07.育ての母

 一晩泊まるため、アレッシアには客人として個室があてがわれた。姉妹は女子寮で寝ることを提案したが、アレッシア自身が断った。院長が、それでは以前の身分に準拠した扱いになり違法だから、と暗に示して納得させた。

 そのやり取りが寂しかったこともあるが、食事の席で聞かされた院長の説教が頭から離れないせいもあって、疲れ切っているのになかなか寝付けなかった。そこで、ベッドを下りて院長の部屋へ向かった。ドアを小さくノックしてみるとすぐに開かれ、まだ机の蝋燭を消していない薄明るい部屋が隙間から見えた。


「来る気がしていました。どうぞ」


 院長は小声でアレッシアを迎え入れた。

 ソファに座ると、院長は机から厚いファイルを広げたまま持って隣に来た。


「私が書いたあなたの記録を……いえ、ここにいたとある女の子の記録を、読み返していたところです」


 ざっと目を通してみたところ、それはほとんど院長の日記のようだった。その記録においては、修道院の中心はアレッシアであり、院長は幼いその子を通して兄弟姉妹の関係性を整理していた。

 院長は誰にでも愛情を注げる人だが、中でも自分は特別だったのではないかとアレッシアは感じないではいられなかった。だから打ち明けようと思った。


「院長先生。私の友達は……一度処刑されたんです。でも自分の蘇生術で生き返って……だから追放刑になったんです。全てを秘密にするために」


 院長は絶句した。アレッシアはその目を見つめて続ける。


「私は友達の蘇生術が成功して、理論の正しさが証明されたのが嬉しかったんです。でも分からなくなりました。今、生きているのは間違いなのかもしれないけど、だからといってどうすればいいのでしょうか。これ以上……何ができるのでしょうか」


 院長の片目から透明なものがこぼれ落ちた、と思ったのも束の間、アレッシアは院長の柔らかな腕にきつく抱きしめられた。こらえきれなくなって、アレッシアも院長の背中に腕を回した。

 夜の静寂に守られた、誰も気づいていない場所で、二人はひっそりと嗚咽した。


「……あなたが十歳の時に、木から落ちた雛鳥の世話を頼んだこと、覚えてますか?」


 院長はそっと身を離して囁いた。


「命について教える頃だと思って、あえてあなたに任せたのです。厳しい課題を与えました。野生の動物にむやみに秘術を使ってはいけないと法律を教えて、それ以外でできることをやらせて。雛鳥は夜には死んでいましたね。そうしたらあなたは……どうしたか覚えていますか?」

「元々落ちていた場所に戻しました」


 当時、アレッシアは院長の言いつけどおり秘術を使わずに雛鳥を介抱した。鳥の生態を図鑑で調べたり、暖かい寝床を作ったりと、子どもなりに努力したが、結局は治せなかった怪我が原因で死んでしまった。


「どうしてそうしたの、と聞いたら、それが自然だと思うから、とあなたは言ったんです。なぜお墓を作らないのかと聞いたら、自分はこの鳥の家族じゃないから、って。あなたの生い立ちを話した後だったから、それが影響していたのかもしれませんね」

「もし秘術を使っていたら、ちゃんと育って飛べるようにもなっていたかもしれません」

「もしも、はないのです。辛いけれど、運命とは、その時々に何をして、何が起こるかなのです。秘術師としての選択は特に難しいものです、社会の規則も守らなければいけませんから。でも……」


 院長は誇らしそうに微笑みを浮かべた。


「あなたが自分を救ったことは正しかったのですよ。だからシンスから受け取った秘術という愛情を自分自身へ使うことができたのでしょう。あなたは自分の不当な処遇に抗うために勇気を出し、シンスはその努力をお認めになった。すごいことですよ」

「院長先生……」


 アレッシアが困惑を顔に浮かべたことに気づいて、院長は苦笑する。


「ええそうね、あなたを贔屓して解釈しているのだと思います。でも、自分の手で育てた女の子が何はともあれ無事で目の前にいることを、どうして喜ばないでいられるでしょう? 少しくらい矛盾があっても、シンスには大目に見てもらいたいものです」


 そう言って、アレッシアの頭を両手で優しく撫でた。


「今まで頑張りましたね。これからは色んなことが一から始まるけれど、あなたの根本は変わらないはず。日記の続きをまっさらなノートに書き始めるようなものですよ。大丈夫……アレッシア。大丈夫よ……」


 名前を呼ばれた途端に再び涙が込み上げた。暖かな手が目元を拭ってくれるのに甘えて何粒も涙をこぼしながら、院長の言葉を噛み締めた。


「……また会えて、よかった。院長先生にも、皆にも……」

「いつもあなたのことを想っていました。帰ってきてくれて本当に嬉しい。大きくなりましたね」


 院長はアレッシアをもう一度強く抱きしめると、何かを思いついた様子で立ち上がった。


「実は、私の思い出として隠していたものがあるのだけど、あなたに渡すべきかもしれませんね」


 戸棚から両手に乗る程度の大きさの木箱を取り出してソファに戻ると、膝の上で蓋を開けてアレッシアへ差し出した。

 中にはガーゼ製の布が畳んで収められていた。白い無地で、少々古ぼけて見えるが、まだ柔らかそうだ。


「あなたは十七年前にここの玄関の前で見つけた子だって話したでしょう? これはその時にあなたが包まれていた、おくるみです」

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