21.生きる術は妥協
クレリアとミンミは宿を取るため街の中心地へ戻った。目抜き通りにホテルが一軒あったのを覚えていたのだ。
しかし、ほとんど世俗で暮らした経験がないクレリアは知らなかった。過ごす夜は同じでも、立地や部屋の大きさ、設えの豪華さによって宿代は大きく上下するものなのだということを。
いくら今のところは財布に余裕があるとはいえ高価すぎたので、すごすごと退散する他なかった。これもクレリアが知らなかったことだが、ウェールキの聖堂のような観光地があると、その周辺の物価は観光客向けに少々高くなるものである。
よって、その後も目についた宿を訪ねて回ったが、借りるのを断念し続けることになった。
加えて、宿の方もミンミを見て利用を断ることがあった。部屋を汚しかねないとか、動物の毛のせいで体調を崩す人もいるという理由である。
そうこうしているうちに、クレリアとミンミは宿を探して日陰の裏通りに入り込んでいた。道の狭さと店の少なさがいかにも賑わいの無さを表していたが、幸い宿は一つ見つかった。
劣化の著しい木製の看板が掛かっている『鐘楼荘』の中では、眠そうな主人が狭いカウンターの中で新聞をめくっているところだった。
「ん? いらっしゃい。泊まるのかい?」
「この子と一緒でもよければ、そうさせてください」
宿の主人は前脚を揃えて行儀よくするミンミを一瞥しただけで、すぐに頷いた。
「構わないよ。一泊かい?」
「はい。とりあえずは」
「出かける時は鍵を預けてくれ。部屋は二階だよ」
「ありがとうございます」
主人はクレリアから格安の宿代を受け取り、鍵を客へ渡すと、また新聞へ目を戻した。クレリアはミンミを連れて、カウンターの脇の狭い階段を上がった。
「宿が見つかって良かったね」
同意を求めたが、ミンミは微妙な顔つきを返した。
部屋は階段を上がってすぐ見つかった。二階にドアが一つしかなかったからだ。どうやらこの宿は縦に高く、階層ごとに一部屋しかないようだ。ミンミは一階のロビーの狭さから予見していたのかもしれない。
鍵を開けてドアを開いたクレリアは、思わずミンミと同じような微妙な顔になった。
部屋の幅は、小さな机とベッドを並べた幅しかなかった。小さな窓があり、バルコニー風の手すりがついているが、一日中日が当たらない場所特有の寒々とした感じがある。
「……狭いね」
「きゅん」
しかしこの宿は予算と条件に見合うし、歩き回った結果なのだ。クレリアは妥協することとはどういうことかを学んだ気がした。
脚を少し休めた後、クレリアとミンミは手荷物だけ持って再び街へ出た。次の目的は、旅費と食費を稼ぐ手段だ。
聖堂周辺には色んな店が軒を連ねている。飲食店、お土産屋、服屋、宝飾品店……。賑わっているが、問題は求人広告が少ないことだ。
その理由は、数少ない募集広告を見かけて入ってみた定食屋で聞くことができた。
「近くに住んで、長期間働いてくれる人が欲しいんですよね。旅のついでにっていう人は、身元が分からないことが多いしね。聖堂の周辺はどこもそんな感じですよ」
美しいウェールキの地元民には矜持があるように感じられた。クレリアにはどうしても融通できない部分なので、諦めるしかなかった。
もっと聖堂から遠いところで探すしかないようだ。と、とぼとぼ歩いていた時だった。
「何かお探しですか?」
声をかけてきたのは警吏だ。かれらはどの街でも同じ兜と胸当てを制服にしているのですぐに分かる。
「数日だけ働ける仕事がないか探してるんです」
「ははぁ。もしかして……フィデレから来たクレリアさんですか?」
目を瞬くと、警吏は訳知り顔で「事情は聞いてますよ!」と囁いた。
「最近、配達局が猫の手も借りたいくらい忙しいそうですよ。採用には面接なんかがあると思いますが、警吏の私がおすすめするくらいですから、あなたならきっと大丈夫でしょう」
「教えてくれてありがとうございます。行ってみます」
警吏に手を振られながらクレリアは配達局へ進路を変えた。この辺りをうろうろしすぎて、既に道や施設の場所を大体覚えていた。
白い瓦屋根の配達局に入って、近くの局員に働きたい旨を伝えると、忙しく郵便物を仕分けしていた彼に代わり上司らしき中年男性が出てきた。男性は局長だと自己紹介し、ミンミを気にする暇もないといった様子でクレリアを応接室へ通した。
「よくここが人手不足だってご存知でしたね。どなたからお聞きに?」
「警吏さんです。さっき聞きました」
「なるほど。時代の変わり目なせいか仕事が多くなってね。じゃあ、今からよろしくね」
面接はそれで終了した。クレリアは座ったばかりのソファから立ち上がると、局長に連れられて事務所へ戻った。
「皆、今日から配達を手伝ってくれるクレリアさんだよ」
事務所に並ぶ高い棚の間から次々に顔が出て、クレリアを一瞥して「よろしく」となおざりな挨拶をした。
「ではクレリアさんはあの棚を担当してください。鞄に配達物を入れて、帽子を被って出発です」
「はい」
指さされた棚に向かうと、出かけ際の男性局員と鉢合わせた。
「『本日中』の配達がまだ残ってるからそれをお願い。地図を見ながらでいいよ」
「はい」
彼は手短に言い残して立ち去った。クレリアは壁のフックからまず斜め掛け鞄を取ると、言われた通りに『本日中』の札が付いている棚に残っている手紙と小包を詰め込んだ。そしてパイのように膨らんだ形の白い帽子を被って、戸棚から借りた街の地図を片手に、配達局を出た。
それからクレリアはせっせと配達をした。民家のポストに手紙を入れたり、ドアをノックして小包を手渡したりした。中には住所と住人が食い違っている宛先もあったが、近所の人に尋ねることで、もう引っ越した人だという情報を得て謎を解いた。
配れる配達物を捌き切ったのは二時間後だった。街中の道を覚えてへとへとになった脚で配達局へ戻った時、急に気づく。
「お給料のこと、聞くの忘れてた」
二時間前は急流のような話の進み方にすっかり流されていたのだ。ミンミを見下ろすと、今まで黙って付いてきていたくせに、呆れたように眉のあたりを寄せて見上げてくる。
そこへ西日が差してきた。ミンミの毛も、配達局の白い屋根も朱色に染まる。クレリアは振り返り、街全てが同じ色に輝くのを清々しい気分で眺めた。
「でも、いい仕事だよね?」
「くぅん」
疲れを滲ませる鳴き声に苦笑して、配達局のドアをくぐった。
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