10月20日 痛手






 ひと掴みの花種が、砂上へと撒かれる。


「〈花壁はなかべ〉」


 間髪容れず魔法の矛先を向けられ、瞬く間に築かれる夾竹桃の生垣。

 出力任せに無理やり咲かせたため粗が目立つ上、既に末端部がしおれ始めた雑な造形。


 蔵人自身、酷い出来だと内心鼻で笑うも、呑気に品評など下している暇は無い。

 踏み込む都度、爪先が砂へと埋まる鬱陶しさに苛立ちつつ、踵を返し疾走する。


「ぜりゃあっ!!」


 花壁はなかべが丸ごと引き抜かれたのは、七歩目を数える頃。

 肉魔法で左腕のみ異様に肥大化させた藤孝が、枝葉の塊を軽々と投げ捨てる。


「〈磔花たっか〉」


 その直後、更なる魔力を与えられた夾竹桃は再び砂中に根を伸ばし、見る見る朽ちながらも藤孝の五体へと絡み付く。


 夾竹桃は分類上、樹木にあたる植物。単純な強度では先程のトリカブトを遥かに凌ぐ。

 適量を無視した出力で強引な成長を施したため、十秒と待たず崩れ落ちるだろうが、取り立てて問題は無い。


 どのみち、十秒も縛めるなど不可能だからだ。


「鬱陶しいっちゅうねん!」


 一喝と併せて、脈打つように藤孝の全身がひと回り膨張する。

 再三あっさりと振りほどかれ、過負荷による跳ね返りで枯れ果てる夾竹桃。


「(やはり地盤が緩い……)」


 相当深く根を張り巡らせたにも拘らず、またものではなく

 こう根元がヤワでは、まともな足止めにさえならない。


「〈花壁はなかべ〉〈花柱はなばしら〉」


 いずれにせよ、場当たり的な守勢を続けたところでジリ貧。

 蔵人は花の骸が残した種で新たな夾竹桃を芽吹かせ、塁を築き、思考の時間を稼ぐ。


「(遮蔽物に乏しい、見晴らしの利く地形で、俺より遥かに足の速い奴から逃げ回って岩場まで移るのは得策じゃないな。ここに留まって盤面を整えるべきか)」


 花が枯れて朽ちようとも、結実させれば種は残る。

 開花を繰り返せば、いずれこの一帯を埋め尽くすに至るまで増やせるだろう。


「(こんな砂漠で最大級の花檻はなおりを展開させるには地固めが不可欠。かなり広範囲に花絨毯はなじゅうたんを敷き詰めなければならないか……)」


 八人分のサークルを得た今現在の最大出力なら、相当な規模での一斉開花が可能。

 相手は一輪斬刺いちりんざしが全く貫通とおらないほどの堅牢。物理攻撃での打倒は非現実的と判断した上で、蔵人は脳内にて段取りを組み始める。


「(奴は俺を殴れるが、俺は奴を殴れない。それに片目のせいで細かい距離感が曖昧だ。懐に潜り込まれれば確実に敗ける)」


 候補者は杖の制約によって、魔法以外の方法で他者を害せない。


 身体能力や格闘技術などの魔法とは無関係な部分で極端な優劣が生まれてしまうことを嫌ったマリアリィが組み込んだ、一種の公平化とでも呼ぶべき措置。

 意識無意識、偶然必然に関係無く、魔法を除いたあらゆる他害行為は無効化される。


「(粉塵爆発が使えれば、まだなんとかなったかも知れないが)」


 初戦にて蔵人がトリカブトの花粉で爆発を引き起こせたのは、火種に用いた炎が蛍の魔法だったからである。

 マッチやライターを使おうものなら杖の制約に抵触し、引火には至らない。


 魔力という遍在するエネルギーの性質を変化させることで世界に不自然を押し付ける術理。応用次第で、こうした芸当も可能。

 術式の戦闘能力が低い蔵人にとっては、概ねマイナスにしか働かない要素だが。


「(……使えないカードを恨めしげに眺めたところで、か。さっさと仕込みを済ませなければ、俺の不利が増す一方だ)」


 勿論のこと、枷を嵌められているのは蔵人だけではない。

 抱えた際に感じる重みこそ違えど、制約の条件は候補者全員等しく同じ。


 逆に言えば藤孝の方も、例えば投石や武器を介した攻撃は不可能。

 すなわち、肉魔法には一切の遠距離攻撃手段が無い。

 一足一刀を越えた間合いを保ち続ければ、あの埒外なパワーも用を成さない道理。


 ──さりとて、いざ実行するとなると、そう簡単な話ではない。


「(砂地での運動は整地の十倍疲れる。現状の劣悪なコンディションも合わせれば、スタミナなんぞあっという間に底をつく)」


 暴牛の如き勢いで向かって来る藤孝の所作に絶えず注意を配り、魔法行使の正確なタイミングを見計らい、磔花たっかで絡め取るか花壁はなかべで堰き止めるかを選択し、攻めを凌ぎつつ種を増やす。


 そんな行程を、場が整うまで繰り返し続けなければならない。


 加えて、あまりに出力調整が雑過ぎれば萌芽にさえ至らず種子は砕け、がら空きのまま藤孝の接近を許す結果となってしまう。


 数メートルもの砂柱を打ち上げる威力の拳。一度でも直撃を貰ってしまえば、その時点で蔵人は九分九厘ゲームオーバー。

 僅かな判断ミスが致命打へと直結した、相当な胆力を要する作業。


「(せめてもの幸いは、奴の動きが直線的だってことか。砂の上でデバフを食らってるのは、どうやら向こうも同じらしい)」


 人間どころか生物の領域さえ外れた膂力が生み出す埒外な加速の弊害。

 足場の悪さも手伝い、小回りが利いていない。


「(いや。パワーが化け物じみてる分、むしろ俺以上にやり辛い筈)」


 魔法で不自然に増強された筋力と比較し、そう大きくは変わっていない体重ウエイト

 原付にスポーツカーのエンジンを詰んだも同然の、アンバランスに軽過ぎる身体。一挙動毎に全体重を乗せねば十全に力が伝わらず、必然的に踏み込みなどの予備動作も大きい。


 体捌きに至っては、ほぼ素人のそれ。

 黒帯を巻ける程度には空手を嗜んでいた蔵人からすれば、魔法に集中を割きながら律動を先読みすることも、苦しくはあるが不可能ではなかった。


「(これならどうにか……いや、やはり厳しいか)」


 とは言え、過去三戦で藤孝が相対した候補者達の術式は『凍』『爆』『血』。

 いずれも戦闘向きであろうことは易々と想像出来る、あからさまに物騒な字面。


 そして藤孝は、その全てに勝利を収めているからこそ今ここに居る。

 この程度の悪条件で瓦解すると考えるほど、蔵人は楽観的ではなかった。


「(兎に角、無闇に近寄らせるな。大前提、杖の性能も魔法使いとしての経験値も向こうが上であることは純然たる事実だ)」


 適当な一撃すら、自動車の正面衝突に等しい攻撃力。

 いかに直線的であっても、初速の時点で時速三桁に迫るだろう機動力。


 何より──まだ藤孝は、肉魔法の全力を引き出していない。


 本腰を入れられる前に、どこまで工作が行えられるか。

 それこそが、白黒どちらに転ぶかの分かれ目だった。






 枝葉を編んで壁を張り、蔓草で手足を縛り、ひたすらに間合いを取り続ける。


 ひらりひらり、のらりくらり。

 まるで暖簾を押すような、手応えの無い応酬。


「あーッ!! やってられんわ!!」


 とうとう藤孝が焦れたのは、蔵人が仕込みを九割ほど終えた頃合。

 本格的な仕掛けに移ろうと動く、まさしく間際だった。


「(一手、間に合わなかったか)」


 静かに肩で息をする蔵人。一方、体力的な余裕を大きく残した藤孝。

 ガシガシ頭を掻き、苛立った様子で歯を剥き、吠える。


「チマチマチマチマ、ぬるい嫌がらせしよってからに! やる気あるんか!?」

「……さあな」


 拘束と妨害の他、幾度か放った一輪斬刺いちりんざしも牽制にさえなっていない模様。

 もっとも蔵人自身、分かりきっていた結果ゆえ、特に落胆は無い。


 ──問題があるとするならば、明らかに場の流れが変わったことだろう。


「チッ……あーあー、もうええわ。ラチがあかん」


 舌打ち混じり、クラウチングスタートに似た構えを取る藤孝。


「しんどいから正直やりたないんやけど、ダラダラ続けてもつまらんし、終わらせたる」


 その姿に本能的な悪寒を覚えた蔵人が、硬直する。


「(まずい)」


 今までの比ではない五体の隆起。

 脱ぎ捨てられたサンダル。音を立てて内側から裂けて行くジーンズの裾。


「ぐっ……こほっ……」


 安全圏を踏み越えたレベルで施された筋肉の強化により骨や臓器が圧迫され、体内の数ヶ所が損傷し、咳き込んだ藤孝の口から鮮血が伝う。


 対する蔵人は全神経が鳴らす警鐘に従い、杖先で足元を突いた。


「〈はなか──」


 しかし、遅きに失する。一瞬の硬直が命取りとなった。


「吹っ飛べや」


 藤孝が砂を蹴った瞬間に得た、先程までの優に倍以上の、時速二百キロを超える速度。


 その滅茶苦茶な突進は、構築途中の花壁はなかべを、薄紙同然に食い破った。


「(駄目だな。これは、どうにもならん)」


 異常に膨れ上がった筋肉が一塊となって迫るタックル。

 蔵人は咄嗟に後退するも、既に何もかも手遅れだった。


「がァッッ──」


 全身を突き抜ける、身体がバラバラに砕けそうな衝撃。

 体内の其処彼処で、骨肉の壊れる音が鳴り響く。


「(詰み、か……まあ、リンボここで死んだところで、なんだが……)」


 頭の中で時間が圧縮され、緩やかに宙を舞う。

 やや空白を挟んでやって来る、悲鳴すら押し潰されるような痛み。


「(やっと終われる……楽土ラクドを、去れる……もう……長らえなくて、済む……)」

 

 極限まで引き伸ばされた一秒足らずの間に蔵人が感じたのは、本能的な死への恐怖と、という安堵。


「(レティシアのことは……少しだけ、心残りだが……惺あたりにでも、任せれば……悪いようには、ならんだろう……)」


 次いで、今日まで真摯に仕えてくれた魔造メイドへの感謝と心配。


「(……ああ)」


 そして──強烈なデジャヴ。


「(この感覚。似てる)」


 脳髄の底に押し込めていた情景が、死の息遣いを引鉄に、泡沫の如く浮かび上がる。


「(あの時、に)」


 忘れたくとも決して忘れられない、下院蔵人にとっての傷そのものである過去。


 ──両親を、喪った時の記憶。





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