12【分水嶺】
「こ......こはどこなの?......翔太は?」
私が目覚めると、そこは闇だった。
一寸先も見えないような完全なる暗闇、耳をすませど一切の音は無い。
(とりあえず現状を把握しないと)
あの日、首から下の感覚が消えた所まではしっかり覚えている。特に痛みも後悔も無くただ意識が薄れていくだけだったから記憶として残るものはなかった。
ああ、これで翔太に会える。
そう思って疑わなかった。
「なのに.....ここはどこ?」
地面の感触は固くアスファルトのよう。
天井を見上げれば光は見えるが、ここまで届いていない。光自体、夜空に浮かぶ星くらいの大きさしかないのだ。
どこまで光源と離れていればそこまで光が小さくなるのか......
「まずいわね.......このままだと壊れる」
知覚のような現在進行中のタスクを処理する脳の部分は、視覚や聴覚から得る大量の情報を常時処理することに慣れている。突然情報がストップすると、さまざまな神経システムが脳に存在し得ない情報を送り込むので、脳に異変が生じるのだ。
その結果、過度な幻覚や幻聴になったり論理的な思考が出来なくなったり、方向感覚がズレたり、簡単な計算も解けなくなったりする。
しかもこれは衣食住と安全が確立されている中で行われた実験の結果であって、今私がいる場所はその全てが侵害されているのだ。
このままでは精神崩壊するまでそう長くは掛からないだろう。
「壁か、出口に繋がる何か......」
私は足元に十分な警戒を残しつつ、腕を伸ばす。暗闇の中を歩くのは初めて経験なので、慎重に確実に行う。
流石の私でもこれは応えた。
足音は鳴る、だが音が反響しない。
「まさか........壁が......ない?」
とてつもなく広い空間
という可能性がよぎる。
私はその可能性を考えた瞬間
何かが抜け落ちる感覚がした。
「はぁ.......はぁ.....は”ぁ”」
まずい、このままではまずい。
私は駆けだした。
足元も目の前も見えない中で走るのには勇気が足りていなかったが危機感がそれを後押した。
「翔太!翔太どこなの!!ねぇ翔太!!」
どれだけ叫んでも声は返って来ない。それどころか響きもしない。私は焦った、これ以上なく焦燥に駆られた。
「ねぇ!!!!翔太!!!!」
『こっちだよ』
「!!!!」
今ハッキリと聞こえた。
あの声色、ちょっと自信なさげな声。
間違いない......翔太だ。
「ねぇ!翔太いるの!!どこなの??」
『ここにいるよ』
声は前方から聞こえてくる。
私は更に速度を上げて駆けだした。
目尻から涙が溢れてくるのが分かる。
私にとってはこの暗闇よりも翔太と会えないことの方が、何億倍も辛いのだ。
「翔太!!!!!!今そっちにー」
「止まりなさない。神居歩乃華」
「!」
今度は別の声。
私の事を知っているような口ぶりだが知ったことでは無い、耳障りなので無視が安定だ。
「それ以上進まない方がいいわ。今度こそ死ぬわよ?」
また、この声だ。
何だ?進むな?今度こそ死ぬ?
『ほら、こっちにきて。歩乃華」
「!!!!」
「その声は偽物よ。気付きなさい神居歩乃華」
うるさい、何だこの声は。
翔太の声の邪魔をするな。
「うるさい!私の邪魔をするな!!!」
「暗闇で正気を失っているのね」
「!!!!!」
その声をきっかけに私の目の前に蝋燭のように弱々しい光が灯る。
その光はぼやぼやとしていて、いつ消えてもおかしくない大きさだ。
「よく見ていなさい。その光を」
光は前方に少しずつ移動していき、ある程度したところで止まった。
そしてその光が照らすのは
「壁?なの?いやでも音が..........」
それは壁だった。石がレンガのように規則正しく並べられている石壁。
だけどおかしい、音の反響は無かった。
「それが壁に見えるのが羨ましいわね。まぁ......それは後でいいとしましょうか」
そして光は別の方向へ進んでいく。
私はゆっくりと進む光を追いかけるように歩みを進めた。恐らくこの行動が一番現状の打破に良いと思ったからに他ならない。
もしかしたらここが何処なのか分かるかもしれないからだ。
そして光はぴたりと空中で静止する。
光はだんだんと力を増していき、視界を広げる。
「初めまして?かしらね。神居歩乃華」
そこにいたのは、熊でも繋ぐために使用されるような堅牢な鎖に手足と首を囚われ、骨と皮が透け弱々しくやせ細った白髪の老婆だった。
「貴女は......何?人なの?」
私がこの老婆を一目見た時に感じたのは、今まで会ってきた何とも違う異質感、まるで得体のしれない何かが人の皮を被っているような感覚。
老婆が私を見る視線は柔らかく、母性すら感じる。しかし、私の一言二言でこの目線が修羅にも変わるという確信が、警戒から手を離さない。
「流石私の選んだ『器』。感じ取れているみたいね」
見た目は100歳を有に超えている老婆なのに、喋る口調は若めだから頭が混乱してくる。もう少し見た目相応にしてほしい。
「貴女の言う通り、私は人ではないわ」
「じゃあ、貴女は一体?」
「概念的な存在というか、生命体ではあるんだけど理に干渉できる存在というか......まぁ分かりやすく名称するなら『神』ってところかしら」
「神?貴女が?」
「何?もしかして信じられない?」
抽象的な言葉を出されても困る。
神とは信仰、犠牲、祈りなどに応じて現世や来世における恩恵を与えてくれる存在であり、 神が人と同じような人格(姿)を持つと言われているだけであってその存在が確定しているわけはないのだ。
『私は神だ』
と言われ『そうですか』とはならない。
「今の私には神か否かを立証することは出来ない。だけど、今貴女が喉から手が出る程欲しい情報を持っているわ」
「情報?......対価は何?」
「察しが速くて助かるわね。勿論、この情報を得るには対価が必要。でもこれだけだと私が有利になって
そう言って彼女は手招きをした。
悪意は感じられなかったので応じる。
「いい?実は『三上翔太は生きている』の、これ以上知りたかったら私のお願いを聞いてくれるかしら?」
「翔太が?生きてる?は?どういうことよ?ねぇ?どういうことよ?」
「ぐっ”あ”!!や、や”め”.....なさい」
脳を介せず手が老婆の首へと伸びた。
そのままギチギチと締め上げていく。
「手を離し”な”さい......手荒な真似はした”く”......ないわ」
「死にたくないなら早く話して。翔太について少しでも知ってることを話して。翔太は今どこにいて、何をして、誰に縋って、何を望んでいるのか話して」
私は更に強く首を絞めあげていく。
首の骨が折れるくらいの力で。
メキメキと骨が鳴り、顔から血色が抜けていく。目は虚ろになり、息をするので精一杯のようだ。
「ほら、早く言いなさい」
私は殺す気で首を絞めた。
「ぐ”っ”......もうこ”れ”し”か”ないのね」
彼女の心の臓から溢れた光。
私はそれを認知する間もなく
その眩い闇に飲みこまれた。
~~~~
「い、今のは......」
「はぁ......はぁ......見せた以上もう時間が無い。一刻も早く儀式を済ませなければ」
目の前の『神』は首を絞めあげてもいないのに血色が悪く、骨と皮が更にむき出しになっており、今にも死にそうな状態だ。
「良い?今見せたものが私が貴女に望んでいる事。私はこの復讐が成し遂げられればもう悔いはないの。だから貴女の願いを叶えるかわりに私の願いを聞いてほしい」
正直、今見せられた光景が本物なのかどうか判断する方法は無いが、御伽噺のような惨劇に私は息を飲むことすら出来なかった。
そして、もしこれが事実なら私は『神々の戦い』に首を突っ込むことになる。
凡そ無事では居られない、命が幾つあっても足りない。
たが即断る選択肢も無い
この取引に応じれば翔太が返ってくるからだ。私が私以外の誰を犠牲にしても求める彼が戻ってくる。
彼のことを考えただけで体の火照りが留まることを知らない。ただでさえ翔太不足なのに、これ以上会えなくて堪るものか。
「分かったわ。私はこの取引に応じる」
私の言葉を聞いて老婆はにこりと微笑んだ。そして、嘗てとは見る形も無い枯れ木の枝のような手を差し出してくる。
「汝に問う、我Aphroditēの為にその力奮う覚悟はあるか」
恐らくこれは先程見た光景の中でやっていた神との使徒契約の儀式だろう。
口付けを通すことで神と使徒ととの間にバイパスが繋がれ、神の一部が使徒に移る。
契約した神と使徒になる者の相性によって得られる能力に差があり、その相性のことを『一致度』と呼ぶ。
「誓うのならば口づけを、忠誠を誓いなさい」
「誓うわ」
私はその手に口づけを落とした。
――その瞬間、体が跳ね上がる。
「ツッ゛!?」
駆け巡る凄まじいエネルギーの濁流、それら五体を巡り筋繊維1本1本に溶け込み混じ合うが分かった。
その勢いに思わず意識が一瞬飛びかけるがこらえる、そして今か今かと体が適応するその時を待った。
「やはり貴女なら耐えられると思っていたわ」
目の前に浮かぶ透明なウィンドウ。
【
<
アフロディーテの加護と寵愛を受けた証
一致度:100%
・繝代Φ繝��繝「繧ケ
・言語理解
・異世界転移
その文字列を理解した時
私は大きく天を見上げた。
私の眼に映る景色は以前とはまるで別世界、もう後には戻れないと言われているような気さえする。
「いやこれでいいのよ」
これから私は幾度となく困難に襲われ危機に陥るだろう。命を落とす事もあるかもしれない。
それでも、ただ1つの為
翔太を今1度この手に戻す為
私は人間を辞めてでも
前に進まなければいけない。
そのためならば
「アフロディーテ、さっきの『器』の件だけど」
「......」
「喜んで引き受けるわ、やって頂戴」
「そう言うと思ったわ♡」
神でも悪魔にでも力を求める。
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