第9話 水色、しましま、アルカディア
学校から帰宅した俺は、久しぶりに「ただいま」と言ってみた。ヌー子の返事はない。
リビングに入ると、みっともなく手足を広げたヌー子がソファで寝ていた。
どうやらちゃんと大人しくしていたらしい。
俺の気配を察してか、ヌー子はむくっと起き上がると、大きくあくびをした。
「おっそいにゃあ。待ちくたびれたにゃ〜」
「いやガッツリ昼寝してたじゃねーか」
今日はこの後、ショッピングに行かなければならない。ヌー子の生活用品を揃えなくてはならないからだ。
という事で、俺は自分の部屋でぱっぱと制服を着替え、外出の準備を整えた。
ヌー子には俺の服を着せる。ダボダボだが仕方ない。ズボンなどは裾を捲って、ダウンの袖からは手が出ていないが、まぁ大丈夫だろう。
「これでも被っとけ。その耳は目立つからな」
俺はヌー子の頭に、いつ買ったかも忘れたキャスケットを被せた。ヌー子はそれを一旦手に取ると、顔の前に持ってきてくんくんと匂いを嗅いだ。
「ご主人の匂いにゃ」
「そりゃな」
「これ、貰ってもいかにゃ?」
「いいよ。もう使ってないし」
そい言うと、ヌー子は上機嫌にスキップをしながら玄関を出て行った。
「ご主人っ! はやく行くにゃ!」
そうして俺達は、駅前のショッピングモールへと向かった──。
…………
……
ショッピンモールに着くやいなや、ヌー子はテンション爆上がりでアパレルショップを見回っていた。
「あんま高いもんは買えないからなー」
「ご主人っ! これ欲しいにゃ!」
「おまこれヴィ◯ンじゃねーか。無理無理」
「じゃあこれにゃ」
「グ◯チじゃねーか」
ヌー子が興味をしめす服は、見事にショッピンモール内のハイブランドを上から網羅したようなラインナップだった。
恐るべし、猫の審美眼……。
当然そんなもの買えるわけも無いので、俺は若者向けでコスパに定評のあるアパレルショップに入ることにした。
女物の服なんて普段みないので、ふーん、こういうのがあるんだー。と感心していると、店員さんが話しかけてきた。
「妹さんですか? どんな服をお探しでしょう?」
「妹じゃないにゃ! にゃあはご主人のペットにゃ!」
「おまっ!? バカヤロウ! そんな事言ったらっ……!」
「えっと……そ、それはどういうっ……あっ! なっ、なんかすいませんっ! あの、どうぞごゆっくり!!」
「ち、違うんです! 誤解です誤解!」
「多様性ですよね多様性!」
店員さんが明らかにドン引きしながら離れていってしまった。
多様性……なんて便利で恐ろしい言葉なんだ。
それからヌー子にあまり変なことを言わないようにと注意し、サイズの合いそうな服を適当に見繕って購入した。
そしてついに鬼門が訪れた。
下着ショップである。
下着店に男が入る気まずさったらないがヌー子一人に任せるわけにも行かない。
「ご主人、これ意味あるのかにゃ? あって無いようなもんにゃ」
ヌー子が見せてきたのは、パンティの中でも特に布面積が少ない所謂ティーバックと呼ばれる物だ。
「それはそれで需要があるんじゃねーのっ」
俺はなんだか気恥ずかしくなって明後日の方向へ目を逸らした。
「ん〜? どうしたんだにゃ〜? なんか顔が赤くなってるにゃ」
ヌー子は揶揄うように俺の顔を覗き込んでくる。
こいつ……。
「なんでもねーよっ。ただ目のやり場に困るだけだっての」
さっきからご主人ご主人と呼ばれているせいで周りにも変な目で見られている気がする。
そんな時、背後からよく知った声が聞こえた。
「──あれ、智?」
恐る恐る振り返ると、そこにいたのは案の定ベージュ色で丈の長いコートを着た葉月だった。
俺は咄嗟に陽気な笑顔を作り、声を2トーン位上げて答える。
「ヒトチガイジャナイカナ?」
「な訳ないでしょ。で、こんな所で何してるのよ?」
「ダカラヒトチガイダヨ! マッタク、コマッタプッシーキャットダネ!」
俺が陽気なアメリカ人キャラを貫いているのをみて、葉月は呆れるように溜息をついた。だが俺はめげない。
「ソレトモ、ナンパノツモリカナ? ザンネン! オッパイガタリナイヨ! HAHAHAHAHA!!!!」
「ピキッ(血管が切れる音)」
ボゴッ。
ノーモーションで殴られた。ちょっと調子に乗りすぎた。反省。
「ていうかその子……」
葉月は神妙な顔付きでヌー子を見据えた。
「アンタの話じゃ、その子がヌー子ちゃんなんだっけ?」
「ああ」
ヌー子はやけに静かにしていると思ったら、葉月にガバッと抱きついた。
「え!? な、何!?」
「にゃあ!!!!」
するとヌー子は気合いの入った掛け声と同時に、葉月の履いているロングスカートを勢いよくめくり上げた。
嗚呼──雅かな。
刹那の間、葉月の下半身があらわになり、俺は眼前に出現した水色の縞々模様を4K画質で網膜に焼き付け、海馬の量子力学フォルダに保存した。
「……っ!!」
葉月は顔を真っ赤にしながら必死にスカートを抑えると、親の仇のように俺を睨みつけてきた。
「ヌー子! なんて事をっ! ありがとう!」
ボゴッ。
またもや葉月に殴られてしまった。
「どうゆーの履いてるのか気になっただけにゃ」
「ヌー子。女の子って言うのは男にパンツを見られるとキレ散らかす生き物なんだ。だからもういきなりスカートをまくったりしちゃダメだぞ」
「にゃあ。ごめんなさいにゃ」
ぺこり。
と、ヌー子は葉月に頭をさげた。
これまた素直に謝るヌー子に葉月も矛をおさめたらしく、気を取り直したように息を整え話し始める。
「それで、どういう事なの?」
「朝言った通りさ。ヌー子が猫になったから衣服を買いにきた。良かったら手伝ってくれないか?」
葉月は訝しげに黙り込むと、ヌー子をチラリと見て言った。
「その前に、本当にこの子がヌー子ちゃんなのか確かめさせて」
葉月は近くの店員に声をかけると、ヌー子を連れて試着室に入って行った。
「──にゃっ、にゃあ〜! 変なとこ触るなにゃっ……にゃ! そこ、だめにゃっ……!」
「すごい……これどうなってるの……? ふわふわで気持ちいい……。ん、ちっちゃくてかわいい……」
「にゃっ……! にゃにゃっ! そこは敏感にゃっ────ッ! ご主人ッ! ご主人ッ!」
しばらくして、試着室の中から聞こえてきた嬌声に、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。店員も苦笑を浮かべている。なんかすいませんと心の中で謝っておく。
何やってんだ葉月のやつ……。
「にゃ〜〜」
漏れ聞こえる
続いて葉月が出てくると、納得したように頷いた。
「信じられないけど、信じるしかないようね」
「分かってくれたか」
「でもアンタっ、だからってヌー子ちゃんに変なことしてないでしょうね!? 今日の朝みたいに」
「してねーよ! あれだって事故だっての!」
「ふーん。ならいいけど……。……ったわ」
「え?」
「疑って悪かったわって言ったのっ」
「いいよ、別に。無理もないし」
俺が逆の立場だとしても信じられなかっただろう。なにはともあれ、色々誤解も解けたようで良かった。
「因みになんだけど……」
葉月が、なんだかモジモジしながらこちらを見てくる。
「智は……どんな下着が好きなの?」
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