第3話 再会、そして

「他の者は余が合図を出すまで外せ。三人で話をしたい」

 若く、しかしよく通る声が室内に響き、侍従や役人、それに兵士たちがそそくさと退室していく。最後の一人が出て行ったのを確認した国王ケーニウスは、ブロンドの長髪をなびかせながらふうと息を吐いた。

「皮肉なものだ。人の世を救った英雄と話すためにわざわざ人払いをせねばならんとは」

 玉座に座る彼の顔に、僅かな寂しさの色が垣間見えた。全体的に彫りの深い顔は、彼の父である前国王アルブレヒトのそれとそっくりだ。しかし彼とは異なり、俺に対して明確な敵意を示しているわけではなさそうだった。


 キルゴールに目配せされ、俺は挨拶の言葉を述べる。育ちが悪いので礼儀作法の分野はからっきしではあるが、とりあえず跪いて顔を伏せていれば恭順の意を表していることになるだろう。

「初めまして、陛下。カミルと申します」

 だが、数段上の玉座からは意外な言葉が飛んできた。

「そんなに畏まる必要はない。それに、私は一度お前に会っているのだ」

 その言葉に伏せていた顔を上げると、王は強い光を宿したその目を細めながら、昔を懐かしむような調子で説明する。

「勇者が魔王を倒したという一報が伝わってきてから数か月後、ようやく帰還した一行をもてなそうと凱旋パレードが催された。一刻も早く憧れの勇者たちをこの目に捉えようと父には内緒で王宮を飛び出した私は、しかしまだ幼く身体も小さかったので、人の波に流されて身動きができなくなった。そんなところを助けてくれたのが、そなただよ」


 陛下の言葉を聞きながら、俺は遠い昔の記憶を振り返る。あの時、その存在を公にするわけにはいかなかった俺は王都の直前で仲間たちと離れ、一足先に都へ入っていた。そして豪勢で華やかな祝福を受ける彼女たちの姿を群衆に紛れて見守っていたが、確かその時に一人の少年と出会った記憶がある。


 徐々に思い出してきた俺を満足げに見つめながら、彼は言葉を続ける。

「なんとか勇者の姿を垣間見ようともがく私を『こうすれば見えるだろ』と肩車してくれてな。突然の手助けに困惑しながらもその上で勇者エミリアに手を振ると、なんと彼女も笑みを浮かべてその手を振り返してくれたんだ。あの至福に満ちた時間は、今でも鮮明に覚えているよ」

 そう語る陛下の顔には、まるで童心に帰ったような微笑が広がっていた。


「私がそこのキルゴールから心優しき男の素性を教えてもらった時には、そなたは既に王都を去っていた。そのことを父上に話して呼び戻すよう説得したのだが、聞き入れていただけなくてな」

 すまない事をした。陛下の謝罪の言葉を聞いてしまった俺は、慌てて言葉を紡ぐ。

「いえ、先王陛下のご判断は正しかったと思います。私には後ろ暗い過去もありますし、とても褒められた人間ではありません。世界を救った勇者パーティの一員としてふさわしい人間ではございませんから」

 平民が貴族の、しかも国王に謝罪をさせるのはご法度であることくらい五歳児だって知っている。フォローしてみたものの、彼の浮かない表情は晴れない。

「……陛下。勇者エミリアの葬儀の件についてですが」

恐縮していると、見かねたキルゴールが話題を変えてくれた。


「ああ、私としたことがつい思い出話に耽ってしまっていた。カミル、そなたもその報せを受けてここに来てくれたのだろう」

 陛下は指輪がいくつも嵌められた手で広い額を押さえ、やや間を置いてから沈痛といった調子の声を発する。

「……エミリアの死は私も痛ましく思っている。彼女はキルゴールとともに、私に様々なことを教えてくれた。もう少し恩返しをしたかったのだが、別れの時というのはいつも突然だな。思えば、父上の時もそうだった」

 前国王は十年前、信都への行幸の際に突然倒れそのまま亡くなったらしい。国中が大騒ぎとなり、献花用の花が王都の市場から消えたとエドモンが語っていたのを覚えている。


今回勇者の死が葬儀の直前まで秘匿されているのも、きっとその混乱の記憶が強いせいだろう。キルゴールの口にしていた推測を思い出しながら、俺は思考の糸を繋げていく。ただでさえ人々の気が滅入っているところに、英雄が倒れたというニュースはあまりに重すぎる。ごく短い期間で追悼を済ませることで混乱を最小限にとどめようとするその政治的判断はきっと正しいはずだ。


「葬儀の際は私も一言述べさせてもらう。勿論、そなたにも参列してもらいたい」

「ありがたいお話ですが、私の存在は――」

「その点はこちらでなんとかします。かつて勇者に助けられた村の代表とでも言えば他の参列者も納得するでしょう」

 代わりに俺の横の大司教が口を開く。確かに、この男に任せておれば俺の身分は保証されるだろう。


 彼は続けて、その胸にやや老いの感じさせる手を置きながら陛下と話す。

「先日のお話の通り、葬儀の間はこの者を客人用の部屋に泊めます。ジンジャーも到着次第そのようにいたしますが、よろしいでしょうか」

「ああ、頼んだぞ。……その後の話については、また葬儀が終わってから話そう」

 何か含みのあるような言い回しに一瞬意識が向いたが、すぐに気にならなくなった。それよりも注意すべき名前があったが、王の御前において個人的すぎる意見を述べることはさすがに控えざるを得なかった。



 退室し、部屋から遠ざかったところでキルゴールはおおむろに口を開いた。

「レーネの言った通りの方でしたでしょう?」

 歩を進めながら、俺は頷く。ごく短い時間だったが、開明的な印象を受けたのは確かだ。

「権威と体面を重んじる貴族たちには受けの悪い部分もありますが、よき君主であることは確かです。エミリアも陛下を支持していました」

 そこで彼は一瞬、自らの言葉にはっとしたような表情を浮かべた。しかしすぐにその色は消え、声のトーンも小さくなる。

「……地下へ向かいましょう」

 その言葉とは裏腹に、階段を降りる足取りは、躊躇いを隠しきれないゆっくりとしたものとなっていた。


「……流行り病の騒動が落ち着いた頃から、エミリアは徐々に元気を失っていきました。それでも各地への慰問を続けようとする彼女をなんとか宥めて休養させたのですが、その後も体調は思わしくなく、ある日とうとうベッドから起き上がれなくなりました」

 地下部分は人気が少なく、たまにすれ違う使用人たちも一様に暗い雰囲気を漂わせている。大司教は通路を曲がりながら説明を続ける。

「あの病――医者が《紫染病》と呼んでいたものの影響が真っ先に疑われました。実際、一部の症状は明らかに共通していました。しかし、あの病気の名前の由来でもある紫の斑点は身体のどこにも現れていなかった。確立されつつあった治療法も効果が見られず、彼女は日に日に死神へと誘われていました」

 光源が両脇の炎しかない薄暗い通路の向こうに、扉を守る儀仗兵の姿が見えた。


「死の間際、彼女は高熱に浮かされながら、旅の記憶を語っていました。商都の酒場でレッケンが資金の半分を盗まれたこと、ジンジャーがエルフの村で彼女の父親と大喧嘩をしたこと、私が雪山でモノクルを落として大騒ぎしたこと、……勿論、あなたのことも。物語の中の私たちが再び王都のそばまで戻ってきたところで、彼女は眠るように息を引き取りました」

 俺たちの姿を認めた彼らは、扉を開きゆっくりと距離をとる。その奥には、高貴な人間の葬儀の際に用いられる白い棺が見えた。


「私は、死にゆく彼女に何もしてやれなかった。大司教として、否、苦楽を共にした旅の仲間として、自らの無力さがどうしても許せないのです」

 近くに置かれた燭台に魔法の火を灯しながら、彼は悔しさを嚙みしめるように唇を結ぶ。俺はそこから視線を外し、蓋の閉じられた棺を見つめながら言葉を探す。

「……何十年も姿を見せなかった俺には、それを責める資格なんてないよ」

 そう、非難されるべきは俺の方だ。自らの言葉を反芻しながら続ける。

「それに、レーネも言っていただろう。お前はやるべきことをやった。それ以上気に病むことはないだろ」

 開けてくれ、と頼むと、キルゴールは棺の表面を指でなぞってから何かを呟く。その詠唱に合わせ蓋はゆっくりと浮かびあがり、その中で眠る勇者の姿が露となった。



 まず視界に入ったのは、透き通るような銀色の髪。敷き詰められた白い花が見劣りするほどの美しさを誇るその髪は、齢五十を超えていっそう艶っぽさを増したその顔を引き立てていた。長い睫毛が目立つ目の下には、すっと通った鼻筋と紅色に塗られた唇。細くしかし女性的な主張も兼ねたその肢体には、生前の功績を意識してか白と金を基調とした煌びやかな服が着せられている。


 本当に死んでいるのだろうか。その美しさへの畏敬と、そして叶うはずもない願望がどろどろに混ざった感想を抱いていると、キルゴールがこちらの心を読んだかのような台詞を吐く。

「生前はもっとやつれていたのですが、内に秘められた魔力の業でしょうかね」

あるいは、神の奇蹟に感謝すべきなのでしょうか。大司教はそうつけ加えてから、ゆっくりと両手を組んで祈祷のポーズを取る。俺もそれに倣いながら、彼女の魂へ感謝と謝罪を告げた。

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