4話 謎の少女

 目を覚ますと、いつもの景色だった。何度も見る悪夢に、もはや息切れも冷や汗も出なくなった。優馬は静かに起き上がり、普段着に着替えて家を出た。

 優馬は考えていた。――安全な場所なんて、どこにもない。だったら、ひかるも孝司もいない、どこか遠くへ逃げてしまおう、と。

 家の前には、まだひかるは来ていない。優馬は学校とは逆の方向へと歩き出した。行くあてもないままに。




歩きながら、優馬はこの世界について思いを巡らせる。今自分が見ているこの世界は、現実なのか、それとも夢なのか――。確かめるため、街の中心にある大きなビルの大型ビジョンを見上げる。


《7月19日 8時45分》


 夏休みが始まる二日前だ。孝司と話したときも、ひかるが注意事項のプリントを持ってきたときも、すべて二日前だった。

この世界は、“夏休みが始まる二日前”をループしている。

ループが起きるきっかけは、優馬自身か、ひかる、孝司の誰かが死んだとき――。自分が知る限りでは、そういう仕組みらしい。

「どこに、行こうかな」

歩き続けて辿り着いたのは、ビルが立ち並ぶ街中にぽつんと存在する、緑あふれる公園だった。

 公園の中央には噴水があり、その近くには木製のベンチがある。優馬はそこに腰を下ろした。

 べつに疲れたわけではなかったが、なぜか座りたくなったのだ。

この時間帯、公園にいるのは犬を散歩させている老人や、遊歩道を走る女性、ごみ拾いをしているおばちゃんくらい。学生の姿は見当たらない。

優馬は噴水の水をじっと眺めた。流れ続ける水の中に、自分がどう映っているか見てみたくなったのだ。

 噴水の水面に顔を近づける。時間が経ったように思っていたが、顔色にも、顔つきにも、特に変化はなかった。

(一体……どれくらいの時間が経ったんだろうか……)

感覚としては、すでに3〜4日過ごしている気がする。だが、実際はどれだけの時間が流れているのか――一週間か、二週間か、一ヶ月か、それとも一年かもしれない。

 早く、この世界から抜け出さなければならない。



「何をそんなに焦っているの?」

 ふと、背後から甲高く小さな声が響いた。

 振り向くと、白いワンピースを着た銀髪の少女が立っていた。腰まで届く髪、シルクのような肌、そして見透かすような瑠璃色の瞳――。

「この世界に来たかったんじゃないの?」

少女はゆっくりと歩み寄り、優馬のすぐそばまで来る。身長は百五十センチほど。腕を掴めば折れてしまいそうなほど華奢だった。

「この夢はあなたが望んだ世界じゃないんですか?」

初めて会うはずなのに、どこか見透かされているような感覚に、言葉が出なかった。

「……あなたの名前は?」

少女が問いかける。優馬はようやく我に返り、答えた。

「広原、優馬……」

ようやく我に返った優馬は少女から聞かれた名前を答える。

「わたしはアリア」

「アリア…………」

 不思議な名前に、思わず聞き返す。

 アリアは先ほどの問いを繰り返した。

「さっきの質問に答えてくれる?」

「焦っていることか?」

「聞こえてたんだ。そうよ、何でそんなに焦っているの?」

 アリアの言葉に、優馬の心臓が跳ねた。顔に出ていたのか、それとも本当に見抜かれていたのかもしれない。

「焦ってるって?何に焦っているっていうんだ。俺は別に・・・」

 最後は自信がなく声が小さくなっていく。

「ふーん、この世界に来たかったんじゃないの?」

アリアはつまらなさそうに返し、また問う。

「どういう意味だよ。俺はこんな世界を来たくてきたんじゃない。望んだ世界じゃない。」

「でも、この世界に来たのはあなたが見たいと思ってた夢でもあるのよ」

「はぁ?」

 彼女の言葉は、謎かけのように優馬の理解をすり抜けていく。

少女は無表情のまま、噴水を囲む石垣の上にひょいと乗った。

「明晰夢って知ってる。」

優馬と目線を合わせ、再び尋ねてくる。

「……夢の中で、自分が夢を見ているって自覚してる状態、だよな?」

「そう。でももうひとつ、意味があるの」

「なんだよ、それは」

「“夢を、思い通りに見ることができる”ってこと」

「……どういうことだよ……」

身体がこわばる。

 これ以上聞いてはいけない――頭ではそう言い聞かせているのに、心臓は早鐘を打ち、無意識に一歩、彼女へと近づいていた。

理性が本能に負けていく。

「ここまで言ってもわからないのね。つまり――この世界を望んだのは、広原君自身なのよ」

アリアは淡々と、だが冷酷に言い放った。

「…………」

優馬は無言のまま、覚束ない足取りで後ずさる。全身の力が抜ける。

「……なぁ、答えてくれて。俺がいるここは、夢の中なのか」

 拳を強く握り、震える声で、彼女にすがるように問いかけた。

 せめて、少しでも希望があると信じたくて。

「いいえ。」

少女の声は、氷のようだった。

 そして、決定的な言葉が続く。

「まだ夢の中よ」

 断言した。

 その瞬間、優馬はその場に膝を崩し、地面を拳で何度も叩いた。

 ドスドスと、鈍い音が響く。拳には血が滲んでいた。

 「嘘だ…………」

 声を絞り出し、彼女の言葉を否定する。

「俺は……こんな、誰かが死ぬ世界なんて望んでない!死を繰り返す世界なんて、そんなの……そんなの、信じられるかよ!お前は……俺のこと、何も知らないくせに……!」

 やり場のない怒りを、アリアにぶつける。

だが、アリアは母親のように落ち着いた口調で応える。

「信じるか信じないかは人の自由だけど、これまでの優馬の周りで起きていることを思い返した方いいよ」

激高している優馬に対しアリアは落ち着いて答える。

 子供を宥める母親のようだ。

「もし、自分が望んだ世界だって自覚してこの世界のことが知りたかったら、廃墟の教会に来て、あたしはそこにいるから」

そう言って、アリアは石垣から降り、優馬の横を静かに通り過ぎていった。



 

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