13【二次被害】
「――馴染んできたかしら?」
アフロディーテ基老婆は歳不相応の軽い口調で歩乃果に問いを投げかける。
にたりと口を三日月にして笑う様子は、そのボロ雑巾のような肌と牛皮のような肌も相まって、思わず目を背けてしまいそうになる。
「ええ、大体ね」
歩乃果の方はというと生まれ変わった自分の体の感触を確かめていた。
その姿形は一見すると全く変わらないように見えるがその実殆どの機能が以前とは違う。確認という作業に時間を割かれるのは当然だった。
手先から足の指にいたるまで隅々まで行き届いた力の源泉は、淀みなく彼女の身体を対流し静かに呻り、行動一つ一つに変化を生じさせていた。
しかし、悠長にしてられるほど程時間は有限ではない。
「......頃合ね、出発の準備を」
「何時でも使えるけど......座標はトラルキアでいいのよね?」
「確実にいる、断言出来るわ」
【異世界転移】は莫大なエネルギーを要する反面、その力の胎動のあまり
実際、翔太の転移は観測者によって10を超える国々に認知されている。
もし彼がキャニィと巡り合わなかった場合、岩宿の時点で詰みであった。
また、その術も比較的簡単であり歩乃果なら感覚的に覚えられる程度の代物。
よって余程物理的な距離が空いていない限り、転移した世界の特定は可能になる。
するとどうなるか
「【異世界転移】のリチャージが完了する前に翔太を捕まればいいのよね」
イタチごっこが成立する。
「そう、あくまで飛ぶ前が好機よ」
【異世界転移】は1回限りの能力ではなく半恒久的に使用出来る能力だ。
転移に莫大なエネルギーが必要な事を大前提として、転移先の指定まですると更に多くのエネルギーが必要になる。
その再発動には果てしない時間が要する上に溜まり具合を確認出来ない。厳密には体感で次の必要量を割り出せるが、人間の一生では試行回数による経験則を蓄積出来ない。
追われる側の翔太にとっては利点だが
彼女からすれば匙を投げる程の欠点である。
「転移先の指定までのエネルギーが溜まるまでざっと通常の二倍くらいね」
単純に考えて次の転移まで二倍の時間が掛かる。その
「そうよ、だから......あら」
「アフロディーテ、その手」
老婆の手指が数本地面に落ちる、その残骸はまるで砂のように散り散りになっていき最後には跡形もなく無くなった。
その様子を見届ける間にまた1つと末端から徐々に欠け落ちていく。
それは肉体の崩壊と同時に
命の終わりを意味していた。
「もう......終わりね」
「ええ、そうね」
崩れていく老婆を尻目に彼女は【異世界転移】を発動する。その直後、莫大なエネルギーを放出する光の柱が現れた。闇を貫くように天まで伸びる光柱。この光に触れた瞬間、トラルキアまでの道が紡がれる。
彼女はその手を光に近づけていき、あとほんの数センチの所で
「.......」
「どうしたの......早く」
――ピタリと動きが止まる。
そして首だけで振り向いて一言。
口だけの動き、音は無い。
だがそれを見て老婆は笑った。
「いってきます」
歩乃果は最後にそう言い残し、光の柱に溶けて紛れて消えていく。
その行先は他ならぬ一人の男の元。
愛してやまない彼が今どうしているのか知る由もない、だが後々に知る事実が彼女を苦しませることになる。
――既に夜は明けた。
彼にとっての悪夢は向日葵のように明るい明日によって上書きされ、期待と好奇心が空一面に広がっていることだろう。空模様が一様では無いように彼の心象も代わり替わりするだろう。
だから彼に夜はまだ訪れない。
陽の当たる所があれば陰があるように、彼が日を受けている間誰かが夜を受け持たなければならない。その夜が明けるまで抱え続けなければならない。
誰かの日が上がる時
別の誰かの日が落ちる。
翔太の日が上がり
歩乃果の日が落ちる。
夜はまだ終わっていない。
~~~~~~~
「昨日、三之翼のリゾエちゃんと二人っきりになったんだけどよ。俺緊張しすぎて何も喋れんかったわ。あの時の緊張と比べたらまだ
「盛りすぎだろ。っていうか絶対イケるのになんでそんな奥手なんだよ、押せ!」
「いやぁ.......時と場合ってあるだろぉ」
「今度、良い店紹介してやるから。な?そこで一発かましてこいよ」
『タルタロス』
それは神々の暮らす国オリンポスの地下深くにある巨大な監獄。
過去に罪を犯した天使や神などがその贖罪の為に投獄される、罪への反省と更生を狙いとした場所。
ただ、それは上層の階層の話。
下の階層になるにつれて罪人達の危険度も罪の大きさも跳ね上がる。
天使を大量虐殺した者。
最高神に逆らった反逆者。
定義で世界を歪めた者
神殺しを成した者
彼らは犯してはならない禁忌に触れてしまった者達なのだ。
彼等を牢に入れた所で更生など目的には入らない、もはや
神は残酷であり、杓子定規なのだ。
そしてこの巨大監獄の最下層は最高神によって
それは【自死不能】【脱出不能】【伝播】の三つ。
【自死不能】【脱出不能】は文字通り自らの意志で死ぬことが出来ず、脱出することもできないという定義だ。
まるで永遠の様に感じる時間を一人で過ごさなければいけない、それだけで精神が滅入るのは誰でも想像が出来ることだろう。
そして【
これは現在に至るまでにタルタロスに収容されていた人間や天使や神などの痛み、苦しみ、悲しみ、怒りを共有させる最悪の定義だ。
何を犯せばここまでの罰が与えられるのか.......問いに応える神は誰一人としていない。
そして、最下層に繋がる深淵の虚構。
警備するのは二人の天使だった。
「あーこの仕事つまんねぇよなぁ。穴を守れ?決して入るな?何があるかも知らねぇのによぉ、暇にもほどがある」
「ただの四角形の小部屋にこの変な穴。何が面白くてダルい仕事してるっての、でも時給高いんだよなぁこの仕事」
「だよなぁ、なんでこの程度の仕事にかい月の給料の何十倍もの金が支払われるんだよ」
「それな、『穴を守れ』と『異常があった場合命を賭して報告しろ』だけだもんなぁ。異常なんてねぇし、穴を守るにも誰もこねぇし」
「穴だけにこの仕事マジで穴すぎるわ」
「くだらな、こんな事しか言い合えないのも暇の印だよなぁ」
「それなんだよなー」
彼らは怠惰そのものだった。
無理もない、この仕事に就いてまだ10年。
仕事の責任なんてものは始めて一週間経つ前には消え失せ、今では持て余す程の時間しかない。
そして山ほど入ってくる金。
ただ立っているだけで得られる大金に、彼らは完全に酔いしれていた。
この日彼らはこの仕事を辞める。
一人は得た大金をもって姿を暗まし二度と姿を見せることはなかった、もう一人は植物状態と化し、数日後安楽死を迎える事となる。
そうなった原因は
ただの二次被害だった。
「ッッ......う”あ”」
「あ”......あ”っ”......」
この瞬間、アフロディーテは力を開放。
最下層の中で発せられた神通力は遠く離れた穴の入口を貫通し、自らの定義域を広げる。
アフロディーテが発される濃密な情報とほぼ無限に感じるような情報量。天使達の精神は崩壊し、自らの意識を沈めた。
この時、アフロディーテは神居歩乃華に自らの過去を投影しただけであり、彼らはそれに巻き込まれたただの被害者である。
彼らは知ってしまったのだ。
下の存在がどれほど許しがたい者なのかを。知ってしまえば生きては帰れないということを。
そして発せられた莫大なエネルギー。
地下深くの深淵から伝播した衝撃は容易に上まで届いてしまう。
それに気づかない神達ではない。
着々と確固たる意志を持って
各々の運命の針が動き出した。
第1章︎:異世界に来ました︎ [完]
次章に続く
〈あとがき〉
ここまで読んで下さった
貴方に最大限の感謝を。
フォロー、♡、☆是非よろしくお願いします。
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