第6話 最後の一人
レーネに叩き起こされる前になんとか目を覚まし、最低限の身だしなみを整えようと鏡の前で自らの冴えない顔と睨めっこをしていると、数度のノックの後にレーネが顔を覗かせてきた。
「おはようございます、カミル様」
「……早くないか?」
体内時計によると、一般的な朝食の時間はだいぶ先だ。起きてからカーテンを開けていないので外の様子は分からないが、おそらく陽の光もまだ十分に輝いていないはずだ。
しかし彼女はいえと否定してから続ける。
「時間を守ることは重要ですし、今日はその前に謁見の間での用事もございます。少々早いくらいがよろしいかと」
「……そんなものか」
一人で暮らしていた期間が長すぎて、俺の時間感覚が一般社会とずれているのかもしれない。無理にそう理屈をつけて寝癖を押さえながらその背中に続いて部屋を出るも、彼女が厳しすぎるだけなのではという思いが捨てきれなかった。昨日の忠告は自分でもやや過剰だったと反省しているが、この手の不安というものは不幸にも的中する確率が高い。
謁見の間までは階段を何度か上る必要があり、しかも廊下もやたら長い。朝から面倒な運動だが、森で暮らしている間はもっとハードな生活を送っていたので泣き言は言ってられない。淡々と進む黒いローブとそれに似た色の長髪を目で追いながら進んでいると、頭上がやたら騒がしいことに気付いた。
「まだ早朝だぞ……」
ぼやきながら階段を上がると、そこには人だかりができていた。ここで働いているメイドなどの使用人たちだけでなく、帯剣した兵士や羊皮紙の束を抱えた文官までもその任を忘れたかのように足を止め、誰かを囲んでいる。彼らの顔には憧れや敬意が色濃く表出しており、特に男性の一部は明らかに視線の先の人物に対し下卑た感情を抱いているように見えた。
なにか、嫌な予感がする。進路を阻む彼らの様子を遠巻きに眺めていると、背筋に冷たいものが走る。遠回りしようと案内役の少女に進言しようとしたところで、人波が左右真っ二つに分かれた。まるで太古に生きた預言者の伝説のような、あるいは異教の伝説に登場する災厄の詰まった箱を連想させるような光景を見つめていると、その真ん中をゆっくりと歩いてきたのは、小柄な少女だった。
背はレーネよりやや低く、やや短めの金髪は長い耳をわずかに隠して頬のあたりまで伸びている。同じく金色の瞳に小さな鼻と口を併せたその顔は現実とは思えないほど整っており、まるで絵本の中から出てきたようだ。身に纏っている淡い水色のチュニックは、動きやすいようにところどころ改造が施されていた。
一番会いたくなかったやつが現れてしまった。これ見よがしに大きな溜め息をつくと、既にこちらの姿を認めていたはずの彼女は、目の前まで歩いてきてから白々しく口を開いた。
「あ、おバカなカミルだ。まだ生きてたんだ、しぶといね」
「……第一声がそれかよ。相変わらずだな」
俺の皮肉交じりの挨拶が不満だったのか、彼女はわずかに舌打ちする。
「そこは『いっそう麗しくなられましたね』でしょ。何十年も経ったのにそれくらいも学んでないとは失望したよ。ただ顔が老けただけじゃないか」
そう言いながら、俺の足の甲を土色のブーツでぐっと踏みつけてきた。突然の痛みに呻き声をあげる俺はもう用済みらしく、その視線は既にレーネの方へと向けられていた。
「きみ、キルゴールのところの子だよね。久しぶりだなあ、何年ぶりだろ」
「は、はい、レーネです。確か、最後にお会いしてから三年ほどかと」
「あれ、結構最近だね。しばらく見ないうちにずいぶん育ったねえ……色々と」
その言葉で自分の胸の辺りにその視線が固定されているのに気付き、赤面するレーネ。強張っていた表情からの落差が面白かったのか、金髪の少女はあははと性根のねじ曲がった笑顔を浮かべる。
《滅尽》のジンジャー。当代最強の魔法使いにして、かつて勇者パーティの一員であったエルフの少女。美貌とは対照的に褒めるべき点の何一つないその性格は、三十年経った現在でもあまり変わっていないようだった。
「あ、そういえば、二人とも王様に呼ばれてたよ」
「陛下にお会いになられたのですか?」
「うん、ついさっき。私も荷物を置いたら戻ってくるようお願いされたんだ」
ジンジャーは俺の足に乗せていた体重を元に戻し、階段の上を指差しながらそう言う。
「キルゴールとレッケンも来るとか言ってたっけ。用件はあれでしょ? 魔お――」
俺は瞬時に彼女の口を手で塞ぐ。抵抗する彼女に人差し指をかなり強く噛まれたが、背に腹は代えられない。極秘情報をこんな場所で喋るなと小声で注意したが、向こうは俺の手を払いのけて文句を言ってきた。
「いきなりなにするんだ変態! レーネも見てるんだぞ!」
「……見てなかったらいいのかよ」
「いいわけないだろ! だからカミルはおバカなんだよ!」
理不尽な暴言を吐かれていると、レーネが落ち着いた表情で口を開く。
「ジンジャー様、旧交を温めるのは後になされたほうがよろしいかと」
「そうだね、行こうか……命拾いしたな、お前」
フンと鼻を鳴らした魔法使いは周囲の視線を気にせず、レーネの背中を押しながら謁見の間へと歩きだす。こっちの台詞だと内心毒づきながらも、二人の後をついていくしかなかった。
到着すると、中では既にキルゴールとレッケンが待っていた。どうも陛下は席を外しておられるようで、俺たちの入室を察知した二人はこちらを振り向くと揃ってわずかに顔をしかめた。
「……ようやくですか、ジンジャー」
「危篤の知らせを受けてすぐに商都を出発したんだけど、間に合わなかったみたいだね」
そう言ってポケットの中から取り出したのは、白い小鳥だった。どうやら連絡手段として使われているらしいその鳥は、彼女の白い手から離れるとパタパタと羽を広げ、大司教のローブの中へ再びその姿を消した。
「長く生きてると知り合いを失う機会も多くなるんだけど、やっぱり慣れないね」
ジンジャーは少しだけ遠い目をしながら、珍しく寂しそうな口調で呟く。
「別れの日はいつか必ず訪れるものです。ですが、その喪失に慣れてしまっては心が死んでしまいます。あなたは間違っていませんよ」
その言葉は大司教としてか、それともかつての仲間としてのものか。そっか、と何か踏ん切りをつけるように頷いた彼女は、続けてその隣の戦士長に対して掌を向ける。
「あっ、レッケンはいいや。話すこと何もないし。こっち見ないでよ」
「ああ?」
一転して剣呑な雰囲気が漂ってきたところで、数人の護衛らしき兵士とともに王が戻ってきた。かつかつとよく磨かれたブーツを鳴らしながら歩く陛下は、玉座の前で足を止めてばっとこちらを振り向いた。
「皆の者、よく集まってくれた」
その挨拶に合わせ、兵士たちが武器を掲げる。俺はキルゴールらに合わせてその場に跪いたが、ただ一人ジンジャーだけは我関せずといった態度でそのまま立っている。
エルフの非常識な振る舞いには誰も触れず、王もそのまま本題に入る。
「兵士諸君にはまだ伝えていなかったが……昨日、魔王が復活したという知らせが届いた」
忠誠心を買われて国王の護衛を任されているはずの彼らだが、それでも何人かは動揺のあまり槍を持つ手が震えていた。その様子を一瞥してから、陛下ははっきりとした声で話を続ける。
「おそらくは、再びこの国を攻めてくる。魔人の悪逆非道の行いについては、あえて今ここで説明する必要もないだろう。勿論、我々も黙ってその暴挙を許すわけにはいかない」
そこで一度言葉を切り、その手で大司教を指差す。彼はそれを待っていたかのようにゆっくりと立ち上がり、俺たちの方を振り向く。
「それを防ぐ手立てについて大司教キルゴールと話し合った結果、やはり魔王を再び討ち滅ぼすほかないという結論に達した。先日この世を去った勇者エミリアとその仲間たちが、三十年前にそれを成し遂げたように」
陛下が一瞬だけこちらをちらりと見た気がした。嫌な予感がしたものの、俺にはどうすることもできない。
「今回は、新たに勇者パーティを結成し、彼らに魔王の討伐を依頼しようと思う。勿論、その重責を任せることのできる人材は極めて限られている。そこでキルゴールと話し合った結果――」
その視線がゆっくりとこちらに、かつての冒険に参加した俺たち四人に向けられる。
「新たな勇者たちは、かつて勇者エミリアの仲間であった者たちの推薦によって決めることとなった」
陛下の大きな目は、狼狽する俺の姿を確実に捉えていた。
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