プラネタリウム

 白鳥さきは見た目は子犬だが、性格は猫だ。

 天邪鬼で、何をするかわからないし、どこに不機嫌が潜んでいるかもわからない。

 それでいてずる賢い。

 常に僕が制御していないと、危なっかしくて仕方がない。


「真っ暗だな」

「蒸し暑いし、かび臭い」


 危なっかしくて仕方がないのだが、何故か、僕たちは深夜のプラネタリウムに忍び込んでいる。白状すると、全く制御できていない結果だ。


 プラネタリウムは市の科学館に併設されたものだ。その科学館も、いつしか郷土資料館と名を変え、コミュニティセンターと名を変え、耐震改修が不能と判断されて以来、放置されている。昭和の遺物だ。


 このプラネタリウムも、昔は地元に開放されていたが、途中からは小学校の授業でたまに使うくらいで、知らないうちに閉鎖されていた。


 当然、冷房も効いていない。昼間の暑さを全て蓄えたかのようにドームの中は蒸し暑かった。


「柊斗。スマホのライトを点けて?」

「OK Google ”ルーモス”」


 スマホの灯りが点灯する。

 白鳥は僕のことを下の名前で呼ぶ。何故下で呼ぶのかは、そう決めたからだそうだ。理解に苦しむ。


「なにそれ? ハリポタの呪文?」

「そうそう。アンドロイドのスマホは気が利いているんだよ」


 スマホのライトでは、ドームの天井までは光が届かないが、通路の場所がわかるだけでもありがたい。


 中央に進むとライトが黒光りするプラネタリウムの装置を照らした。それは荘厳な佇まいで、無骨なまでに『知』そのものに見えた。


「カールツァイスⅡ型だ。名機中の名機。元々は別の県の立派な科学館で使われていた奴の払い下げだ。古いが、投影できる星の数は9100個。肉眼で見ることができる恒星の数と同じだから十分だ。この田舎にはもったいないくらいだな」

「めちゃくちゃ詳しいな」

「柊斗。これが、テストには出ない常識という奴だ」


 白鳥は頭がいい。学年でもトップクラスだ。テストに出る常識と、テストには出ない常識をよく知っている。しかし社会が守るべき常識には欠けている。


 僕らが知り合ったのは学校の天文部だ。ほとんど活動はしていない。ここなら勉強に専念できるし、夏休みに汗をかくこともないので選んだ。


 白鳥は違った。天文部に寄贈されているという、それぞれ違う機構を持つ五種類の反射式望遠鏡に興味があって入部したという。


 僕たちの代で、残念ながら、そのうち三台が使えなくなった。

 誰かが分解したせいだ。もちろん、犯人は白鳥だと思っている。


「八種類しかない反射式望遠鏡のうち、五種類がここにあるんだぞ? 誰かが分解したくなっても私は止められない」


 と本人は全く悪びれてもいないし、自首もしていない。

 そもそも、悪いことをしたという自覚もない。


「二台はちゃんと直したし」


 プラネタリウムに忍び込もうと言い出したきっかけは、この旧科学館が取り壊しになると聞いたからだ。存続も売却もできないと決まったことが市報に出ていた。


『今宵、プラネタリウムに忍び込み、アンタレスの恒星原盤を頂戴する。柊斗も一緒に来い』


 突然、犯罪の予告状をSNSで告げられ、慌てて止めようとしたが、意思の硬さは尋常ではなかった。仕方がなく、白鳥が捕まらないように、見張り役、囮役として、参加することにした。何かがあったら、追っ手を二手に分けることくらいできる。


 見上げたプラネタリウムは、二つの球形物を太い円柱でつないだ構造だった。

 思っていたよりも大きなものだ。


「あの玉はなに?」

「あの玉が恒星を表示する機械。中に光源が入っていて、レンズを通じて光がでる。そこに『恒星原盤』を挟むと、小さな光がドームの内側に投影されるんだ。だからレンズの透明さと正確さがないと、プラネタリウムは成り立たない。カールツァイス社の技術が世界一ということだね」

「なんで玉は二つ?」

「北半球と南半球の星空を投影するためだ」

「真ん中の円柱は?」

「竿の部分は主に太陽系の惑星を映しだす。月もあの機構部分にある」

「あー。あそこって竿って言うんだ? ……なんか下ネタみたいだな」

「いや、言わない。適当だ」


 うっかり信じると、ひどい目に遭いそうだ。


「下から照らしてくれ」


 そういうと、白鳥はプラネタリウムによじ登った。

 下から照らしていいものか、チラリと見えたものに、心が少し焦るが、白鳥が落下するよりもいい。仕方がない。

 白鳥がレンズ部分を一つ一つ覗き込んでは、また移動していく。


「まだか?」

「多分、この位置だと思うが……この暗さだとさすがにわからないな」

「だからちゃんとした懐中電灯を買おうって言ったんだよ」

「そこから足がついたら、困るのは柊斗だぞ?」

「なんでこっちが支払う前提だよ」


 白鳥がしきりと球体の下側を覗き込んで、ポケットから工具を出すがうまくいかないらしい。


「外れないのか?」

「機械が邪魔でスパナが入らない」


 白鳥が降りてきた。髪が汗で濡れている。自分のハンカチで額からこぼれる汗をぬぐって僕に差し出してきた。ありがたい。

 それを取って、自分の額の汗をぬぐった。

 なんかいい匂いがした。

 ふと白鳥を見ると、ドン引きした顔で見ている。


「『ちょっと持ってて』という意味だったんだが。人が使ったハンカチを使うか? 普通」

「いや、差し出されたら使うだろ。……それよりプラネタリウムはどうなんだよ」

「さそり座が下向きになっていて、機械の隙間だ。動かさないと取れない」

「じゃあ、諦めるか」

「ここまでしてか?」

「他の恒星原盤で我慢しろよ」

「アンタレスじゃないと意味がないんだ。私、さそり座の女だからさ。よし、プラネタリウムを動かそう」


 白鳥だからデネブで良いじゃんという発想はないらしい。

 白鳥が周りを照らして、一角にある制御台に向かった。


「これ、動くの?」

「電源入れればいけるだろ。壊れている訳じゃない」


 電源がはいると、制御台のランプが白鳥を下から照らして、少し怖い。


「なあ、最後に一回、点けてみないか?」

「外に光が漏れたらどうすんだよ」

「柊斗? 考えてみろ。プラネタリウムだぞ? 光は漏れない」


 ……なるほど。確かに夜空を作る機械だ。外に灯りは漏れない。


「早くしろ」

「ああ、観測位置を、赤道付近にすれば、アンタレスも探しやすい。いっそ、エジプトにしてやるか」


 盤上に緯度と経度を入れる箇所があるのだろう。

 ゆっくりと、プラネタリウム──カールツァイスⅡ型は、横たわっていく。


「灯りを入れるぞ」


 白鳥がスイッチを入れた。

 ゆっくりとドームに満天の星空が映し出された。


「おお」


 二人でその偽りの夜空を見上げた。ドームのすぐ外に、田舎の星空が広がっているというのに、その美しさに見とれた。


「……星空を見上げると、何故人は美しいと思うんだろうね」

「さあ? もしかしたら、人類の祖先が地球の外から来たからかな」

「柊斗はロマンチストだな。……そうか。いつか自分の星に帰りたいから、美しいと感じるのかもな」

「白鳥。あれが、さそり座だろ?」

「うん……そうだな」


 白鳥は機械を止めようともせず、星空を眺め続けた。

 

「いつか、宇宙に行きたい」


 白鳥なら旧帝大の宇宙航空学科くらいは入れる気がする。


「柊斗も一緒にいかない? 太陽系の先……銀河の先を見に」

「良いよ。月くらいで十分だ」


 現実味のない話だ。それに就職に有利な学科を選びたい。今なら人工知能を学ぶような大学を選んでおけば喰いっぱぐれはないだろう。


「そうか。じゃあ、私だけでもいくよ。帰る時には連絡するわ」

「うん。じゃあ月くらいで出迎えるわ」


 現実味のない約束をして、しばらく、二人で美しい銀河を眺め続けた。


「……アンタレスの恒星原盤、取らないの?」

「うん。やめた」

「なんで?」

「カールツァイスⅡ型は、これで完成した美しさだからな」

「折角、ここまでしたのに?」

「うん。ごめん。それに、正直な話をすると……」


 汗が落ち、沈黙が流れた。

 ……高校生活最後の夏休みだ。

 なんだ? おいおい、こんなところで、何か言うつもりか?


 そんな雰囲気は前々から感じていたが、まさか、盗みに入ったプラネタリウムで言われると思わなかった。心臓の音が咲に聞こえそうだ。


「プラネタリウムって、一回、光を入れると高温になって触れないんだ。だからもう無理だなぁって」

「……そうか」


 白鳥が電源を落とし、再びドームの中は完全な暗闇となった。なまじ小さな星空を見た直後なだけに、余計に暗く感じた。


 ま、遅咲きの思い出くらいにはなったかな。

 不法侵入程度で済んだ、二人の秘密だ。二人だけの。


 その直後、不意に白鳥が僕にしたことは内緒にしておこう。

 僕たちがプラネタリウムに忍び込んだことも。



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