夏のふたり(文披31題2022)Day1~10

『Day1 黄昏』

「今日も終わっちゃうねぇ」

 残念そうに君が言う。夕焼け色に染まった頬が、不満そうに膨れていた。

 ぐりぐりと、髪が乱れるのも構わずに頭を押し付けられたので、少しだけ迷ってそっと頭を撫でる。

 二人で出かけると、帰る頃にはいつも、君はこうして不満そうにする。離れたくないと言ってくれているようで、僕は何だか嬉しくなってしまう。

 余韻を噛みしめるように引き寄せた。日が沈んでも、まだ夜は来ない。

(2022/07/01)


『Day2 金魚』

 水の中、すい、と金魚が優雅に泳ぐ。羨ましいやつめ。

 避難してきた実家のリビングで、私はつんつんと水槽をつつきながら呟いた。

 エアコンが壊れて突然の熱帯夜に襲われた私は、冷たい水の中の金魚が羨ましい。

 去年の夏祭りで、一匹も掬えなかった私の参加賞。その前の冬までここにいて、二十年の大往生を迎えた子の、代わりにやって来た大物新人。

 今年はこの子に仲間でも作ってやろう。多分私よりずっと金魚すくいが得意なはずの、あなたにねだってみようか。

 今年もあなたの色んな顔が見れるといいな。いっぱい思い出作ってやるからね。待ってろよ、夏。

(2022/07/02)


『Day3 謎』

「隣の客はよく柿食う客だ。の、隣の客って誰だと思う?」

 床にごろんと寝そべった君が、雑誌のページをめくりながら言う。

「それは、心理テストか何か?」

「ううん。ただの純粋な疑問。隣の家?に来るお客さんはすごく柿を食べるんだね。私は何でそれを知ってるんだろう」

「隣の人が教えてくれたとか?」

「あの人本当に柿をよく食べるんですよぉ。って?」

「うーん」

 君が、謎は深まるばかりですね。なんてくすくす笑って寝返りを打つ。

 たまにはこういう日もいいかな。まだまだ夏は続くのだし。

(2022/07/03)


『Day4 滴る』

 いつもと感じが違うね、と言った私に、あなたは顔を赤くした。初めて美容院に行ってみたんだ。ってもごもごと言う。

 物心ついた時からずーっと髪を整えてくれていた床屋さんが、ついに引退だって言ってたもんね。

「変じゃないかな」

「素敵だよ」

 真っ赤になったあなたが、小さな声でありがとうって言って、いつもより少し粗めに処理された髪からぽとんと汗が一粒落ちる。

 ねぇちょっと、今までの人はあなたを最大限素敵にしてくれてたけどさ、今度の美容師さんって絶対私の好みを把握してるでしょ。

(2022/07/04)


『Day5 線香花火』

 次はこれね、と差し出された花火に火をつける。シューと音を立てながら色とりどりの火花が飛び出して、君が歓声を上げる。僕の後ろで。

 見るのは大好きだけど、自分で持つのは怖いから、と、小さな手持ち花火のセットを持った君が家にやって来たのが今朝のこと。日が落ち切ってから始まったささやかな花火大会は、ほとんど終わりを迎えていた。

 僕を落ち着かなくさせていた背中の感触が離れて、君が隣に並ぶ。これだけは一緒にする、と差し出してきたのは線香花火。終わりの定番でしょ?と笑った君と一緒に火をつける。

 パチパチと静かな火花の音に、君のひそやかな笑い声がまぎれる。僕はそんな君の横顔を盗み見ながら、花火を持つ手を動かさないようにじっととどめる。この幸せな時間が、少しでも長く続くように。

(2022/07/05)


『Day6 筆』

 魔法みたいだ。なんて、大げさすぎる感想があなたの口から零れる。私は笑って鉛筆を動かした。

 中学生の頃、美術の先生と気が合って、しょっちゅう準備室に遊びに行ってた。絵を描くのが趣味でもあった先生からは、色んな作品を見せてもらったけれど、一番好きだったのが、鉛筆だけの静物画。白黒なのに本物みたいで、私もこんな絵が描けるようになりたいと思った。それからずっと、描き続けてるんだ。

 今度は人物画にも挑戦してみようか。すごいねって、笑ってくれるあなたの、その優しい微笑みを、描けるようになりたい。

(2022/07/06)


『Day7 天の川』

 出かけた先で、七夕飾りがあるのに気づいた君が僕の手を引く。

「私達も書こうよ」

 にっこり笑った君から短冊を受け取る。願い事と言われて思いつくのはたった一つ。だけど。

 考えこんだ僕に、君は、見せちゃだめだよ。と微笑んだ。

「願い事は、人に見せない方がいいんだよね。確か」

 あれ、でもそうすると、短冊に書いちゃったら駄目かな?などと言いながら、笹に短冊を括り付ける。

 僕はそっと、空を見上げた。明るい空に天の川は見えないし、きっとこの願い事は、「誰か」に叶えてもらうことじゃない。だから。

 もう少しだけ時間を下さい。君に伝える覚悟を、ちゃんと決めるから。

(2022/07/07)


『Day8 さらさら』

 もっともっとって、人の欲ってものは、尽きることがないよなぁ。なんて、あなたの腕の中で考える。さらさらと、私の髪を撫でるあなたの手が優しい。

 ひとつになる。なんて、意味が分からないなって思ってた。ひとつになりたい。なんて、思うわけないって思ってた。

 今は、多分、どっちも分かる。

 あなたの手が、いつもよりずっと優しいのは、きっといつもと逆に、私の心臓が跳ねているから。だけどあなたの手が優しいだけ、私の心臓は騒ぎ続ける。

 「やめて欲しい」と、「やめて欲しくない」の間で、私の心は全然落ち着かない。

 あぁ、もう!心の中だけで叫ぶ。せめて胸のドキドキ、早く治まれ!

(2022/07/08)


『Day9 団扇』

 静かな室内に、君と僕の足音が響く。

 何となく足が向いた水族館は、人がまばらでゆっくりと時間が流れているようだった。どうやら僕たちが入ってすぐにイルカショーが始まったらしく、お客さんたちはほとんどそちらに流れてしまったようだ。

 時折漏れ聞こえる歓声が、今が特別な時間なのだと示しているみたいで。

 入館のおまけについてきた団扇を、君がくるくると回す。イルカの親子のイラストが、くるくると回る。薄暗く静かなこの場所では、風の動く音すら聞こえるようで。

 喧騒が戻ってくる前に、人ごみに流されないようにと言い訳をして、僕はそっと君の手を握る。

(2022/07/09)


『Day10 くらげ』

「あんなにクラゲが好きだったなんて知らなかったな」

 私がそう言うと、あなたはやっぱり赤くなった。

「ふわふわしてるのが可愛くて」

 昼に寄った水族館。ショーの最中で人が少なかったからその間に色々見られるかと思ったら、途中であなたが小さなクラゲたちが泳ぐ水槽に吸い寄せられていった。ふわふわ踊るクラゲたちに夢中になったのは私もだったから、あなたばっかり責めるわけにはいかないけど。

「ふわふわかぁ」

 私はあんまりふわふわではないものな。なんて、ちょっとクラゲに嫉妬だ。

 そんなことを考えていると、伸びてきた腕に絡めとられる。

「あの、君の方が、ずっと、可愛いからね」

 ふーん。そうか。

 真っ赤になったあなたの言葉が、思った以上に嬉しいから、今は何も言わずに甘やかされておこうかな。

(2022/07/10)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る