24.聖堂の陰影
二人と一匹は屋敷の敷地を出て人けのない道を走った。
聖堂のある中心街が見えてくると、男性は高い塀の陰で立ち止まり、着ている灰色のマントを脱いでクレリアへ差し出した。
「聖堂を通り過ぎるまで、これで姿を隠していてください」
クレリアはひとまず言われたとおりにした。配達局員の帽子を鞄に詰め込み、大きなマントを体に結びつけるように羽織った。
一方、男性の格好は見違えた。
細身ながら広い肩幅を持つ身体に、艶のある黒いベストとパンツを身につけているが、肩までの腕全体と脚には板金の防具をはめている。にも関わらず優雅なのは、服や防具が上等であるせいもあるが、彼が美青年であるせいもあるだろう。
背中まで届く長い黒髪だけなら、女性と見紛うかもしれない。宝玉のような深い緑色の瞳が切れ長の目元を完成させており、頬骨のなめらかな輪郭の中に、通った鼻筋と、少々頑固そうな表情の唇が完璧な位置に配置されている。
「行きましょう」
「あ……はい」
彼が先導を再開したので、クレリアは自分が見惚れていたことに気づいて我に返った。
風地区を出て中心街に入る。ウェールキの大きな道は全て聖堂に繋がっているため、一行は自然と噴水広場に足を踏み入れることとなった。
広場は僧兵たちが見張っていた。彼はそれを予想していたから自分たちの格好を変えたのだろう。だが、僧兵たちは唯一姿の変わっていないミンミを目ざとく見つけ、警笛を吹いた。
「いたぞ! あの犬と一緒にいる二人だ!」
ミンミとクレリアは眉を少し寄せている彼の顔を見上げた。すると、軽くため息をつく。
「仕方ない……。向こうへ、急ぎましょう」
指さしたのは裏路地の方だ。クレリアは急いで言う。
「あの道の先は行き止まりです。逃げられませんよ」
「行き止まりで振り返れば、背後から不意を突かれることはありません」
意味が分からなかったが、彼が進みだしたので付いていく他なかった。
裏通りに入ると、一行はクレリアの予想通り、背後から僧兵たちに追いかけられることとなった。長い通りではないので、すぐに袋小路の先が見えた。彼は足を止めた。
追いついてきた僧兵たちが一行を閉じ込めるように展開する。執事服の男性が勝利を確信した笑みを浮かべた。
「そろそろ時間の無駄だと分かっていただけませんか? アレッシア様、元より逃げる必要などないのです。行くところがおありだとおっしゃいましたね。ならば我々がお連れしましょう、北へと仰っしゃれば銀色の雪原へ、南へと仰っしゃれば常夏の島へ。あなた専用のあらゆる乗り物をお使いいただけますとも。さあ、共に……」
「お前たちは聖女を利用して寄付金を集めたいのだろう。しかしそれは私利私欲のためだ」
彼が追手たちの前に進み出た。僧兵の間に広がる動揺に、執事だけは同調しなかった。
「なんて無闇な誹謗中傷でしょうか。根拠がなければ告発にはなりませんよ」
「この街の水道設備は設計図と違う造りになっているそうだな。原因は司教が工事費用の一部を掠め取ったせいで、予定通りの工事ができなかったせいだとか。根拠は無いのではない。市民が見つけた証拠を、司教とお前達が認めていないだけだ」
すると執事は顔を赤くした。
「貴様、何様のつもりでそんなことを! 我々は聖堂自警団だぞ、任務を邪魔するならそれなりの覚悟をしていただく!」
僧兵たちが盾と短杖を構える。対して彼は怯まず、むしろ歩いて向かった。
クレリアは静止すべきかどうか迷った。しかし言葉もこの場を切り抜ける名案も浮かばない内に、双方はとても不平等な睨み合いを始めてしまった。
一人対十数人。誰が考えても彼の方が不利だろう。
だが、彼が両拳を体の前で構えると、場の雰囲気は一変した。多勢に無勢だと彼を軽んじていた僧兵たちの表情がこわばった。なぜなら、彼のどこにも隙を見つけられなくなったからだ。
「……っ何をしている、かかれ!」
執事が焦れて号令を発した。まず二人が盾を構えて突進する。
と思ったのも束の間、その二人の体は宙を舞った。彼の足払いがそうさせたのだ。
だが、後続の三人はまだそうと理解していなかった。三人は倒れ込んできた味方に潰されて地面に伏した。
一瞬の出来事を理解できた他の僧兵たちは思わず立ち止まった。執事が叫ぶ。
「しんがり、出てこい!」
最後尾の僧兵が一人で出てきて彼へ立ち向かった。
盾で自分を守りながら、短杖で激しい攻撃を繰り出す。最も腕が立つ兵のようだ。彼は攻撃を拳で容易にいなすが、防戦を強いられている。
「いいぞ! 一番長く戦えてるぞ!」
思わずといった様子で執事が声を上げた。だがその直後、その僧兵は腕を掴まれてバランスを崩し、とどめに背中を押されて地面に転がったのだった。
「団長、こいつ強いですぅ!」
もう後に続いて戦いを挑む者はいなかった。あっけない敗北を受け入れたのだ。
不意に、執事は何かに気づいた様子で彼へ目を向けた。
「その戦い方……まさか、貴様は……」
震える人差し指を向けかけるが、途中で全ての指を伸ばす。
「せ、聖宮の騎士、ですか……?」
彼は無言で、ただ長い髪の乱れを軽く指で払った。その落ち着き払った所作が何よりも答えに見えた。
聖堂自警団と名乗った僧兵たちは、執事が急いで腰を直角に曲げると、一斉に短杖を下ろして同じようにした。
「王宮のお仕事とは知らず、失礼をいたしました。お許しくださいませ!」
いつの間にか、僧兵たちの後方に人だかりができていた。周囲の建物の窓からも住人たちの顔が覗いている。裏通り中の人々が今の騒ぎを見ていたようだ。
彼は少々困ったような顔でクレリアを振り返った。
「内密な話をしなければいけません」
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