が特徴的だ。


 二人とも盛大に顔を顰めており、目線は足元と瓦礫の山の頂点を行ったり来たりしている。一歩踏み出せば粘性の液体を踏んだ時特有のびちゃあという気持ち悪い音が聞こえ、鉄の臭いが鼻をつく。そして恐らくこの惨状を作り出したのであろう犯人の青年は瓦礫の山の頂点で沈黙して突っ立っている。生者から感じる覇気も、今は感じられない。


 実に気持ち悪い。環境もそうだが、その青年の様相が何よりも気持ち悪い。確かに生きているのにまるで死んでいるような、混沌とした感覚に襲われる。


 何とも禍々しい様相だ。両腕がこの世のものとは思えぬほど厳つくおどろおどろしいことになっており、黒い炎のようなオーラが噴出している。かなりぶっとい血管のようなものが蠢いており、腕だけが別の生物になったかのようだ。


 ため息を吐きながら、スーツ姿の女性は自分たちがここに来るはめになった経緯を思い出す。


 まず軍部少佐はゲスな男だ。部下の手柄を全て自分のものにし、自分のミスは部下に擦り付けるゴミクズ野郎。その上神器も使えないくせにやけに戦闘面に口を出しまくって更に無駄にプライドが高く実力があると思ってやがる典型的なアホ。無駄に白い服がうざったらしい。


 彼は絶対に本部に連絡など寄越さずなんでも突っ走って周りに迷惑かけまくるタイプの野郎なのだが、今日は非常に、ひっじょ〜に珍しいことにアンタレスから連絡があった。普段真面目な連絡取り次ぎ係が冗談交じりで「明日は天地がひっくり返りますね」と真顔で言うぐらいに珍しい。


 因みに少佐は今日も昨日も基地内での勤務だったはずだが勝手に基地外に出ていっている。どこまでも自分勝手な男だ。五臓六腑をぶち撒けさせて殺してやりたい。


『ば、ばけものひゃ!たす』


 これだけだったが、何かの破壊音が聞こえたので「まあなんか緊急事態なんだな」ということで神器部隊数名が出動することとなったのが三分前。正直少佐の代わりなんていくらでもいるしぶっちゃけ死んでもらった方が得なので行く必要は無いとは思ったが見殺しにはできない。


 派遣されたのは「魔神獣討伐用精鋭神器部隊まじんじゅうとうばつようせいえいしんきぶたい」の人間だ。長いので神器部隊と訳されることがほとんど。


 総合組織エスティオンに組み込まれた部署の一つで、主に他の部署で対処できない事案や、絶対的な強敵が出現した際に出動することとなる。数は研究部や非神器使いによる戦闘部も含めて他の部署が平均で200〜300人いるのに対して、100人程度と少ない。所謂少数精鋭だ。


 今回派遣されたのは下から二番目の「二級部隊員」。その力の強さを例えるならば単体でかつての軍人百人を相手にできるレベルだ。因みに神器部隊での序列は上から


 中央第零席ちゅうおうだいれいせき

 最上第九席さいじょうだいくせき

 特級部隊員

 一級部隊員

 二級部隊員

 三級部隊員


 となっている。


 まあ少佐弱いし彼が慌てふためく程度なら二級でなんとかできるだろ、と踏んで送り込んだのだ。


 が、甘かった。どうやら敵の強さは想定を軽く上回りまくっていたらしい。二級部隊員から目標視認完了の報告が入ってから一切の連絡が途絶えたのだ。


 これは結構ヤバいことになっている、ということで二級部隊員二名が死亡したと確認され次第即この女性二人が投入されたのが一分前。因みに彼女らの拠点とこの地点までは3kmほど離れている。それを一分で踏破(とうは)するのだから神器とは凄まじい。息を切らすこともなく、散歩のようにそれを為す。


 彼女らは最上第九席。二級部隊員が何千人襲いかかっても一生倒せぬほどの化け物レベルの強者だ。


 スーツの女性の名を「愛蘭霞あいらんかすみ」という。最上第九席第四席。使用神器は「糸の神器」。


 桃色髪の幼女の名を「遺華春いはなはる」という。最上第九席第三席。使用神器は「宝珠の神器」。


 愛蘭は改めてこの惨状を見渡し、「これ絶対少佐死んでるわ。ざまぁ」とわざわざ声に出した後、瓦礫の山の頂点に立つ一人の青年に話しかけた。


 あまり期待はしないが、一縷(いちる)の望みをかけて……


「あー……オニーサン。とりあえず意思の疎通とかは……」


 少し低めの落ち着いた声で愛蘭がそう言うと、青年……皐月春馬はぐるりと頭だけで振り返る。瞳に意思は感じられず、無機質に愛蘭たちを見ている。


 愛蘭と遺華は目を見合せ呟いた。


「無理そうだな」


「なのだ」

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