第二章 旅の仲間たち

20.ふたり旅

 フィデレの馬車乗り場は人が並んでいた。時間通りに到着した乗合馬車は客を一人残らず下ろしたが、すぐに同じくらいの人数を乗せてほぼ満員になった。なので御者はクレリアと、寄り添う中型サバントを見て少し考えた。


「その犬っころは、大人しくできるなら子供料金でいいけど、どうする?」


 クレリアがサバントを見下ろしてみると、言い聞かせるまでもなく、既にいかにも大人しそうに前脚を揃えている。

 財布の中身も潤沢なので、乗車賃の支払いも問題はない。


「それでお願いします」

「じゃあ乗って」


 乗車賃を渡し、クレリアは長椅子の空いている端に、鞄を抱えて腰を下ろした。サバントはその足元の床に座った。

 乗客たちの視線は、この不思議な二人組、もとい一人と一匹に集まった。


「綺麗な子ね」


 老女が声をかけてきた。クレリアは頷く。


「はい、そうですね」

「あなたのサバントじゃないの?」

「怪我を治してやったら、付いてきちゃったんです。怪我は前の飼い主が叩いたせいで……」

「まあ。ならその子は自分であなたを選んだのね」


 サバントはその言葉を肯定するかのようにクレリアを見上げていた。

 サバントとは、犬から派生した、より人へ友好的な生物だ。高い知能を持つがゆえに、その青い瞳には人の心を読む力がある、と言う人もいる。

 クレリアはまさにその時、サバントの敬愛の込められた目で心を読まれたような気がした。この子もちゃんと選べるではないか、という考えを。


「をふ」


 サバントはまるで返事のように声を抑えて吠えた。

 嬉しくなって、クレリアはごく短い毛で覆われている頭を撫でてやった。


「でも大変になるねぇ。そういう大きな子はよく食べるんでしょう」


 その言葉へ、周囲の他の乗客が訳知り顔で話に入ってくる。


「体の毛が短い種類は、寒い時は服を着せる必要があるんだよ」

「まぁ。子どもみたいに手がかかるでしょうねぇ」


 クレリアは、今度は少々困った顔でサバントを見下ろした。


「あなたのためにもう少しお金がいるかもね」


 世話をされる当人は呑気に首を傾げるのだった。



 馬車は昼頃ウェールキに到着した。

 降り場から道なりに進むと、すぐにこの街の象徴である噴水広場に出た。ステンドグラスがはめ込まれた窓を持つ大きな聖堂に見守られているこの広場で、人々は弾ける水が陽光を跳ね返して輝いている噴水の縁に腰掛けて喋ったり、パンを食べたり、リュートギターを奏でて小銭を貰ったりしている。


「綺麗な街……」


 毎日人々が手をかけているのだろう、街路の植木もみずみずしい。

 澄み渡る青空の下、クレリアはサバントと共に目抜き通りを歩いた。歩道に色とりどりのオーニングが張り出しており、そのいくつかは軽食を売っているようだ。


「お仕事を探す前に、ご飯にしようか」


 話しかけてみると、サバントは目を大きくして尻尾を振った。

 クレリアは適当な店で三つのサンドイッチを買った。一つは自分用で、二つはソースや野菜を抜いてもらったものだ。

 それらを持って、一人と一匹はもう少し歩き、ウェールキを流れる大きな河のほとりに出た。石畳の散歩道にベンチがあったので、そこに座ってサンドイッチの包みを開いた。

 クレリアは厚いベーコンと野菜が挟まっているサンドイッチを食べながら、旅の初日もサンドイッチから始まったことを思い出した。聖宮で作ってもらった最後の食事も美味しかったものだ。その点、コールハース家の人々が作ってくれたパイを食べそこねたことは非常に残念だった。色々な事件に巻き込まれたことに、今更ながら腹が立つ。


「きゅぅん」


 同調か、あるいは慰めるように、サバントが悲しげな音を喉から出した。気を取り直したクレリアは、自分のサンドイッチを遠ざけて見せた。


「あげないよ」

「くぅん?」


 既に包みの一つを空にしていたサバントは首を傾げる。クレリアはくすくす笑った。

 どこからか管楽器のぎこちない音色が聞こえる。大きな河のどこかで誰かが練習をしているようだ。クレリアはふと思い立って、鞄から王国全図を出し、今いる場所を探し当てた。


「この河の名前、ミンネジングっていうんだって。愛の詞、って意味かな? ねえ、あなたの名前のことを考えてたんだけど、ここで一緒にご飯を食べた記念に、ミンミっていうのはどう?」


 サバントは長めの毛に覆われている尖った耳を立てると、少し考えるような素振りの後、鼻先を高く上げて歯切れよく吠えた。


「いいのね? じゃあ、今日からあなたはミンミね」

「をんっ!」


 ミンミは新たな名前に喜んで後ろ足で立ち上がったり、ベンチの周りを走り回ったりした。心の底から喜んでくれているようだ。もしサバントが表情を作れたなら、彼は満面の笑みだろうと想像できた。

 クレリアは、気づくと自然と声を上げて笑っていた。そのように笑うのはとても、とても久しぶりだった。

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