第7話 因縁の敵

「……来る!」


 緊迫した声色で白菊が言い放つ。

 

「え、なに!?」


 夏鈴が何事かと絃葉を抱きしめていた手を少し緩めて、白菊に向く。

 

「そのまま絃葉を連れて、病院の中に逃げろ!」

「え!? う、うん!」


 夏鈴は絃葉の元に来た理由を即座に思い出し、理解する。絃葉を抱き上げた夏鈴は、白菊に背を向けてそのまま病院内へと駆け込んだ。


 夏鈴の背中を見送る中、ぞわりと気味の悪い悪寒が再び白菊を襲う。この溢れんばかりの黒い憎悪。たった一人のものではない、大勢の怨念を長く煮詰めたように濃く、どろりとした怨念。これは、上級怨霊の予感。

 

「久しいなぁ、霊媒師」


 何もないところから余裕のある声がする。辺りを見渡すが、怨霊の気配はない。

 

「誰だ、俺はお前など知らん」


 白菊は刀に手を掛け、警戒を続ける。

 

「覚えていないなんて、寂しいじゃないか」


 身に覚えのないことを羅列されていると、黒いもやが発生し始める。その靄はどんどんと量を増やし、大きくなり形を成していく。靄はやがて三つの頭を生成し、獰猛どうもうな爪を持つ姿へと変身した。さながらケルベロスと言ったところだ。

 

「俺はケルベロスなんて浄化させた覚えはない」

「そうだな、あの時は確か……春音といったか」


 どくりと声が心臓を突き刺した。怨霊は未だに話し続けているが、俺の意識は声を遮断した。


 春音……俺の幼馴染の名前を知っている怨霊なんて、あいつ以外にありえない。だが、確かにあの時俺は怨霊を浄化させたはずだ。なのに、なぜ、生きているんだ……。


 ケルベロスの頭の一つが俺の前に顔を近づけてくる。それに反応し、ケルベロスの言葉が意識に入ってくる。

 

「なぜ生きているのか不思議そうだな。いいだろう、教えてやるよ。あの時あの小娘を乗っ取ったのは俺の半身だ。能力は劣るが俺が完全に消えることはない」


 半身……?じゃあ俺は春音を殺しておいて、怨霊は完全に消えずに復活したと……?


 なんで……なんでだよ!!なんであいつが無駄死にしなきゃならないんだ!!ただ……ただ俺に殺されただけじゃねえかよ……。俺は……どうするべきだったんだ……?


 白菊はただその場で放心した。僅かながらに震えて、因縁の敵が手を振りかぶり、鋭い爪を向けていることにも気づかずに。

 

「しぃぃぃねぇぇぇ!! 霊媒師!!」


 単純で幼稚な悪意を耳がつんざく時、白菊の意識は現実に呼び戻されるが、時はすでに遅い。はっと息をのみ、死の恐怖に襲われたとき、再び声が白菊の鼓膜を貫いた。

 

「葬儀屋さん!!」


 その切羽詰まった声の主は白菊がほんの少し視線を左に動かすと姿を現した。


 ――夏鈴……!!


 白菊は夏鈴に突き飛ばされる感覚そのままに体が動いた。その浮遊感の中、殴り飛ばされる夏鈴を見ることしかできなかった。地面と肌が擦れる痛みとともに死の恐怖は姿を消し、夏鈴の安否の心配が心を支配した。

 

「夏鈴!!」


 白菊は怨霊のことなど忘れて、夏鈴の場所へと駆けた。

 

「おい!! 大丈夫か! 夏鈴!!」


 白菊は左肩に大きな爪痕を受けた夏鈴を優しく抱き起こす。その傷からは、鮮血が止まることを知らぬようにためらいもなく流れていく。

 

「葬儀……屋、さん……ぶ、じ……?」


 痛みに顔を歪めていた夏鈴は、白菊の姿を確認すると儚く微笑んだ。

 

「お前……どうして……」

「だって、葬儀屋さんが危なかったから……体が勝手に……」

「死んだらどうするんだ!!」

「あはは……それは、嫌だなぁ……葬儀屋さんに、殺されるまでは……生きないと……」


 くそっ……

 白菊は怒りで歯を食いしばると、ゆっくりと夏鈴を地面に寝かせる。自身の羽織を脱いで、夏鈴に優しく掛けた。

 

「ここで待ってろ」


 その言葉を聞いた夏鈴は、消え入りそうな声で嬉しそうに返事をした。

 

「……うんっ」


 白菊は立ち上がり、怨霊の元へと向かう。手に『鎮魂の刀』のの感触を確認する。

 

「危なかったなぁ、霊媒師よ。あの時と同様に、お前の女にばかり傷がつくなぁ」


 怨霊は白菊をけらけらと嘲笑う。ぐぎりと歯が悲鳴をあげるほどに食いしばった。白菊は冷静に結界札を周囲に設置し、結界を展開させる。

 

「結界か? こんな小細工で俺の動きを封じることなどできないぞ」


 しっぽで結界を叩く怨霊。そんなことでは破壊されないが、この巨体が暴れたら流石に結界は崩れるだろう。まぁ、こいつが崩れて外に被害が出る前に片付ければいいだけだ。


 そう判断し、早速怨霊に向かって駆ける。少し体制を低くし、抵抗を減らす。柄に力を入れてぬるりと刀を引き抜く。そのままのスピードで滑らせるようにケルベロスの前右足を切り落とす。


 突然の出来事にケルベロスは体勢を崩し、前に倒れ込んだ。体を起こそうとするが、バランスが上手く取れず手こずっている。こんな状態をチャンスと言わずしてなにと言う。ケルベロスの足の間を抜けてきた俺は再びケルベロスの方に向き直り、ケルベロスに近づき刀を振り上げた。


 しかし、斬る直前にケルベロスはしっぽで俺を掴んできた。モフモフとしているのに、とてつもない力で絞めてくる。

 

「うぐっ……」

 

 苦しみに声が漏れる。

 

「小賢しい!!」

 

 ケルベロスはしっぽを振り、俺を投げ飛ばす。結界に背中を強打し、ずるずると地に落ちる。

 

「俺がキサマのような一介の霊媒師に、浄化されるわけがなかろう」

 

 そうやって高を括りながら、ケルベロスは体を百八十度回転させる。足は黒い靄がかかり、もう半分ほど直っていた。

 

 痛む体に鞭を打ち、立ち上がる。あの足が完全に修復したら、チャンスはもう二度と来ないだろう。今のうちに決着をつけたい。

 

「早々と死ね! 小僧!!」


 ケルベロスは、硬化させた毛を矢のようにして飛ばしてくる。どうなっているのかよくわからないが、靄がケルベロスになるのだから何でもありなのだろう。

俺は矢のような毛を刀で弾き、距離を詰めていく。長く続いた針の雨が止み、俺はケルベロスの眼前まで飛び上がる。そして再び刀を振り上げた。


 するとケルベロスは大きく口を開ける。食べられてしまうかと危惧したが、俺の飛び上がった高さとケルベロスの上顎の高さが一緒だった。咄嗟に俺は足をケルベロスの鼻先につけた。そして蹴り上げ、鼻上に着地し、走り出す。

 

「キサマ! 降りろ! この虫けらが!」

 

 ブンブンとケルベロスが、俺の乗っている頭を振る。その動きに呼応するように、ジャンプする。勢い付けたまま、ケルベロスの頭に向かって刀を突き刺す。

 

「ぐあああああ!!!」

 

 ケルベロスは目を見開き、野太く叫んだ。徐々に力が無くなり、三つある頭が大きな音を立てながら地面に落ちていく。土埃が舞い、結界がそれの進行を阻む。ケルベロスは次第に、光の綿毛になっていく。


 その様子を確認した白菊は、最後まで見守らずに夏鈴の元へ走った。

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