30.終わった時代

 村人たちが寝具や藁の束などを持ってきて積み重ねていく。その頭上で、老婆は二階の窓から頭を出して、煙を避けてなんとか呼吸していた。


「ばあちゃん、飛んでくれ!」


 ラザの叫びに老婆はか弱く首を横に振る。


「できやしないよ、足腰悪いんだから」

「そんなこと言わないでよ! ばあちゃん!」


 素顔が見えない分、クレリアはラザを少年のように感じた。だからもどかしそうなラザに代わって言った。


「飛び降りてください! 私は聖女です、怪我をしても今まで以上に元気にしてあげられます!」


 誰もがクレリアを振り返った。老婆もハッとして、自分を見上げる少女の顔を凝視していたが、やがて膝を苦労して持ち上げると、窓枠を乗り越えた。

 小さくて軽そうな体がシーツの上に落ちる。すぐにラザと村人たちが駆け寄って老婆を抱え、もうもうと煙を吐く家から皆で遠ざかった。


「ばあちゃん、大丈夫!?」


 ラザの腕の中で老婆は大きなため息を何度かついて、頷いた。ラザも肩で安堵した。

 しかし家は見る間に焼き尽くされていく。とうとう二階に到達した炎が、窓から新鮮な空気を取り込んで勢いを増し、屋根を燃やしに掛かっている。なのに、裏へ回ったはずのエリーアスが戻ってこない。


「エリーアスさん……?」


 クレリアは彼が消えた方を見つめながら、足元に寄ってきたミンミの首を抱いた。



 燃え盛る家の裏へ回り込んだエリーアスは、一階の勝手口から人が姿を現すと、その退路に立ち塞がった。


「何者であれ、この村にしたことは許されない」


 炎と挟み撃ちにされた相手は、しかし、クロークに付いている大きなフードの下から不敵な笑いを聞かせた。


「頭が高いぞ、近衛騎士。私は王室直属の使者、謂わば王の声である」

「王はもういない」

「まだ、いないのだ」


 若い男の鼻にかかった声が不遜に言った。


「何……?」


 エリーアスは思わず眉をひそめた。

 使者はその周囲を回るように弧を描いて歩む。


「聖女アレッシアの力は国の脅威だ。次の王の御代を混乱させぬためには闇に葬るほかない。邪魔をするでないぞ」


 そのフードの下はよく見えないが、暗い色の面をつけているようだ。エリーアスは密かに重心の位置を変えた。


「貴様、本当は何者だ?」

「誰も知ることはない」


 エリーアスは素早く間合いを詰めた。使者のフードの中を鷲掴みにして、硬質の面を引き剥がした。

 しかし、その途端、使者の体はクロークの中でありえない折れ方をして崩れてしまった。クロークを捲って覗いてみると、薄い黄土色の土塊が山を作っている。人の姿の名残はない。

 エリーアスの全身に悪寒が走った。それは不気味な現象を目の当たりにしたせいだけではなく、王都に潜む正体不明の陰謀の気配を感じたからでもあった。

 だが、今はその証拠となるものをつぶさに調べる時間がなかった。そばで燃えている家が危なっかしい音で軋み始めたのだ。残された面をベストの下に隠すと、井戸のある広場へ退避した。



 家の屋根がとうとう燃え落ちた。瓦礫が立てる音に皆が肩をすくめる。そんな中、炎を背にしてエリーアスがやっと姿を現した。


「エリーアスさん! 無事ですか?」

「ええ、私は平気です。奴を取り逃してしまいました」


 エリーアスは振り返り、崩れていく家を眺めた。ラザと老婆も、村人たちも、大きな炎を前にして呆然としていた。

 幸運なことに、曇天がやっと雨を降らせ始めた。他の家も森も水を被せられ、火の粉から守られていく。

 火事はもう大きくはならないだろうと見極められると、何人かが火を見張り、他の者は話し合いのために村で二番目に大きな家である村長宅へ集まることになった。各家から一人ずつと、客人であるクレリアとエリーアス、それにミンミも同席するため家へ入った。数に入らなかった者は窓や玄関口から中を覗いた。

 ダイニングテーブルにクレリアとエリーアス、ラザの祖母、そして村長が座った。ミンミはテーブルの下に座り、他の者はその周囲に所狭しと立って話を聞く構えだ。

 口火を切ったのは祖母の後ろに立つラザだった。


「で、俺んちが燃やされた理由はあんたたちにあるって考えていいわけ?」

「ラザ、そんな口を利かないの……」


 祖母である老婆がたしなめたが効果はなかった。村人たちに注目されてクレリアが居心地の悪さを感じる一方、エリーアスが返す。


「クレリア様は命を狙われた。誰もそれを止めなかった」

「だって脅されてたんだから仕方ないだろ。そもそもあんたたちが村に来ようとしなかったら、俺たちはいつも通りに暮らせてたのにさ」


 村人たちが小さく頷く。そんな中、老婆がクレリアの方を見た。


「この人は自分を聖女だとおっしゃったのよ」


 注目が戻ってきて、クレリアは今度こそ少し緊張した。

 ラザが首を傾げる。


「聖女って王都にいる何か……お姫様だっけ?」

「そうではない。この国最高の秘術師だ。女性なら聖女、例は少ないが男性なら聖人と呼ばれ、聖宮に住まわれる。王の生命をお守りするのが仕事だ」

「へー、そうなんだ」


 エリーアスは人知れず呆れた目で見遣った。

 クレリアは体ごと老婆へ向き直って答える。


「あれは嘘です。秘術師ではありますが、聖女ではありません。さっきはそう言えばあなたが降りてこられるかと思って言いました」

「……そうでしたか」


 老婆は曖昧な表情で頷いた。


「聖女様がこんな所にいらっしゃるわけはありませんものね。でも確かに、あなたの言うことを信じて飛び降りました。私に何かあったら、ラザが可哀想だから……」


 ラザは老婆の小さい肩に手を載せた。

 そこへ、村人の一人が声を上げた。


「だったら、本当に王都の凶悪犯なのか?」

「私たちはただの旅人だ」


 エリーアスの答えに、村人の表情は釈然としない。


「でも、処刑人の家に王家が依頼をするなんて、歴史の再現じゃないか。彼らは伝説的な処刑人の家系なんだぞ」

「へへ。よせやい」


 ラザが後頭部に手をやって見せる一方、エリーアスもクレリアも何の話か分からなかった。二人の顔を見た老婆はため息混じりに話し始めた。


「もう、この辺りの人しか知らないことでしょう。私たちのご先祖様はその昔、追放刑になった人を処刑していたのです――」

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