惣闇に舞う孔雀(2)

 どれくらいの時間が過ぎたのだろう。

 魔力がほとんど無くなりかけた頃、あたしを気にかけていたあの竜人族の若い男が、木製のコップを持って現れた。

 鉄格子をすり抜けて差し出されたコップの中身は、ドロドロの土色をした粘度性が高そうな液体だった。でも、においは香ばしくて美味しそうではある。


「食べてください。見てくれは悪いですが、栄養は豊富です。それと、魔力もそれなりに回復します」

「……えっ、いいの?」


 取りあえずコップを受け取り、ひとくちペロリと舌先で味見する。濃厚なミルクとナッツ系の味がした。そして、彼が言うように、魔力も少しだけ回復することができた。


「あなた……名前は?」

「ボクの名前は、キリ=オ。あすの朝、我々はあなたを別の場所へ輸送します」

「別のって……ング、どこへ連れてくつもりなのよ? ゴクゴク」

「我々の国です。ここは、あなたをさらうために設けられた中継基地です」

「そう……なんだ。それじゃあさ、あたしはこの先どうなっちゃうわけ? ゴクゴク」

「子作りをしてもらいます」

「ブーーーーッ!!」


 キリ=オの顔が茶色の液体でビチャビチャになる。

 香ばしいにおいが辺りに充満した。


「ケホケホ……そ、そうだった……そんなことを言ってたわね」


 竜人族を繁栄させるために子作りし続けるだけの人生なんて冗談じゃない。しかも、お腹を痛めて産んだ赤ちゃんを食べられるだなんて……ふざけるな!


「ねえキリ=オ、あたしをここから逃がしてよ!」

「それは……さすがに出来ません。許してください」

「どうしてよ!? このままじゃあたしは……それにあたしがいなければ、神々に戦いを挑むだなんて愚行はしないでしょ!? そんなこと本当にすれば、竜人族は必ず滅ぶわよ! 神様ってメチャクチャ強いんだから!」

「それはボクもそう思います。ですが……」

「キリ=オ、ここでなにをしている?」


 別の竜人族の男が現れて、あたしたちの会話をさえぎる。その眼光は鋭く、キリ=オは一瞬怯み、視線を床へ降ろした。


「……差し入れをしていたんだ。輸送前に死なれては困るから」

「フン、そうか。相変わらず敵にも優しいな。だが、いつかその優しさが貴様の身を破滅させるぞ」


 そう言って男はあたしの巨乳を一瞥すると、いやらしく口角を上げて去っていった。

 しばらくの沈黙のあと、キリ=オは立ち上がる。


「ボクは、竜人族と三層界の共生を望んでいます。支配だけが全てじゃない。ですが、たしかにこのままでは竜人族は滅びます。それを止めるには……デレリア、やはりあなたの力が必要なんです」

「いやよ……だって、だってあたしは……!」

「もう少しだけ……もう少しだけ考えさせてください。もう一度、隊長と話してみますから」


 あたしを心から哀れんでいるのか、キリ=オはどこか寂しげなをしていた。

 隊長ってマピガノスのことかな?

 なら、絶対にアイツは首を縦には振らないはずだし、彼もただでは済まないはずだ。

 けれどもなぜか不思議なことに、彼を引き止めることが出来なかった。そもそも今この瞬間、言葉を発することが出来ない。

 なんで? どうしてなの?


「それでは、またあとで……」


 別れの挨拶を残して、引き締まったお尻は遠ざかっていった。


「なんで竜人族は裸なんだろう……」


 そんなどうでもいいことは、言葉にすることが出来た。



     *



「お……デレ…………おきて……起きて……デレリア……」

「むにゃむにゃ……みゃ?」


 うつらうつら、岩肌に身体をあずけて船を漕ぐあたしの肩を誰かが揺さぶる。全身傷だらけで血まみれのキリ=オだ。


「えっ?! どうしたのよ、いったい!? その大怪我はなに!?」


 驚くあたしに、キリ=オは力無くかぶりを振ってみせる。


「やはりダメだった。隊長は……マピガノスには理解してもらえなかった……くっ!」

「キリ=オ!」


 この大怪我だと、放っておけば死んでしまう。かと言って、回復魔法を使えばあたしの残りの魔力はからになってしまう。ここを逃げ出すには、少しでも温存しておきたい。


「デレリア……扉は開いています。どうか逃げてください」

「えっ?」


 たしかに、鉄格子の扉は開いている。だからこそ、彼が中へ入れたんだ。


「あ……ありがとう……でも、キリ=オはどうするのよ?」

「ボクのことよりも、早く逃げてください。鍵を盗まれたことに気づいたマピガノスがやって来るまえに……」


 そう言い終えると、彼は気を失って倒れた。


「キリ=オ!」


 迷う暇はない。あたしは回復魔法の詠唱を始める。


最上級治癒魔法ギガ・ヒール!』


 金色こんじきに輝く光の粒子が傷口に降りそそぎ、みるみるうちに塞がっていく。そして、あっという間に完治した。

 って、どうしてあたし、こんな上級回復魔法を唱えられるんだろう?


「……デレリア、どうしてボクを助けてくれるんです?」


 意識が戻ったキリ=オが、不思議そうに見つめてくる。


「みゃ? デレリアって、あたしのこと? えーっと、まあ……正義感かしらね。それと、食べ物の御礼かな?」


 自然と笑みがこぼれれば、キリ=オも笑顔を返してくれた。


「あっ、そうだった! ここがどこなのか、そもそも知らないのよ。逃げろって言うなら、あたしを安全な場所まで道案内してくれないかしら?」

「ええ、もちろん」


 あたしの提案を、彼は快く承諾してくれた。



     *



 ふたりとも魔力が枯渇していたけれど、誰にも鉢合わせせずに洞穴を抜け出せた。キリ=オが言うには、走る速度に反応する機械の警備兵が辺りに潜んでいるらしいので、あたしたちは走らずに徒歩で逃走を続ける。

 森の中をひたすら進む。

 全然見覚えがないし、魔力も無いしで不安しかない。ないない尽くしで最早なにを言ってるのかも自分でもわからない。


「デレリア、着きましたよ」


 そう言って彼が指差した先にあったのは、獣や人型の骨で飾られた巨大な漆黒の門扉。

 見覚えがあるそれは、禁忌の扉だった。


「き、キリ=オ! これって……」

「禁忌の扉です。この先には、我々竜人族の異次元要塞・エレロイダがあります。要塞と言っても、まだまだ未完成ですが」


 エレロイダが竜人族の異次元要塞だったなんて……それってつまり、大邪神ダ=ズールは竜人族と関係があるってことなの?

 脳内に疑問符が浮かぶあたしをよそに、キリ=オは禁忌の扉を押し開けた。


「マピガノスが撤収するまでエレロイダで隠れていてください。もちろん、案内はしますよ」

「う、うん」


 まさか、異次元空間に二度も赴くことになるだなんて。おうちに帰りたかったあたし的には、めっちゃ複雑な気分ではあるけれど、このときはなぜか断る気持ちになれなかった。


「次元を越えるため、この門を通るには体力を消耗します。さあ、ボクにつかまってください」


 そう言って逞しい手のひらが差し出される。


「……ありがとう」


 手を引かれながら、あたしはふたたび禁忌の扉を抜けた。


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