23.罠

 ミンミが緊張して足元に身を寄せてくる。クレリアは執事の格好の男性を困惑して見つめた。


「配達局の他にもお仕事をしてるんですか?」


 男性は薄く笑った。


「どちらも演技ですよ。もっとも、なりすます努力さえ必要ありませんでしたがね。荷物を差し出したら、あなたは勝手に思い込んでくれましたから」


 騙されたことにやっと気づいたクレリアは、腹立たしさに任せて男性へ小包を突き出した。


「これ、返します」

「その必要はありません。あなたに渡すつもりでしたから、開けてみてください」

「え……?」


 訝しみながらも言われたとおりにしてみると、厚紙の箱が出てきた。中身は優しい白色の儀式用の四角い帽子だ。


「我々はあなたをお迎えに参ったのです。このウェールキを守り、より良くするために、聖女であられたあなたには聖堂にいていただきます」

「そんな勝手に決められても予定は変えません。私は行くところがあるので無理です、すみません」


 クレリアは帽子の箱をその場に置いて、玄関のドアへ向かった。それを見て、執事の男性はコートを脱いだ。


「仕方ありませんね。捕まえさせていただきましょう」


 その言葉を合図に、僧兵たちが動き始めた。

 玄関ドアの前に立ち塞がっていた者が両腕を広げて迫ってくる。迫力に押されてクレリアが後ずさると、そこには執事や他の僧兵たちが待ち構えている。

 四方八方、どこへ目を向けても隙がない。

 こうなったら、とクレリアが姿勢を低めようとしたその時、ミンミが目の前に躍り出た。


「ぅをんッ!」


 牙を見せ、大きな吠え声で周囲を威圧し始める。僧兵たちは身構えこそ緩まないがたたらを踏んだ。

 ミンミはその隙を見逃さずに突破口を開いた。クレリアも振り回される長い尻尾の後に続いて包囲陣の外へ走り出た。


「たかが犬だろう!」


 背後で執事が悔しそうに叱咤している。

 クレリアとミンミは玄関ホールの階段を駆け上がり、廊下を走った。住人のいない屋敷の中に足音と自分たちの呼吸音だけが聞こえる。


「追いかけて来ないのかな?」


 と、少し速度を落として後ろを振り返った時だった。ミンミが鋭く吠え、曲がり角から僧兵が威圧的な姿を現した。

 彼らは追いかけては来なかったが、先回りしていたのだ。

 僧兵が振り上げた短杖がミンミに狙いを定めている。


「ミンミ!」


 思わず叫んだが、ミンミが相手の脛に噛みつく方が早かった。

 踵を返したミンミと共にクレリアは再び走った。


「どうやって逃げよう……!?」


 ふたりはまた前方から僧兵が現れたため引き返した。すると、脛を噛まれた者の他に一人が加わって道を塞いでいる。しかし振り返ると、そこには僧兵の集団ができている。

 ふたりは他の道を探して行ったり来たりしたが、次第に道が狭まっていく。


「さあ、我々と一緒に行きましょう」


 とうとう行き場がなくなったクレリアは、苦し紛れに執事の男性を睨んだ。


「秘術師なら聖堂にもいるはずでしょう? 私は亡くなったステファン王に仕えていたのですよ……?」

「それでもあなたが最高の秘術師であることには変わりがありません。その事実たるや、どんな説教よりも市民の心を動かすはずです。あなたもご覧になったでしょう、裏通りの現状を」


 執事は胸に手を置いて、いかにも心を痛めている様子を作った。


「この街が壊れかけているのに、通りの外の人々は問題を見て見ぬふりをして済ませているのです。誰かがいつか全てを解決してくれるだろう、と考えて。そこで、あなたの御威光が必要なのです。あなたが話せば皆が耳を貸すでしょう。そして街はより良くなるのです」

「そんなの、私じゃなくても……」

「裏通りを見捨てなさるのですか?」


 クレリアは困惑することしかできなかった。

 その間も、僧兵たちがじりじりと迫ってくる。ミンミが賢明に唸ったり吠えたりしても、もはや怯んでくれない。

 だが、もう少しで僧兵に掴まれそうになった、その時だった。


「あっ、誰だ!?」


 一人がクレリアの背後を指さした。

 窓の外に、フードでほとんど顔を隠した灰色のマント姿の人物がいたのだ。

 その人物は、銀色の金属製の篭手で覆われた指で窓を軽く叩いた。応えるようにミンミが窓枠を手で引っ掻く。クレリアは素早く窓の鍵を開けた。


「逃がすなっ!」


 執事が号令を出したが、僧兵たちの手が伸びる前に、マントの人物が片腕でクレリアの体をほとんど窓の外に引き出していた。


「しっかり掴まってください」


 耳元で囁いた声は男性のものだった。窓から足を離すと、爪先が宙を掻いたので、クレリアは慌てて彼の首にしがみついた。

 見ると、彼のもう片方の腕は上へ伸びており、ワイヤーを掴んでいる。その先は鈎になっていて屋敷の屋根に引っかかっているようだ。彼はぶら下がっているのだった。

 ミンミが窓枠を蹴ってクレリアの背中にしがみついてきた。その勢いに押された二人と一匹の塊は、屋敷の壁から振り子のように離れると、彼がワイヤーを掴む手を緩めたので、自由落下した。


「……っ!」


 強烈な浮遊感に悲鳴を上げる暇もない。彼がワイヤーを掴む力を調節して和らげてくれた衝撃と共に着地する。

 彼はクレリアとミンミを屋敷の庭に下ろすと、腕を振って屋根からワイヤーフックを回収した。上へ向けた視界に、窓からこちらを見下ろしていた僧兵たちが中へ引っ込んでいく様子が映る。


「連中はまだ諦めないようです。立てますか?」

「は……はい」


 クレリアは笑う膝を無理やり伸ばした。ミンミは平気そうに尻尾を振っている。

 彼はふたりの様子を確認すると、見張りのいない門を篭手の指で示した。


「ここを出て、街へ下りましょう。付いてきてください」

「はい」


 クレリアはフードから覗いている白い顎へ返事をして、先導する彼の背中を追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る