第4話 《不撓》のレッケン
キルゴールと別れ、諸々の支度を済ませてから大広間へ向かうと、そこにはレーネがいた。大聖堂から帰ってきたらしい彼女は黒を基調とした聖職者用の清潔な服に着替えており、こちらの姿を認めると先刻よりいっそうきびきびとした動きでこちらに近付いてきた。
「カミル様、夕食の準備が整いました」
「様はやめてくれ……案内してくれるのは助かるな。広すぎて一人で動くと迷子になりそうだし」
実際、ここに辿り着くまでに近くの衛兵に二回も道を聞いてしまっていた。彼女は俺の言葉に眉一つ動かさず、淡々と返してくる。
「はい、キルゴール様の言いつけですので。既にもう一方もお待ちかと」
「……ちょっと待て、他に誰かいるのか?」
部屋に向かう前、食事時になったら大広間に向かえと彼に教えられていた。仕事が残っているため食事を共にはできないと丁重に詫びていたが、他に一人同席するとは聞いていない。
「心配なさらずとも大丈夫です。カミル様もよくご存じの方ですから」
とにかく向かいましょう。ひどく事務的な態度を崩さず、彼女はそのまま歩き出す。謎の人物の正体も気になるが、それよりも極度に感情を押し殺しているように見える彼女のことも気がかりだった。
案内された角部屋には、白いクロスの上に食器類が置かれた大きな丸テーブルと、その周囲に椅子が三つ並べられていた。調度品の少なさから察するに、空き部屋を流用しているのだろう。どうやら、俺のためにあまり人気のつかない場所を用意してくれたらしい。
だが、肝心の同席者がどこにも見えない。部屋に足を踏み入れながら扉の陰を除こうとした瞬間、そこから太い腕がぬっと飛び出し、とんでもない力で肩を掴まれた。
「いっつぁ!?」
痛みと驚愕から我ながら情けない悲鳴をあげると、目的を達成した乱暴者がガハハと豪快に笑いながら姿を現す。紫のチュニックに長ズボン、そして位の高い戦士のみ着用を許された赤マントがその歩みに連動してたなびいている。濃い髭といくつかの傷跡が目立つ顔の下では、肩幅の広く鍛え上げられた身体が老いてもなお自らの実力を誇示し続けている。
勇者パーティのひとり、《不撓》のレッケンに対し、俺は顔をしかめながら文句を言うことにした。
「手荒い挨拶にも限度ってやつがあるだろ」
「わかってないなあ! これがオレ流のもてなしよ!」
その大きな拳で人の肩をガシガシと叩きながら、彼は続ける。
「しかしお前、その服はなんだ。あくどい商人にぼったくられでもしたのか?」
確かに、先ほど着替えたばかりの黄色のシャツは、驚くほど俺に不似合いだった。案内された部屋に用意されていたので礼儀として袖を通してみたものの、現状は清潔であるという以外に褒めるべき点がない。
「お前のマントもなかなかだぞ。仮装大会にでも出場する気か?」
せめてもの抵抗としてそう言い返してみたものの、彼は逆にそれを誇示するようにくるりと身体を回す。
「主君にいただいた誉れの品よ。どうだ、戦士長として様になってるだろ?」
どうやら、キルゴールと同じく彼も三十年の間に出世していたらしい。いい話だが、こいつに限っては素直に喜べない。なんと言い返そうか考えていると、遠慮がちの声が挿入されてきた。
「あの……お食事をなさったほうがよろしいかと」
再会の時間を邪魔しないよう、距離を置いて見守っていたらしいレーネがそう言うと、王都戦士長様はそこでようやく彼女に気付いたような素振りを見せた。
「おお、レーネちゃんの言うとおりだな。さっさと食べようぜ」
先に仕掛けてきたのはそっちだろ、と思いながらも着席すると、ほどなくして食事が一度に運ばれてきた。祈りもそこそこにスープを一口掬って口に入れると、野菜の風味が構内に広がる。
「レーネちゃんも好きだろ、このスープ」
豚肉にかぶりつきながら話しかけてくる男に対し、彼女は控えめに首肯する。それに対し、レッケンはごくりと肉を飲み込んでからさらに促す。
「遠慮すんなって。ここにはオレとこのむさくるしいオッサンしかいねえんだからさ。肩の力抜いて楽にしようぜ」
「俺がオッサンならお前はジジイだろ」
確か、俺よりも十歳ほど上だったはずだ。突っ込みを入れたついでに、俺は気になっていた点を指摘する。
「あとお前、さっきからこの子に馴れ馴れしくしすぎだろ。女癖の悪さは相変わらずか?」
そう言ってパンを千切ろうとすると、彼は即座に反駁してきた。
「バカ言うなって。レーネちゃんとは昔からの付き合いなんだ」
「その言葉、ますます誤解が広がりかねませんよ……」
もう片方の当事者の訂正が届かなかったのか、レッケンは言い訳を続ける。
「それに、うちの息子たちとも仲良くしてもらってるからな。実質娘みたいなもんよ」
「パスカルさんはともかく、ヒルデとは別に……」
先ほどまでとは打って変わって、打ち解けた調子でそう付け加えるレーネ。リラックスしているのは喜ばしいが、それよりも元仲間についての衝撃的な事実があった。
「息子? ……お前、結婚してたのか」
驚きと困惑の入り混じった呟きを漏らすと、向かいに座る彼はその口髭を少し拭ってからあのなあと言う。
「オレだって結婚くらいするさ。女を知らないままらしい誰かと違ってな」
聖職者の前でそんなことを口にするなよと文句を言おうとしたが、幸いにも本人は聞いていなかったようでようでスープを飲みながらニコニコしていた。先ほどまでとのギャップがすさまじい。
「女房とは行きつけの酒場で出会ったんだ、息子も二人いるぜ。今度紹介してやるからな」
ワインをぐびぐび飲みながら、レッケンは自慢げにそう口にする。
「あの《不撓》のレッケンも今では父親、か」
魔人の巨剣をも阻む堅牢な守りが持ち味だった彼の勇姿を思い出しながら感慨に浸っていると、目の前の老人はニヤリと笑いながらその大きな口を開く。
「そういえば、お前にも立派な二つ名があったじゃねえか」
「……あんなの忘れてくれよ」
「そう言われると俄然気になってしまいます」
牽制したが、今度はレーネの方がこちらをまじまじと見つめながら食いついてきた。フォークを置いた彼女は、タオルでその若々しい手を拭きながら続ける。
「勇者とその仲間には先王陛下直々に相応しい二つ名が与えられたと聞きます。カミル様にもあったのですね」
「昼間に言っただろ。俺は陛下に嫌われていたんだ。エミリアが気まぐれに考えたのをこいつらが面白がって使ってるだけだ」
小皿に盛り付けられたサラダに目を落としながらそう説明すると、またもお調子者が茶々を入れてくる。
「いい名だと思うんだがな。まあ照れくさいのは分かるけどよ」
「……これ以上触れるな」
はいはい、と適当に返してきたレッケンだったが、そこで思い出したかのように再び口を開く。
「そういえば、うちの下の息子の名前を考えてくれたのもエミリアなんだぜ」
「それは初耳ですね」
少し驚くレーネに「だろ?」と目配せしてから彼は続ける。
「確か、昔の言葉で戦士とかなんとか、そんな意味があるって言ってたか。俺の息子に相応しい、いい名前だよな」
息子の名前の語源くらいしっかり覚えとけよ、と口を挟みたいところだが、彼女の、エミリアについて話されると少し弱い。
「オレがこうして出世できたのも、ちょっとやかましいがいい女房をもらったのも、息子たちやレーネちゃんと楽しく過ごせているのも、全部あの人のおかげだよ――それなのに、早すぎるぜ、まったく」
無念そうにそう口にしたレッケンは、一人だけ大きいコップになみなみと注がれていたワインを一気に飲み干してから、それを叩きつけるように卓上へと置いた。
俺とレーネが何も言えず黙っていると、場の空気を察してかすぐにその髭面に笑みを戻す。
「すまんすまん、ちょっと湿っぽくなっちまったな……。そうだ、俺と女房の情熱的な出会いについての物語をみっちりと聞かせてやる」
「いや、別にそこまで興味は――」
奥さんと面識はないはずだし、だいいちこいつの歯の浮くような話は全く求めていない。やんわりと拒絶しようとする声は、なぜかレーネに遮られた。
「是非お願いします。何度聞いてもロマンチックな話ですし」
「おお、そうかいそうかい。それじゃいくぜ。あれはここに戻ってきてから数年経った頃、商都の近くに出没していた黒いオオトカゲを追っていた俺は――」
仕事以外には興味のない人間だと思っていたが、その辺りはどうも年相応らしい。目を輝かせながら傾聴している少女に引っ張られるように、俺は元仲間の語りを一時間以上聞かされる憂き目にあった。
煌々とした灯りに照らされた廊下を歩きながら、レッケンは頭髪の寂しくなっている頭をポリポリと搔きながら謝ってきた。
「いやー、すまんすまん、つい熱が入りすぎてしまったわ。ガハハ」
「ガハハじゃねえよ」
少なくとも、偶然遭遇した盗賊団との戦闘シーンは丸々不要だった。
長時間拘束されたことへの不満を述べると、レーネは彼を擁護するように口をとがらせる。
「いえ、レッケン様のお話は大変素晴らしかったです。もう二十回以上聞かせていただいておりますが、毎回胸をときめかせております」
本当に同じ話を聞いていたのだろうか。やや主張の強い胸の上にその手を置いて満足気な表情を浮かべる彼女を見ながら首を傾げるが、彼女は気付いていないようだ。
「しょうがねえな、また今度話してやるとするか」
褒められた戦士長は満更でもないといった、いやデレデレで恐ろしいことを口にする。次回は俺のいない場所でやってほしいと念じていると、階段の方がなにやらざわついているのが気になった。
やがて、ドタドタと音を立てながら白いローブを着た男が階段を降りてこちらへ走ってくる。俺とレーネは慌てて端に身を寄せてその闖入者を躱そうとしたが、レッケンは廊下の中心に立ちふさがると彼の腰をがちっと掴んでその場に留めた。
「まったく、夜間だというのに騒々しいぞ……いったい何事だ」
彼はそう注意したが、白ローブの男は青ざめた表情を浮かべたまま、それを無視して走り去ろうとする。
「陛下にほ、報告を、報告を、早く、……」
腕の中でもうわごとのように呟き続ける彼を見かねたか、レッケンは大きなため息をついてからこちらに視線を向けてくる。
「どうも、こいつを陛下の許へ連れてかなくちゃなんねえらしい。オレの立場があれば、こんな時間の拝謁もご容赦くださるだろうしな。悪いが、お前たちは先に帰っといてくれ」
「いえ、私もご一緒させていただきます」
レーネは困惑しながらもそう同調し、続けてこちらを向く。多数派に圧される格好となった俺は、うんざりしながら口を開くしかない。
「俺も行くよ。一人で戻るのも気が引けるしな」
道に迷ってしまう可能性も考慮してそう決めたのだが、「お化けが怖いだけじゃねえのか」とレッケンの冷やかしが飛んできた。
なにか不穏な空気が立ち込めているというのに、この男は泰然とした態度を崩さない。これが王都戦士長か、と知人の成長に少し驚きながら、俺は謁見の間へと歩き出すその背中についていく。
謁見の間への入室を許されて扉が開くと、玉座に座る王のほかに何やら書類を持ったキルゴールの姿も見えた。
「葬儀の打ち合わせ中なのですが……レッケンまでどうしたのですか」
モノクルの縁を指でなぞりながらそう問いかけてくる大司教に対し、戦士長は抱きかかえたままの男を示しながら説明する。
「こいつが陛下になにやらご報告があるらしい。ひとつ話を聞いてやってくれませんかね」
「まあ構わんよ」
陛下の許しの後に、レッケンは白ローブの男を放す。平静を取り戻しつつあるらしい彼は、絨毯の上に膝をつきながら震える声で言葉を発する。
「私、大水晶の番を本日任されている者でございます」
大水晶。王宮内をはじめ各地にいくつか配置されているその鉱物は、近くの音や光を別の水晶へと送ることができる貴重な品だ。離れた地点にいても瞬時に情報を伝えることのできるこの性質は、魔王討伐の際にも各地からの情報収集を容易とした。
「先ほど、魔人領の近くの拠点から緊急で情報が送られてきまして、それが、その……」
視線をせわしなく動かしながら、何かを言い淀む水晶番。キルゴールは何かを察したか、口元を押さえる。
「まさか――」
それに合わせて、水晶番も言葉を絞り出す。
「魔王が、あの魔王が復活したと」
かつて大陸に惨禍をもたらした、忌まわしき存在の再来を。
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