50.命乞い

 日が落ちてきたこともあり暖房のない廊下は寒かった。クレリアは大きめのセーターを着た腕を組みながらガエルの後についていった。


「ガエルさんは、ここに帰ってきた時にたくさんお金を持っていたと聞きました。でもなぜここに帰ろうと思ったのですか?」

「街の方が住みやすいだろうって? 村の者らにも散々そう言われたよ。その度に、私はいつもこう答えた。ここが故郷だからだ、と。思い出がなくても、人間は生まれた場所の空気を記憶しているようだ。ここに戻って呼吸した時に、私はここの人間なのだと分かったよ」

「なるほど……」


 自分にもいつかそんな時が来るのだろうかとクレリアは思った。ガエルは得意そうに続ける。


「帰って来る前の私は、色んな土地を転々として暮らしていた。だがどこに住んでも、いつも何となくしっくりこなかった。家も町も、自分のものにならない感じがした。故郷ではないからだ。そんな単純なことが理由で、便利な町、美しい町、安全な町よりも、このちょっと不便で寒くて小さな村が一番くつろげるのだよ。あなたもそれが見つかるといいね。……さあ、ここだ」


 ガエルは目に付きづらい場所にあるドアの前で立ち止まった。この屋敷には珍しいであろう無骨で頑丈そうな、やや小さなドアだ。三つもついている鍵穴に、ガエルはそれぞれ違う鍵を差し込んで解錠した。

 中は狭くも洗練された美しい部屋だった。細い台座や展示箱が間隔を空けて設置されており、花瓶や置き物、宝飾品が丁寧に飾られてある。ガエルはクレリアを中へ案内すると、台座の一つを横から押してずらした。

 そこには壁に埋め込まれてある小さな金庫があった。ガエルがつまみを回して暗証番号を揃えて扉を開く。


「これが私の大事な、出生の証だよ」


 そう言って金庫の中から一枚の布を出して腕に広げた。

 黒い帯状で、金糸で樹木を模した刺繍が施されてある。布は厚みがあり感触が硬そうだ。


「これが……おくるみですか?」

「派手だろう? 若い頃は貧しかったから、正直、売っぱらってしまおうかと悩んだこともあったよ。それが今では誇りになるとはな。で、どうかな? あなたのと比べてみて似たところはあるかな?」

「いえ、比べるまでもなく、全然似てません」


 クレリアは、赤ん坊を包むに相応しくない布を前にして、もう本音を言ってもいいだろうと思った。


「ガエルさん、本物のおくるみは持ってないんですか?」

「……本物? まるでこれが偽物みたいに言うじゃないか……」


 その時、クレリアの頭に今までの違和感の正体がひらめいた。


「もしかして、ガエルさんが偽物なんですか?」


 お茶の席でガエルの来歴を確認したら、妙に強い反応をしたこと。他の家族について尋ねたら、うろたえていたこと。そしてこの用途不明の布。

 ガエルは目を伏せると、ガエルらしくない様子で徐々に笑みを深めていき、とうとう大口を開けて笑った。


「あっはっは……! やっぱりこれは無理があったか。そうだよお嬢さん、オレは本物のガエル・ゴルディングじゃない。おくるみなんて知らない。多分巻かれたこともないね! この布は君から話を聞いて急遽用意したものなんだ」

「な、何のためにですか?」


 すっかり普通の青年っぽくなったその豹変ぶりには驚いたが、クレリアは冷静に疑問を呈す。すると偽ガエルは目の前で指を振った。


「君のことがこわいからさ。その訳はこうだ……オレは黄金の一族、ゴルディング家の唯一の生き残りにして村の主人。そんな平和で満ち足りた生活を送っていたある日、君がやってきて、自分はガエルの親戚ではないかと言い出した。でもオレには答えられない。ガエルの親族のことまでは知らないからな。だからオレは嘘を明かしかねない危険因子である君に長居してほしくない! というわけで」


 ガエルは芝居がかった身振り手振りで話し、最後に頭を下げた。


「このことは誰にも言わないでください。お願いします」

「あ……はい、いいですよ」


 呆気に取られながらもクレリアは頷いた。それを聞いてガエルの方が不思議そうに顔を上げる。


「ん、なんで? と聞くのも我ながら変だが。でもなんで?」

「村の人がガエルさんのことを評価してたからです。もう、この村にいなくてはいけない人なんだと思います」


 その言葉は偽ガエルの心を打ったようだ。


「そうか……。村人を手懐けるためにやり始めたことが、素直に受け入れられているとはね」


 しみじみと言いながら、布を金庫に詰め込む。


「オレは今まで詐欺師をしてたんだ。王国中の金持ちからありったけ巻き上げてきたが、ある時誰かが怖い連中を差し向けてきてね。で、ちょっと身を隠すことにしたんだ。そこで、どこかで聞いたゴルディング家の話を思い出して、ここに来たのさ。田舎暮らしは性に合わないが、命が懸かってちゃ四の五の言ってられないわけで」


 ガエルは金庫の扉を無理やり閉めて鍵をかけ直した。


「この村でずっと演技をしていたんですね。でも結局どうしておくるみを持ってるって嘘をついたんですか?」

「……実は君のおくるみを頂いちまおうと考えてたんだ。それがあればオレは本物のガエルにまた一歩近づけるからな。模様の違いは後で修正するか、記憶違いだったとか言って誤魔化せばいいと思って、君がここにいる間に部屋に忍び込むつもりだったんだ」


 絶句したクレリアへ、調子の良い笑顔を返す。


「聞かなきゃよかった? まあまあ、そんな顔しないで。でもさっき頼んだことは本当に、頼むよ? 人助けだと思ってさ」

「ガエルさんがいなくなると村の人が困りますよね」

「そうそう!」


 ガエルは大きく頷く。クレリアは、今の自分の言葉は自分へ言い聞かせたのだということにした。

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