44.原始的好奇心
空を飛ぶ爽快感に浸れたのも数分で、クレリアは地上の遠さが怖くなった。
「ねぇ、いつまで飛ぶの?」
ユニコーンの頭が僅かに振り返る。後方まで見える広い視野でクレリアを捉えたようだが、降下するつもりはなさそうだ。左に曲がったり、右に旋回したりと、街の上を自由気ままに飛び回る。飛ぶこと自体を楽しんでいるようだ。
それがこの生き物のやりたかったことなのかもしれない。檻の中に閉じ込められていた反動で脱走したという可能性にクレリアは思い当たった。
だが、疲れてきたのかユニコーンは鼻息が粗くなってきている。クレリアはもう一度話しかけた。
「そろそろどこかに降りて休もう」
やがてユニコーンは高度を落として、近くの集合住宅の屋根に着地して息をついた。提案を聞き入れたというより、体力の限界が来たという様子だ。クレリアはミンミと一緒に背中から降りた。
屋根の下から群衆の大声が追いかけてくる。道を覗いてみると、警吏の馬に先導されているかのように野次馬の市民が大勢いる。ユニコーンはすっかり街中の噂になっているようだ。その集団はユニコーンが降りた建物の下で立ち止まった。
警吏隊の中から声が届く。
「動かないでください! 今からそちらへ行きます!」
エリーアスの声だ。しかしそこへ野次馬の中から警吏の規制を破って飛び出した人物がいた。大きな体はカウハネンだ。栗色の頭の若い男性、おそらくラザも便乗する。
きっとカウハネンは、男性は近づくなと訴えているのだろう。だがエリーアスとラザ、警吏たちも納得しかねている様子だ。
クレリアはユニコーンの様子を少し観察した。息の方はまだ少し荒いが、気分は落ち着いているようだ。なので下の道へ向かって叫んだ。
「そっちへ降ります!」
警吏たちは道の両側を規制して場所を作り始めた。クレリアは、屋根瓦の上を慎重に歩いてユニコーンの元へ戻った。
「私を下ろしてくれる?」
ユニコーンは答えの代わりに再び身をかがめた。ミンミとクレリアを乗せて立ち上がる時は、少々足元がおぼつかない様子だったが、少し屋根の上で助走をつけるともう一度宙を滑空した。
クレリアが指差した着地点へ、滑るように舞い降りる。
だが石畳の上で小走りを始めたその時、細い前脚がリズムを崩して前のめりになった。
クレリアはミンミと同様に投げ出されたが、衝撃は思ったほどではなかった。エリーアスが身を挺して受け止めてくれたからだった。
「エリーアスさん……! 大丈夫ですか?」
「平気ですよ」
涼しげにそう言うものの、喫茶店から駆けつけて来たのだろう、いつもの装備とは違ってシャツにエプロンという軽装だ。地面に身を投げて辛くないはずがないので、クレリアはすぐに上から退いた。ミンミも無事で、ラザの膝にいる。
ユニコーンは石畳を三本足で掻いてもがいていた。カウハネンが決死の表情で近づいてくるのを見るや、額の角を振り回し、翼を動かして逃げようとする。だが、疲れ切った翼では少し浮くことしか出来なかった。その小さな落下が傷に響いたのか、悲痛な嘶きを上げる。
「なんて無茶を……!」
エリーアスが顔をしかめた。見た目もさることながら、自分を傷つけてしまうほど混乱しているユニコーンのことを生物として不自然だと感じていることだろう。
「きっと自分がどれだけできるか分からないんです」
クレリアは呆然と、独り言のように言った。
ユニコーンはどこかで人の手により作られたという。夢を再現した皺寄せが、目の前の惨状なのだ。
だが、ユニコーンはまだもがいて生きようとしている。
クレリアはユニコーンに近寄って、少し首を撫でてやってから、折れた脚へ手をかざした。淡い金色の光が患部を包む。
獣医を呼ぶよう訴えていたカウハネンはそれに気付いた。
「え!? ひ、秘術師だったんですか!?」
だが、クレリアは奇妙な感じを覚えた。注いだはずの神聖力が患部に留まっていない。どこかへ流れ出ているようだ。まるで割れたグラスに水を注ぐように。
「どうして……?」
「……クレリア様」
強まる秘術の光を見てエリーアスが止めに入ってきても、クレリアは精神力を使い続ける。
だが、少しも良くなることなく、ユニコーンはとうとう倒れてしまった。カウハネンが頭をかきむしる。
「そんな、駄目だ駄目だ! ここまで来るのに苦労したんだぞ! こんなところで終わっては……!」
「もうやめましょう」
エリーアスはクレリアの腕をやんわり掴んで引き離した。
「脚の怪我は馬にとって致命的です。治療をしても苦しみ、助かる見込みは薄いんです」
「…………」
結論を、クレリアはもう知っている。本で読んだか、話に聞いたことがある。
ラザがクレリアたちに肩を並べた。
「俺がやる。人がやってるのを見たことあるんだ」
仮面を着けていない顔に表情は浮かんでいなかった。
クレリアとラザは一緒にユニコーンへ近づいた。地面に横向きに倒れ伏しているユニコーンの頭を、まずクレリアが抱いてやって視界を狭める。作った死角でラザが首に腕を回す。
クレリアは手を離さなかった。ミンミが近寄ってきて体を擦り寄せたので、一緒に黒い片目を覗き込んだ。
「……助けに来てくれてありがとう」
囁きが聞こえたかどうかは分からない。
その目が映していた空の高みへ、ミンミの遠吠えが響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます