29.執行人ラザ

 墓地の村に入ったクレリアたちはすぐに妙なことに気づいた。


「静かですね。誰もいないみたいに……」


 村には人影がない。どの家も鎧戸やカーテンを締め切っており、まるで留守の様子だ。

 そこへ声が掛かった。


「待ってたぜ」


 井戸の向こうからやってきた男の出で立ちにクレリアはぎょっとした。目元を完全に覆っている仮面と白い装束の儀式めいた格好や、肩に担いでいる刃の大きな斧は、彼の軽やかな足取りでは覆せないほど不吉な予兆を示している。


「話通り女が来たな。それも可愛い人だ」


 エリーアスも同じように、あるいはクレリア以上に危険を感じたのだろう。庇うように前へ進み出る。


「何の用だ?」

「あぁ、あんたには関係ないから。俺はただそこの人の首を刎ねるだけだよ。そうすれば村は大金持ちになれるからな」

「何……!? 貴様、何者だ?」


 睨まれて、男は肩から下ろした斧の柄を両手で構えた。


「俺は第十一代執行人ラザ。しがない新人処刑人です。だからそこの人は俺の初めての女……ってことだな。へへ」


 クレリアは仮面の下からの見えない視線を感じた。不思議と恐怖はない。ただ、軽快な言動に目を丸くするばかりだ。

 とはいえ、ラザと名乗った彼が自分たちに立ち塞がっているのは明らかだった。エリーアスが荷物とマントを地面に落とし、手入れのツヤが光る銀色の篭手で構えを取る。


「クレリア様、下がっていてください。話を聞き出します」

「聞き出す……?」


 ラザも斧の刃を鈍く光らせた。


「あんたのことはマジで知らないぜ!?」


 重たげな得物を持っている割に、エリーアスへ斬りかかるその身のこなしは軽い。だが身軽さはやはりエリーアスの方が勝るのか、手の甲で刃をいなすと、次の瞬間にはもう片方の拳を叩き込もうと脇を締めている。

 予想外だったのは、ラザが地面に刃が食い込んだ斧を支えにして宙を飛び、その場を離脱したことだ。エリーアスは柔軟に方向を変えて長い脚で蹴りを繰り出すが、それもラザは斧から手を離してかわした。金属製のグリーヴの踵が脇腹のすぐそばで風を切る。


「おっと……! でも俺の勝ち」

「……!」


 クレリアの肩に手が置かれた。いつの間にか真横に来ていたのだ。

 だがエリーアスは微笑む。その視線がちらりと下方へ向いたので、ラザが振り返ってみると、ちょうどミンミが革のブーツから出ている膝裏に噛み付いたところだった。


「痛ぇ! っていうか犬が服着てる!?」


 その場から飛び退るもミンミに追われ、ラザは逃げようとしたが、彼の斧を奪ったエリーアスに行く手を遮られる。同じ場所で足踏みした結果、ラザは指ぬき手袋をはめた両手を上げた。


「分かったよ……降参します」


 エリーアスが斧を下ろしたので、クレリアはミンミをそばへ呼び戻して頭を撫でてやった。


「聞き分けのいい奴だ。では、誰と取引したのかを話してもらおう」

「あー、誰と、って言っていいのか分かんねぇな。それに俺はその時寝てたしなぁ。でも最初から話すとだな、あれは昨日の夜のこと――」

「ラザぁ!」


 しわがれた叫び声が聞こえた方を皆が見た。村で一番大きい家の二階の窓で、夜闇のように暗い色のクロークを着た人物が老婆の首根っこをつかんでいる。

 ラザが息を呑んだ。


「あいつだ! きっと昨日の夜来た奴だ!」


 王室の使者は老婆の首を外へ突き出すように押さえつける。


「その女の首を刎ねるのだ。さもなくば罰を与えん」

「え、何? 聞こえない!」


 手のひらを耳元に宛てがったラザへ、使者は声を張り上げた。


「処刑人の末裔よ、猶予はないぞ!」


 ミンミが激しく吠えたので皆は気づいた。その家の一階の鎧戸の隙間から煙が漏れていることに。


「燃えてるぞ!」

「ばあちゃん……!」


 ラザは血相を変えて走り出した。エリーアスはそれを止めなかった。

 家に閉じこもっていた村人たちが非常事態に気づいて続々と出てきた。桶や水が入る物を持ち出して井戸へ集まっていく。

 そんな中、エリーアスは使者が老婆を放して家の中へ引っ込んだところを見ると振り返った。


「あの不審者を探してきます。ここで待っていてください」

「は、はい……気をつけて」


 エリーアスは家の裏手へ向かった。家から出てくると踏んで待ち伏せるつもりなのだろう。

 それに引き換え、ラザは焦っていた。二階の窓の下から老婆へ叫んだり、施錠されているらしい玄関ドアを蹴破ろうとしている。しかしドアの隙間から煙が全く出ていない様子は、普通ではない感じがした。ミンミも耳を伏せながら吠えており、異常を感じ取っているようだ。

 クレリアはラザへ走り寄ってコートの肩をつかんだ。


「駄目です、一階はもう通れません。二階からも煙が出てますから、上がるのも危険です」


 今や老婆のいる窓からは黒や白の煙がもうもうと立ち上っている。


「じゃあどうすればいい!?」


 クレリアは食って掛かる勢いのラザへ背を向けると、村人たちへ呼びかけた。


「皆さん! 窓の下に柔らかいものを集めてください。あのおばあさまを受け止められるように!」


 村人たちはすぐに意図を理解して、何かを取りにそれぞれの家へ急いだ。その間に、クレリアはラザへ向き直って仮面の顔を覗き込んだ。


「おばあさまを説得しましょう。きっと大丈夫です」

「お……おう」


 ラザはどこかぼんやりと返事をしたが、落ち着きを取り戻したのは確かだった。

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