第1話 道中にて
東の空から、紅い太陽が顔をのぞかせだした。陽光は馬車の前方の薄霧を晴らし、王都まで続く砂利道を白く照らしている。
その眩しさに顔を手で覆っていると、隣で馬を指揮していたエドモンが声をかけてきた。
「だん……カミル様。まだ先は長いですし、ちょっとばかし休まれた方が――」
「お前だって寝てないだろ。あとその呼び方はやめてくれ。前の方がまだマシだ」
俺は眉間に皴を寄せながらそう答え、水筒に入れていたワインを口に含む。ほのかな酸味でわずかに眠気が覚めたところで、馬車の隣を進むレーネが馬上から会話に加わってきた。
「仕方ないですよ。私もカミル様についての話を伺ったのは昨日のことですし」
「だから、様を付けて呼ぶのは薄気味悪いからやめてくれ……」
天然か、それとも故意か。いずれにしても、大司教の部下に対して強く怒鳴ることは許されないように思えた。精一杯の意思表示をしてみたものの、彼女はわずかに首を傾げるだけだった。
勇者パーティ。かつて魔王を倒した伝説の一行は、一般的には四人で構成されていると信じられている。
まずは戦士。剣と盾で敵の攻撃を食い止める《不撓》のレッケン。自己犠牲の精神溢れる勇敢な男で、彼の堅牢な防御は魔人の攻撃を徹さなかったとされる。
次に僧侶。神の加護によって味方を手助けする《浄罪》のキルゴール。厳格な司教であった彼は味方を癒し、時には氷結魔法で敵の動きを鈍らせたとされる。
そして魔法使い。強力な攻撃で敵を一掃する《滅尽》のジンジャー。エルフ族の少女は様々な属性の魔法を操り、魔人の大軍勢を瞬時に崩壊させたと言われている。
最後に、パーティを率いた
これらの言い伝えは事実の部分もあるが、同時に誇張されている部分もある。何より、このパーティは実は五人だった。栄えある勇者パーティに所属し共に魔王を討ったにも関わらずその存在を秘匿された人物、それが俺だ。
「――ですがどうして、カミル様の存在は公にされていないのですか?」
レーネは俺の苦情を無視しながらその問いを投げかけてきた。違和感のある敬称はともかく、どうやら彼女も詳しくは事情を聞いていないらしい。
「……色々事情があるんだよ。国王様に疎まれていたしな」
一応嘘はついていない。十年前に崩御した前国王が俺を嫌っていたのは確かな事実だ。ただ、俺をあの暗い森へと追いやった国王の判断は決して間違っていないことも付け加えておかなければならない。今も昔も、俺は栄誉を浴する資格なんてこれっぽっちもない、愚かで薄汚い人間だ。この場で説明するのも憚られるほどの、だ。
「だいたい、パーティの一員といっても俺は特に何もしてないからな。ただついていっただけで、むしろお荷物に近かったよ」
それだけ告げ、再び不味いワインを飲む。エドモンは何か言いたそうに口をわずかに開いたが、俺の表情から何かを察したのか黙って手綱に意識を戻した。見習い神官はなおもこちらを見つめていたが、俺がそっぽを向くことで会話は終了した。
キルゴールの使いと名乗る少女に急かされてすぐに荷物をまとめて家を出てから、既に数時間が経過している。見渡す限り草原しかないこの単調な風景にもいい加減飽いてきたところだが、王都はあの森から早くても丸一日はかかるので、まだ半分も進んでいないことになる。
どうせ目的地は同じなので、とエドモンの厚意で荷馬車に乗せてもらったが、ただ座りっぱなしというのも気まずいし、なにより勇者が亡くなったと聞いてからずっと心が落ち着かない。その件も含めてレーネには色々と尋ねたいことがあるのだが、もう少し待ってと言ったきり話題を避けられている。キルゴールから何か口止めをされているのか、あるいは自身の判断でそうしているのか、昔から人とのかかわりが薄い俺には判断が付かなかった。
「おっ、見えてきましたぜ、旦那」
気持ちの沈んだ俺に配慮してか、馴染みの商人はいつもより明るいトーンでそう話しかけてきた。彼の示す方向を見ると、小ぢんまりとした集落のようなものが見える。馬車が進むにつれて段々と大きくはっきりとそれが見えてきたところで、レーネは自らの馬の首筋を撫でながらも事務的な口調で告げた。
「馬も疲れていますし、あの村で三十分ほど休息をとりましょう」
短すぎると不満を述べようかと考えたが、どうも時間に厳しいらしい彼女が折れるとは考えにくかった。急いでいる中で少し休めるだけでもまだマシか、と自分を納得させながら小さく頷くと、馬車は分かれ道で右に進路を取り、やがて村の入り口らしき小さな門の前で止まった。
「昨日もここで休憩してたんですがね、まさか半日と少し後に旦那を連れてまたやってくるなんて思いもよりませんでしたよ」
彼の口ぶりから察するに、ここでレーネと出会って道案内を引き受けたらしい。妙なことに巻き込んだ申し訳なさを少し感じつつ、俺は馬車から降りて久しぶりに固い地面に自らの足をつけた。
遠くから見えた通り小規模なこの村は、中心部に位置する教会以外には目立って大きな建物はなかった。だが、住民たちの表情はやけに明るく、日々の仕事に打ち込みながら楽しそうに隣人と話す姿が見えた。
「飼い葉を分けてもらってきますので、私はしばらく――」
そう言ってどこかへ行こうとするレーネを止めたのは、荷馬車の中を整理していたエドモンだった。
「いや、あっしが調達してきますよ。ここの村長とは顔なじみなんで。お二人はその辺でゆるりと寛いどいてくだせえ」
反駁する暇も与えず、彼は教会の近くにある家屋へと向かう。去り際にこちらへ右手をひらひらと振っていたことから察するに、俺に気を遣って雑用を買って出たようだ。できすぎた男だが、おかげで話す時間が生まれた。彼女の方もそれを予想していたらしく、いつの間にか被っていたフードを外していた。まだ幼さが残るがよく整ったその顔は、俺が話を切り出すのを待っているようだった。
聞きたいことは山ほどあるんだが。そう前置きしてから最も気になっていたことを質問する。
「どうしてあの人が……エミリアが死んだんだ」
最近の本でも、流行り病に苦しむ人々のために精力的に活動していたと書かれていた。それがどうして急に命を落とすことになったのだろうか。
レーネはやや躊躇いがちに、慎重に言葉を選ぶようにしながら口を開く。
「流行り病のことはご存知でしょうか。……エミリア様はキルゴール様らと協力してなんとか病の対処に成功したのですが、無理がたたったのかご自身が病に冒されてしまい……」
「……そうか」
あの勇者が病に倒れたのか。まだ早すぎる。そう口にしたい気持ちはあったものの、同時に彼女らしいとも思ってしまった。そこでふと昔のことを思い出し、自然に口が動いた。
「昔、魔王宮を目指す旅の途中である村に立ち寄った時、一人の病人と出会ったんだ。彼はまだ若かったが不治の病を患っていて、もう手の施しようがなかった」
そこでちらりと彼女の方を確認したが、黙ってこちらを見つめていた。
「キルゴールたちの魔法も全くと言っていいほど効かず、あとはただ死を待つのみだった。そんな時、彼の傍で寄り添い続けたのがエミリアだった」
昨晩読んだ本に描かれていたあの絵は、その時とどこか重なるものがあった。
「三日三晩、自分はろくに食事もとらずに看病を続けたんだ。そして最期には骨と皮だけの手を握って優しく微笑んで……あの病人の死に顔、今まで見た中で一番幸せそうだったぜ」
彼女の献身が、その祈りが一人の苦しむ人間を安寧へと導いたのだ。埋葬の際、彼の年老いた両親が何度も感謝の言葉を述べていたのをよく覚えている。
「私も、エミリア様に幾度となく励ましていただきました。本当に清らかで、そして強い方でした」
深い悲しみを滲ませるレーネの言葉に首肯する。真の強さとは肉体の頑丈さや魔力の膨大さだけではないと俺に教えてくれたのは、紛れもない勇者その人だった。
エドモンが飼料と水を持って帰ってくるまで、俺はただじっと頭上に広がる青空を見つめて彼女と過ごした日々に思いを馳せていた。
村を出て、夜になっても俺とレーネが灯した魔法の炎が放つ光を頼りにしながら道を進み続けていると、徐々に道幅が広く、そして整備されたものになってきた。目的地に近付いてきたのを実感しながらエドモンに代わって手綱を引き受けてしばらくすると、わずかに顔を覗かせた太陽の光に照らされるようにして前方に何か見えてきた。高い壁の向こうには巨大な建造物がいくつも見え、まさに大都市といった趣だ。
「着きましたね」
レーネは疲れた調子でぽつりとそう口にしたが、その顔にはどことなくほっとしたものが浮かんでいる。使者としての役割を完遂したことで緊張が緩んだか慣れ親しんだ土地がもたらす安心感か、あるいは両方が混ざった結果かもしれない。まだ若いな、と年寄りの特権の一つであるセリフを心中で呟きながら、俺は次第に大きくなってきたその都に視線を戻す。
「……三十年ぶりか」
勇者パーティが解散してから、諸事情あってカイガウには一度も近寄っていない。記憶の中のそれよりもずっと大きな外壁をぼうっと眺めているうちに、荷馬車とレーネの馬は巨大な門の前に到着した。
「教会の者です。客人を連れて戻りました。急ぎの用がありますので開門をお願いします」
近くにいた衛兵にレーネがてきぱきと説明をすると、やがて分厚い鋼の扉はゆっくりと開き、かわりに煉瓦造りの美しい街並みが見えてきた。石が敷かれた広い道の両側には立派な建物が立ち並び、その周りには絨毯もいくつか敷かれている。遠くには市場が開かれているのも見え、その方角からは早朝だというのに時たま活気のある声がこちらまで届いてきた。
「どうですか、久々のカイガウは」
馬車を降りたところで、見習い神官がこちらの顔を覗き込みながらそう聞いてきた。
「なんというか、全く違う都市に来たみたいだ」
少なくとも、三十年前はここまで清潔ではなかった。そう付け加えると、車輪に付着した泥を払っていたエドモンが説明してくれる。
「今の国王様は大変綺麗好きらしいですぜ。なんでも、国王に即位して最初の仕事が下水道の拡張だったとか」
そこまでしても奇病が流行るのかとも思ったが、俺には医学の知識が乏しく原因がよくわからないので黙っておいた。なんにせよ、以前の街よりはずっとましだ。俺の記憶の中では、通りごとに違う種類の異臭が鼻を刺激してくるため、普段は騒がしい仲間の一人も流石に青ざめた顔で閉口していた。
馬車を停めてから商売の用事を済ませるらしいエドモンと別れ、俺は前をゆくレーネに続いて大通りをひたすら歩く。次第に活気を増してきた街の中心部を抜けると、程なくしてひときわ大きな建造物が見えてきた。左右対称に設計されたそれはクリーム色の石で作られており、多数の窓は貴重なガラスを惜しみなく使った豪勢なものとなっている。周囲には柵越しにもわかるほど色とりどりの庭園が広がっており、そこに植えられた草花が見るものの美意識に訴えかけるような演出が施されている。街は大きく変容しているが、この王宮だけは先代の頃から変わらぬ絢爛なオーラを放っていた。
その外観に懐かしさすら覚えていると、ふとその正門に人影が見えた。普段なら守衛が備えているであろうその場所にいるのは、白髪の老人だった。先導するレーネのそれと似た黒いローブを着た彼は、しかし彼女とは比べ物にならないほどの荘厳な雰囲気を纏っている。
こちらが門の前まで歩いてきたところで、年老いた彼はトレードマークである右目のモノクル越しに部下を見つめながら、その口をゆっくりと開いた。
「レーネ、ご苦労様です」
そして、今度はこちらに鋭い視線が向けられる。
「しばらくぶりだな」
「……そうですね。本当に」
かつての仲間、大司教キルゴールは俺の言葉に対し、複雑な表情を浮かべながらそう答えた。
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