第2話 《浄罪》のキルゴール

キルゴールに促されるまま門をくぐり、三人でそのまま庭園内を進む。噴水まで設けられた豪華な風景に囲まれて落ち着かない気持ちでいると、先頭を歩くキルゴールが声を発した。

「予想よりも早い到着で、こちらとしても助かりました」

「……お前の寄越した部下に急かされてな。誰かさんに似て几帳面な性格だよ、まったく」

 おかげで寝不足だし、おまけに荷馬車に座りっぱなしで尻も痛い。最後尾についているレーネについてそう皮肉ると、彼は笑いながら返してきた。

「その子は私の弟子みたいなものですからね」

 弟子、か。少し妙な感じを覚えながら後ろを見ると、俺と目が合った彼女は照れくさそうに視線を足元に移した。前を向いたままのキルゴールはそんな弟子の様子を知ってか知らでか、そのまま話を続ける。

「この街の料理屋で初めて出会って、もう十年以上ですか。年を取ったせいか、時間の流れが速く感じられますね」


「……《浄罪》のキルゴールもすっかり変わったな」

 俺がぽつりとそう漏らすと、何をいまさらといった調子で彼はこちらを向いた。

「私だってあなたと同じ、ただの人間です。三十年も経てば老いますよ」

「老化だけじゃないさ。人の上に立つのを嫌っていたお前が大司教になって、しかも弟子を取るなんて昔は想像もつかなかった」

それに、と続ける。


「あの頃はずっとピリピリしてたし、クスリとも笑わなかったじゃないか」

 規律に厳しくかなり頑固で、些細な出来事から大喧嘩に発展したことも幾度となくあった。自由奔放な仲間たちをいつも𠮟りつける、パーティに欠かせないブレーキ役。それが俺の記憶するキルゴールの姿だ。


現在の彼は、そうでしたかねと穏やかな笑顔を浮かべてとぼけてみせた。

「なにぶん昔のことなので、よく覚えていないのです。ただ――」

 その表情が一瞬曇り、声の調子もなにかを惜しむようなものへと変わる。

「もし私の生き方が良い方向へと変化しているのであれば、きっとエミリアのおかげですよ」

「……そうか」

 その名前を出されると何も言えなくなる。これは決して彼が悪いのではなく、王都を離れて以来一度も彼女に会おうとしなかった自分自身の卑劣さに対する憤りだ。



 大司教がその名を告げると、金細工による装飾が施された重い扉が内側から開かれる。警備の兵士たちの訝しむような視線を四方から受けていると、彼はそんなに身構えなくてもと微笑みながら兵士たちに軽く手を挙げる。

「あなたの素性はごく一部の人間しか知りません。それに、私の客人なのですから誰も手出しできませんよ」

 そういえば、先ほどから遠慮してか押し黙っているレーネも、自分の許へ派遣されるまで俺の存在を知らなかったと口にしていたような気がする。自意識過剰すぎたかと少し恥ずかしくなった俺は、それを顔に出さないようにしながら言い訳を試みる。

「……久しぶりに大勢の人間に囲まれたんだ。警戒しない方がおかしいだろ」


 なるほど、と相槌を打ちながら自らのモノクルに触れたキルゴールは、そこで話を切り替えた。

「エミリアの葬儀についての説明がまだでしたね。彼女の死は混乱を避けるためにまだ庶民には伏せてありますが、明日の早朝に公表する予定です。遺体は現在この王宮の地下に安置されていまして――」

 彼の説明をまとめるとこうだ。まず二日後、ここから街の反対側に位置する大聖堂まで葬列を組み、彼女の棺を運ぶ。そこから二日ほど人々が献花をする場を設けたのち、葬儀と埋葬を行う予定らしい。

「本来であれば追悼の期間をさらに長く設けたかったのですが、国王様と話し合った末にこのようなスケジュールとなりました。やはり、近頃の騒動で人々が疲弊していることを懸念されたのかと」

「そうだ、流行り病……」

 王都周辺が混乱に陥った元凶。そして他ならぬ勇者の命を奪った、恐ろしき病。


 俺の考えていることは向こうもすぐ理解したらしい。キルゴールは少しだけ歩く速度を落とし、こちらを向く。その表情は、かつてのように険しいものとなっていた。

「レーネから少し聞いているようですね。……彼女の最期については、安置所へ案内する際に改めて説明させていただきます。私には、彼女を見殺しにした人間としてその義務があるのです」

「そんな! キルゴール様は手を尽くしていたではないですか!」

 師を庇おうとしたレーネの声が廊下に響き渡る。忙しなく動き回っていた数名の使用人が何事かとこちらを向いたが、彼女は気にせず続ける。

「あらゆる回復魔法を試し、魔力が尽きて倒れる寸前まで懸命に治療を続けていたことは仕えている人間ならだれもが知っています! どうかそれ以上自らを責められるような――」

「レーネ。もう大丈夫ですから」

 気を遣わせてしまいましたね、と謝った彼は、こちらに向き直って話を再開する。


「今すぐ語りたい気持ちは山々ですが、あなたにはその前に謁見の準備を済ませていただかなくては」

「謁見?」

「ええ、もちろん国王陛下にです。あなたに会いたがっておられます」

 当然のようなその返答を聞き、俺は途端に血の気が引くような感覚に襲われる。

「処刑の間違いだろ……」

 前国王は、俺のことを「魔人と同じく冷血な存在」だとか「血生臭い野獣は消え失せろ」だとか散々にけなしていた。新国王とはお会いした記憶はないが、きっと先代から俺の悪評を散々聞かされているに違いない。考えるだけで頭痛がしてくる。


「カミル様、流石に不敬ですよ。陛下は聡明かつ寛大なお方です」

こちらを窘めてきたレーネに、その師も同調する。

「大丈夫です。あの方がその気ならば、とっくの昔に私が始末していますし」

「キルゴール様?」

「冗談です」

 三十年の間に、かつての頑固司祭はユーモアを交えるほど人当たりがよくなったらしい。独り森に引きこもっていた俺とは大違いだ、と心の中で自虐していると、突如として全身が透明な泡に包まれ、両足が地面から離れた。


「……なんだ、これ?」

 一瞬驚いたが、危害を及ぼす類のものではないようだ。わずかな浮遊感を覚えていると、右手から魔力を放出しながら歩いていたキルゴールが遅すぎる説明を開始した。

「ただの汚れ落としの魔法です。五年ほど前にジンジャーから教えてもらったのですが、今のあなたにはピッタリですね」

 国王が潔癖であるという話を今更のように思い出しながら、身を任せること数十秒。俺が妙な泡から解放されたところで、俺は長い廊下の突き当りにひときわ大きな扉を発見した。不確かな記憶によれば、あの扉の向こうが謁見の間だったはずだ。


「私がカミルに付き添いますので、レーネはその間休んでいて構いませんよ」

 礼服に身を包んだ扉番に用件を伝えてから、キルゴールは弟子に向かって穏やかな調子でそう告げる。それに対し、少女はやや上ずった声で返す。

「へ、平気です。疲れはさほど溜まっていませんから」

 それに、と首から下げたネックレスを二本の指でつまみながら続ける。円と三角形、そして三本の線を組み合わせたトップは、清教会のシンボルとして数千年もの間人々の信仰を集めているとされている。


「しばらく大聖堂を離れていましたので、その分の埋め合わせをしなくては……」

 その熱心さに折れるように、大司教はゆっくりと頷いた。

「……分かりました。それでは、大聖堂の方の手伝いをお願いします。夕方にはこちらに戻ってきてくださいね」

「はい!」

 やけに大きな返事を残し、レーネは早歩きで近くの階段を降りていった。

 「……あの子にも色々と背負わせすぎてしまっている」

 少々無理をしているような彼女に対し、何か思うところがあるのだろう。キルゴールがぽつりとそう漏らしたところで、扉が重苦しい音を立てながら開きはじめた。中の兵士に促されるまま、俺たちは赤い絨毯を踏みしめながら室内へ入る。

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