28.墓地の村へ
その夜、自分たちの他に客がいないと聞いたクレリアは、大浴場へミンミを連れて行った。エリーアスが、サバントもたまには洗ってやる必要がある、と教えてくれたからだ。
ミンミはいつの間にか砂埃まみれになっていたらしく、洗い始めると体から流れた水が透明になるまで何度もすすいだり濡らしたタオルで拭いたりしなければいけなかった。やっとクレリアも自分を洗い終わり、風呂から出た頃には大浴場の湯気で蒸されたように火照っていたので、部屋に戻って涼むことにした。
窓を開けると、山の寝息が清浄でしっとりした風となって柔らかく吹き込んできた。空の高みに青白い光を帯びるシンスの姿が半分ほど浮かんでいる。
ミンミのまだ湿っている体をタオルで包んでやりながら、クレリアは想像を始めた。もしも何もかもが上手く進んで、両親に会えることになったら、と。
だが、想像は上手く行かなかった。一言目に何を言えばいいのか、同じテーブルに着いたとしてどんな話をするのか、何も思いつかなかったのだ。なのでそれは頭の隅へ押しやって、明日のことだけ考えることにした。
「明日は沢山歩くらしいよ。また汚れちゃうかな」
ミンミはまだ口から舌を出していた。その顔は何となく笑っているように見えた。
夜闇にいくつかのランタンが不安げに揺れる。
村の人々は広場に集まり、井戸の前に佇む長いクロークをまとった人影を遠巻きに囲んだ。その中から、腰を伸ばした老婆が進み出て尋ねた。
「どなたでございましょう?」
「王室の使いなり」
人影は暗い色のフードの下から若い男性の声で答えた。
村人たちは怪訝そうに目を細め、一人が声を上げる。
「証拠はないのか?」
すると男は井戸のそばに置いてある桶へおもむろに手を入れた。低く唸るように何かを呟きながら、中に残っている水をかき混ぜると、その手を引き抜いて、指先から雫を地面へ滴らせた。
その瞬間、地面で小さな爆発が起こった。後ずさった村人たちへ、男はもう一度雫を落として発火による爆発を見せた。
「王室の沙汰に耳を澄ませよ。さもなければ、井戸の水も燃えるだろう」
何かが腐ったような異臭が漂う。村人たちは閉口して、男の宣言を聞き入れた。
「明日、この村に女がやってくる。王都にて極刑に課せられしも、罪から逃れた不届き者である。この者の首を取れ。さすれば、褒美が与えられるだろう」
王室の使者を名乗った男はそう言い残すと、道のない夜の森へかき消えるように立ち去った。
皆はそっと顔を見合わせた後、老婆へ視線を束ねた。後ろ手に固く両手を組んで、誰の目にも緊張しているその後ろ姿へと。
翌朝、クレリアたちは雑貨屋を訪れた。宿の主人に、雨が降るだろうと予告されたので、丘を登る準備をすることにしたのだった。
アルメン唯一の雑貨屋は、この辺りでの暮らしに必要なものを一通り揃えている。その店でクレリアは防水布のレインコートを購入することにした。
「エリーアスさんは?」
「私はコレがありますから」
彼は着ている防水性能つきのマントを示した。
「じゃあ、あとはミンミのですね。でも犬用の服なんてないよね……」
ミンミの胴体を覆うごく短い毛では、雨粒を弾くことができない。濡れて冷えたらいけないので何か着せてやりたいところだが、店の中をざっと見回したところ、衣類は人間用が少し置いてあるだけのようだ。
そこで目に留まったのは子ども用のカーディガンだ。クレリアは自分のレインコートとそれを買い、早速、外に待たせていたミンミの前脚をカーディガンの袖に通させた。
袖ぐりが大きすぎる以外は大きさが合っていた。妙に人間じみた格好が笑いを誘う。
「かわいいね、ミンミ」
「きゅん?」
首を傾げたところでエリーアスも耐えきれず、小さく吹き出した。
準備が整った一行は、村の端から続く道を辿って丘へ上った。傾斜は緩やかで、青々とした草に覆われていて美しい。曇り空でなければ爽やかだっただろう。
やがて一本の背の高い木が立っている頂上に到着し、そこからの眺めにしばし足を止めた。丘の周囲は木々に囲まれていて、まるで海に突き出た小島である。
「あれが例の村でしょう」
エリーアスが下り坂の先を指した。森の中に黒い屋根と白い壁の古めかしい家々があり、そばには形の整っている石が並ぶ広い区画がある。村を象徴するだけあって大きな墓地だ。
「こういう時って、お土産があった方がいいんでしょうか?」
「まあ……こんな面白い犬を連れているんですから、邪険にされはしないでしょう」
二人は坂を下り始める。ミンミは少し不服そうな顔でついていった。
その日、村は動いていなかった。一番大きな家の裏手で、金属を砥石で擦る音が鳴っている以外に物音はない。
その家の勝手口が内側から開いて老婆が出てきた。
「……おいでなすったよ」
囁くように呼びかけると、砥石の持ち主は湾曲している長大な刃を撫でる手を止めて立ち上がった。
その姿は白いコートと革の胴鎧を着込んでいる。頭にはフードを被り、目元を覆う鈍色の仮面によって顔の半分も隠れている。仮面は猛禽類の顔つきを模しており、鼻柱をくちばしのように丸い尖った出っ張りが守っている。
彼は全長が自分の身長ほどもある斧を肩に担ぐと老婆を振り返った。
「大丈夫だよ、ばあちゃん。これが終わったらメシ食おう」
そう言って若い口元が微笑むのを見て、老婆は苦しそうに顔を歪めた。
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