第6話 傲慢な願い
依頼開始から三日後。絃葉の頼みで白菊たちは病院の中庭に来ていた。中庭の中央には大きな木があり、その下は花畑のようにタンポポが群生していた。ここはとても空気が澄んでいて、心が洗われる。
「絃葉ちゃんは中庭に来て何がしたかったの?」
絃葉の乗る車いすを押す夏鈴が絃葉の顔を覗き込んで尋ねた。
「そ、れ」
絃葉が指をさした先に二人して視線を滑らすと、そこはタンポポ畑だった。
「花? お花見たかったの?」
絃葉に確認するように尋ねる夏鈴だが、絃葉は首を横に振った。
「あそこに、連れてって」
絃葉の要求を受け入れ、白菊たちは花畑の中心の大木の根本へと向かう。着いた途端に絃葉から次の要求がされる。
「ん!」
絃葉は両手を上げている。もう三日も生活を共にすれば、その意味も分かるのだった。
「はいはい、抱っこな」
夏鈴は絃葉を持ち上げる程の筋力はないため、仕方なく抱っこは白菊が行う。
「ん!」
今度は降ろせとな。なんとまあ、わがままな娘だ。夏鈴と絃葉が本当の姉妹に見えてくる。
「はいはい……」
ゆっくりと労わるように花の絨毯の上に降ろせば、女の子座りで花を摘み始めた。白菊と夏鈴も花畑に腰を落ち着かせ、春の風に気持ちよく撫でられた。ここは、白菊と夏鈴が出会った場所だった。そのことを思いだした白菊は夏鈴に雑談程度に話しかける。
「なあ、お前。あの時、なんでここにいた」
「あの時? あぁ、初めて会った時?あれはねぇ、葬儀屋さんに依頼をするために病院へ行ったんだよ。大概ここにいるって聞いたから」
「なるほど。……で? 結界の中にいたのはなぜなんだ?」
問い詰めるような気迫でどす黒いオーラを纏う白菊。夏鈴は冷や汗をたらし始めた。
「あ、あれはぁ……事故と言うかぁ……そのぉ……」
「お前が怨霊なら、俺がなにと戦っていたか分かっていただろ。なら、結界から出て逃げることも出来ただろう」
「えっ。あの結界出られたんですか!?」
「ああ」
「え~、でも出られなかった気がするんですけど~」
「は? そんなこと……」
もしかしてと、思い当たる節があり、浴衣の懐を弄る。この間使用した結界札を見ると、旧式だった。旧式は怨霊も人間も結界から出ることが出来ない代物だった。あの日の前日に新式を知り合いの店で買ったからか、てっきり新式を持ってきたものだと勘違いをした白菊。
勘違いをし、挙句の果てにはその非を他人のせいにしようとしてしまった。全身の熱が高まり、顔に集中した。思わず顔を片手で覆い、その顔を見られないようにした。
「ど~したんですかぁ? 赤くなっちゃって。勘違いだったんですかねぇ~」
ここぞとばかりに白菊をおちょくる夏鈴。プププと笑う口を隠すように手を置くが、無意味極まりなかった。
「お前なぁ……」
握りこぶしがわなわなと震えだす。一発頭を殴りたいが、これは確かに白菊の落ち度だった。白菊は握った拳を下げた。
「……すまなかった。俺の勘違いでお前を危険に巻き込んだ」
「きゅ、急に素直に謝らないでくださいよ! 温度差で風邪ひきそう……」
白菊が素直に頭を下げると夏鈴は怒ったように白菊に背を向けた。ちらりと見える頬と耳が、ほんのりと淡いピンクに染められていた。
「おねえちゃん! ん!」
花を摘み終わったのか、絃葉が話しかけてくる。その手にはタンポポの花冠がへたくそながら編まれていた。
「えー! なにこれ! 花冠?」
そう言う夏鈴に未だに「ん!」と言いながら花冠を押し付けている。
「え、もしかして私にくれるの?」
そう聞くと、絃葉は満面の笑みで「うん!」と首を縦に振った。
「……ありがと。大切にするね」
絃葉から花冠を受け取り、頭にのせる夏鈴。お礼を言いながら絃葉を撫でる夏鈴はまた、苦しそうに笑った。そんな夏鈴を見つめていた絃葉の言葉に、白菊は耳を疑った。
「……ねぇ、お姉ちゃん。お姉ちゃんは、なんていう、お名前なの?」
その言葉に、夏鈴の無理に作った笑顔は固まり、撫でていた手も止まる。
「ど、どういうこと……? 絃葉ちゃん?」
「お姉ちゃんは、紬葵お姉ちゃんじゃない、でしょ? だから、お名前、教えてほしいな」
「ど、どうして……分かったの?」
こめかみから汗が顔を出す。するりと汗が頬をつたう夏鈴。固唾を飲むように絃葉の言葉を待った。絃葉は数秒悩むそぶりを見せて言った。
「……紬葵お姉ちゃんっぽく、ないなって、思った、から?」
流石姉妹。でも先程の言葉からすると、姉でなかったからと恨まないみたいだ。身体を乗っ取られていることが、姉を殺された何よりの証拠ということを、絃葉が知ってか知らずか定かでは無いが。
「あのっ! ごめんなさい、騙してて。なんていえばいいか分からなくって、怖くって」
「そうだったんだ……お姉ちゃん、ありがとう。最後に紬葵お姉ちゃんと遊べたみたいで楽しかった。紬葵お姉ちゃんもすっごく身体が悪かったから、一緒に遊べなくて悲しかったの」
「そっか……本物じゃなくてごめんね……」
思わず夏鈴は絃葉を抱きしめた。
「ううん。紬葵お姉ちゃんがもういないのは悲しいけど、お姉ちゃんと仲良くなれたから大丈夫!」
夏鈴の腕の中で嬉しそうに話す絃葉を夏鈴はさらに力を込めて抱きしめる。絃葉の肩に顔をうずめる夏鈴は下唇を嚙んでいた。
「む、無理だよぉ……葬儀屋さん……私……」
強く瞑られた目からは涙がジワリと滲み出て、声と手は震えていた。
「じゃあその身体、ドロドロに溶かすのか」
白菊は無慈悲にも夏鈴に返す。その言葉にぴくりと体を反応させる。顔を上げた夏鈴は、泣いて真っ赤になった目をじとりと白菊に向ける。
「だって……」
「言っただろう。お前の死が、その身体の子のためにもなると」
思い出させるように言うと、話についてこられない絃葉は白菊と夏鈴を交互に見やる。
「何の話?」
話を呑み込もうと絃葉が二人に話し掛けてくる。しかし、話すことをためらう夏鈴は、絃葉から目を逸らした。
「夏鈴、誠意を見せろ」
白菊の言葉に背中を押され、怯えながらも夏鈴の視線は徐々に絃葉へと向かう。そして、決意を新たに覚悟して口を開けた。
「あ、あのねっ、絃葉ちゃん!」
「なぁに?」
「……私ね、死のうと思ってるの」
「……え?」
絃葉の目を捕らえ、夏鈴から放たれた言葉は絃葉に大きな衝撃を与えた。数秒絃葉は固まり、その場に沈黙が充満した。
「私が死ぬことで、紬葵さんの身体に傷をつけることになる。すごく
夏鈴は年下にも、丁寧に土下座をした。絃葉はただ、夏鈴の目下にある頭を放心した状態で眺めていた。
「補足すると、このまま夏鈴に身体を乗っ取られ続けても、いつしか夏鈴の霊力が底をつき、乗っ取っていた身体はドロドロに溶けて消える。それよりはまだ霊力が夏鈴にある状態で、霊力を紬葵さんの体内に残した上で夏鈴が消えれば、夏鈴の霊力は紬葵さんの体内に残り、数日は持つことになる。こんなことを今のあなたに言うのは酷ですが、貴方が亡くなった時に、一緒に葬儀が出来ます」
白菊はあらかた夏鈴が死ぬことでのメリットを話す。小さな絃葉にこのようなことを言うのは酷であったが、言わなければならなかった。絃葉の返答を待つ沈黙。夏鈴の心音の速さが噴き出る汗を促進させた。
「……いいよ」
その声に夏鈴は沈んでいた視線を絃葉に向ける。
「ほ、本当に!?」
「うん。それが、紬葵お姉ちゃんのためになるなら。葬儀屋さん、紬葵お姉ちゃんと一緒にお葬式できることになったら、よろしくね」
「ああ。もちろん」
夏鈴が姉を殺したも同然なことを知ってか知らずかはやはり分からないが、この子は強い。それだけは感じた。
「絃葉ちゃん……ありがとう……ごめんね……」
夏鈴は贖罪の意味も込めて再び絃葉を抱きしめた。
「謝らないで。お姉ちゃんにも、色々あったんでしょ? あ、そういえば私、お姉ちゃんのお名前まだ聞いてないや。教えて!」
「私は夏鈴。少しの間だけどよろしくね」
「……うん」
悲しく、笑った。
「っ!」
突然、悪寒が背を這いつくばって気味が悪くなる。あの感覚だ。
「……来る!」
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