22.日陰と日向

 夜明け前の聖堂に集う者たちがいた。説教台に灯る一本の蝋燭が、彼らの白と赤の二色の高貴なローブを、青白い薄闇に浮かび上がらせている。


「――そう、追放された聖女です」

「違法オークションに?」

「最後に目撃された時は、この街へ向かっていたそうです」


 それを聞いて、司教は長い杖を握る手に力を込めた。


「今、この街には希望の光が必要なのです。地上で最も強い光が」


 司祭たちは頷き、そのうちの一人が聖堂の隅の暗がりへ体ごと振り返った。


「あの方を探しなさい! そして聖堂へお連れするのです!」


 命じられた暗い影は動いたことで人の形を明確にした。それは聖堂から素早く出ていき、外に控えていた数人と共に、まだ暗い街へ散っていった。



 クレリアはベッドのすぐ隣にある机が物音を立てるせいで目が覚めた。ミンミが体を伸ばして机に前足を引っ掛けようとしている。


「ん……なに?」


 答えるように鼻先を窓へ向けるので、クレリアはベッドから手を伸ばしてカーテンを開けた。外は既に夜が明けているようだが、二、三階建ての建物が建て込んでいる裏通りに朝の爽やかさは届いていない。

 それどころか、道の方から水の音がする。ベッドを降りて窓を開けて下を覗いたクレリアは、寝起きの自分の目を数秒疑った。道が川のようになっていたからだ。


「え……?」


 水音は通りの住民が家から水を掻き出しているために聞こえているらしい。一階の窓からバケツの水を家の外へ捨てていたり、道の側溝にはまっている格子の目詰まりを掃除したりしている。


「おはようございまーす」


 すぐそばから子どもの声が掛かった。見ると、隣の建物の屋根瓦の上をキャスケットを被った男の子が歩いている。


「お、おはよう……」


 これがこの通りの日常らしいと察した頃には、クレリアはすっかり目が覚めていた。

 支度をしてロビーへ降りると、長靴を履いた宿の主人が表でモップを動かしている様子が開けっ放しのドアから見えた。主人はクレリアとミンミに気づいて挨拶をしてきた。


「あんたの靴じゃまだ外には出られないだろうね。もう少ししたら完全に水が引くよ」

「じゃあここで待ってます。でも、どうしてこんなことになってるんですか?」

「あれだよ」


 主人が指したのは水道のマンホールだった。半分浮いている蓋の隙間から澄んだ水が勢いよく溢れ出ている。


「この辺りの水道は壊れていて、夜になって皆があまり水を使わなくなると、あそこから水が溢れる仕組みになっちまってるんだよ。もう数か月前からこんな状態さ」

「そんなことが……。だから子どもが屋根の上を歩いてたんですね」

「朝一番に用事がある奴はそうするんだ。牛乳や新聞の配達とかね」


 主人の言った通り、道は数十分後に元に戻った。人々が玄関の内側から水を掃き出したり、仕事に向かったりする中、クレリアも配達局へ向かった。

 配達局は既に配達物の仕分けを始めていた。昨日は見かけなかった人も棚の間で働いている。壁に掛かっている黒板に出勤の印を付けると、クレリアも早速配達物を受け取りに中へ入り、『本日中』の棚の中身を鞄に詰めた。


「配達、行ってきます」


 事務所に声を掛けて配達局を出る。すると、背後から男性が追いかけてきた。


「待ってください。これも本日中にお願いします」


 と、軽い小包を差し出される。クレリアは反射的に受け取った。


「先程預かった荷物で、どうやら大事なものらしいんです。なんといっても配達先は風地区なんですよ」

「風地区?」

「上流住宅街です。必ず宛先の人に手渡ししてくださいね」


 襟のあるシャツ姿の男性事務員はそう言い残すと、いかにも時間がなさそうに中へ戻っていった。

 クレリアは宛先を読み、ミンミと目を合わせた。


「遠そうだから、先に配達しちゃおう」

「くぅん……」


 長い道のりになると感じたのだろうか、耳を伏せて鳴いた。

 実際、風地区へ行くには坂道を上らなければならなかった。しかし一つ一つが芸術品のような美しい邸宅が建ち並び、それらが馬車がすれ違えるほど幅の広い道で繋げられている瀟洒な風景は見応えがあった。

 クレリアはもう一度宛先を見た。


「えっと、この番地は……向こうの家かな」


 一区画歩いた先に、高い鉄柵で囲まれた屋敷が建っている。宛先の住所と一致する家だ。

 早速、門の重厚な扉に付いているドアノッカーを叩いた。だが、待てども誰も出てこない。柵の隙間から敷地内を覗いてみても、庭にも窓辺にも人が見えない。


「留守かなぁ?」


 手渡しができないなら諦めよう、と背を向けようとした時だ。門の扉が独りでに開いた。

 身を乗り出して門の内側を覗いてみたが、誰もいない。クレリアは思わずミンミと顔を見合わせた。


「入ってみる?」


 ミンミは心配を目に表したが、反対はしなかった。

 クレリアは玄関ドアへ進んだ。たどり着く直前、そのドアも勝手に開いて隙間を作った。誘うように、あるいは脅かすように、蝶番が高く鳴る。

 恐る恐るその隙間を広げて、暗い玄関ホールへ呼びかけた。


「ごめんください。お荷物を持ってきました」


 しばらくして、やっと足音が聞こえてきた。出てきたのは裾の長いコートを着た執事らしい男性だ。


「ご苦労様です。どうぞ、ここまでお入りください」


 やっと人に会えた安心感のせいで、クレリアは疑いなく中へ入って執事へ近づいた。

 照明の少ないホールなので、執事の顔を判別するにはあと数歩の距離まで近づかなければならなかった。そこまで来てようやく、執事は配達局の前で荷物を渡してきた男性と同じ顔をしていると気づいた。


「あれ?」


 心に浮かんだ通りの声を上げた直後、背後で玄関ドアが閉まる音がした。振り返ると、白いローブに身を包み、紋章がついている丸い盾と短杖を携えた僧兵がいつの間にかドアの脇にいる。

 光源が少なくなって、より薄暗くなった玄関ホールに、階段から、ドアから、同じ格好の者たちが次々と現れる。

 かれらの中心から、執事が一歩進み出た。


「お待ちしておりました、聖女アレッシア様」

「……!?」


 クレリアとミンミは取り囲まれていた。

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