10月20日 荒療治






 その日。蔵人は、ある祝い事のために家族揃って出かけていた。


 雲ひとつ無い、晴れ渡った昼下がり。

 夏場の割には風が涼しかった、絶好のドライブ日和。


 談笑の飛び交う車内。穏やかな空気。


 ──そんな一時が反転する瞬間は、なんの前触れも無く訪れた。


『なっ──!?』


 赤信号にも拘らず歩道から飛び出した、蔵人よりも幾つか歳下の少年。


 若さゆえの狭い視野。根拠の無い万能感。友人達に対する幼い見栄。

 軽い気持ちの度胸試しだった、と後に当人が供述している、あまりにも浅慮な行動。


『あぶ、なっ』


 運転手だった蔵人の父は必死でハンドルを切り、間一髪少年を避ける。


 逸れた先の対向車線には、法定速度を大きく超えて走る大型トラック。


 ──なす術も無く、二台は正面衝突した。


 鳴り響く轟音。突き抜ける衝撃。

 車体は前半分が完全に潰れ、直視することもはばかられる惨状。


 唯一、後部座席に居た蔵人だけが難を逃れるも、軽傷では済まなかった。


 シートの間に挟まれ、靭帯が断ち切れた右腕。

 ナイフほどもあるガラス片が、深々と突き刺さった右顔。


 二度と光を映せなくなった右目。

 喪われた瞳が最後に視たものは──圧壊に巻き込まれる、両親の姿であった。






 トラックとのサンドイッチになった母さんは、即死だった。


 腰から下が潰れた父さんも、時間の問題だった。


『蔵人……くろ、うど……聞こえて、いるか……?』


 朦朧とする意識を揺さぶる呼びかけ。

 喋る度に血を吐きながら、搾り出すように俺の名を紡ぐ声。


『寝室の、箪笥に……お前の名義で作った、預金通帳がある……』


 痛みと混乱の中で父さんが発する言葉を意味を理解した時、俺は心底憤りを感じた。


 どこまで馬鹿なら気が済むんだ、と。


『数年……大学を、出るくらいまでなら……生活には、困らない筈だ……』


 自分の今際であっても、最期まで口を突くのは他人の心配。

 もっと他に言うべきことなど、いくらでもあっただろうに。


『すまない……お前を、独りに……』


 何故あんたが謝るんだ。

 父さんは少しも悪くないじゃないか。


 いっそ怒鳴りつけてやりたかった。

 けれど俺は、窓を突き破った金属片に喉を押さえられ、息をするのもやっとだった。


 だから。何も言えなかった。


『……そうだ……まだ……言って、なかった、な……』


 ふざけるな、とも。

 心配するな、とも。


 死なないでくれ、とも。


 息の根が薄れて行く父さんに、俺は言葉ひとつかけられなかった。


『十八歳の誕生日……おめで、とう』


 そして。永遠に、何も言えないままとなってしまった。






「かはっ……!!」


 砂上に叩き付けられ、吐血と共に肺の空気を残らず押し出される蔵人。


 一秒、二秒、三秒。

 間延びした時の流れが再び正常となり、浅く息を吸う。


「(……なんだ……まだ……生きてるのか……)」


 不完全な花壁はなかべが僅かに藤孝の勢いを削ぎ、寸前の後退が打点を急所からズラした。

 そんな幸運、或いは悪運によって、蔵人は紙一重で即死を免れていた。


「(つくづく、死神に嫌われてやがる……)」


 全身を暴れ回る激痛。脳震盪によって狂う平衡感覚。

 うめき声ひとつ上げられず大の字に横たわり、チカチカと明滅する視界で晴天を仰ぐ。


「(……毎日毎日、腹が立つほど良い天気だ)」


 あらぬ方へと折れ曲がった右腕と右脚。

 肋骨も十本近く砕け、骨片が体内のあちこちに突き刺さり、異物感を訴えている。


 他にも重度の打撲や内臓破裂など、症状を数え上げれば両手の指では足りないだろう。

 もし病院に担ぎ込まれれば、カルテを作るだけでも大仕事となるような有様。


「(心臓と背骨は無事……あとは左の手脚も、なんとか動く)」


 痛みのあまり、むしろ冴えて行く意識。

 頭を打ったためか情動が上手く働かず、やけに冷静な心境で巡る思考。


「(……両親の最期を思い出せ、か)」


 そんな中、ふと浮かんだのは、昨日破り捨てたルカのメモ。

 図らずもその通り、一番触れたくない過去に触れてしまった現状。


「(酷い荒療治だ。本当にデリカシーが無い)」


 今だからこそ、蔵人は理解する。

 あの一文に篭められた、ルカの真意を。


「(ああ。よ)」


 死に際ですら他人を案じる、掛け値無しのお人好し。

 疎ましく、苛立たしく、忌々しく──誰よりも大切だった人達。


「(俺は)」


 蔵人は、護りたかったのだ。

 愚かで誰よりも優しかった、大嫌いで大好きだった両親を、この世の全ての悪意から。


 ──そして。


「(父さんと母さんが誇ってくれるような人間に、なりたかったんだ)」


 過ぎてしまったことは、もう変えられない。

 盆からこぼれた水は、もう盆の上には返らない。


 けれども。落としてしまった盆を拾うことなら──まだ、出来る。






「手応えあり、やな……づうっ」


 肉魔法によって異常なレベルで膨れ上がった筋肉が、しぼんで行く。


「(少しはセーブしとくべきやったかな……けど、こんな足場やとロクに踏ん張れんし、加減したら避けられとったかも分からん)」


 過ぎた強化の反動による自傷。

 骨と臓器に負ったダメージで膝をつき、苦しげに呻く藤孝。


「(ほんま、モヤシやわ……情けのうて逆に笑えるで……)」


 肉魔法のベースとなる藤孝の肉体は、平均的な成人男性の強度を大きく下回る。

 巡航用に抑えた出力なら兎も角、ベタ踏みで強化を施せば、過負荷に身体を蝕まれる。

 そもそも肉魔法を扱うことに適していない、とすら言えるだろう。


「(やけど……やけども!)」


 しかし、藤孝は満足だった。肉魔法を選んだことに後悔など微塵も無かった。


 生まれつきの虚弱体質で、思い切り外を走り回るなど夢のまた夢だった幼少。

 成長と共に寝込む頻度こそ減ったものの、ただの一度も運動で誰かに勝った経験など無く、いつも歯痒さに苛まれていた日々。


 そんな苦々しい劣等感を払拭させてくれた肉魔法に抱く感情は、最早信奉にすら近い。

 同時に、これを自分に与えてくれたマリアリィのことも、女神の如く慕っている。


「(今回もオレの勝ちや……! このオレが、ステゴロのケンカで……!)」


 四つん這いで息を切らせ、身体のあちこちから疼痛を訴えられながらも湧き立つ歓喜。

 己の勝利を確信した藤孝は、骨ばった拳を握り締め、ほくそ笑む。



「〈花絨毯はなじゅうたん〉」



「ッッ!?」


 故に。周辺一帯が花で覆われて行く光景など完全な想定外で、思わず声を上げかけた。


「仕方……ない」


 軋む身体に鞭打ち振り返れば、咲き誇る花の上を這いずる蔵人の姿。


「思い出して……しまった、からには……仕方ない……」


 ひゅうひゅうと掠れた声で、諦めたように呟き、ワンドと周りの花々を支えに立ち上がる。


「俺は、まだ……終われ、ない」


 およそ戦えるような状態ではない、明らかな死に体。

 けれども見開かれた左目の奥では、威圧感すら覚えるほどの覇気が揺らめいていた。


「仕留め、損なったのは……痛手だった、な」

「こ、のっ」


 咄嗟、藤孝はダメ押しに出るべく足を踏み出すも、動きが鈍い。


 当然と言えば当然。先程の一撃は、本来ならば決戦用。

 一戦につき一度が限界の、勝負を決めるための切り札。後先を考慮した代物ではない。


「お陰で……詰めの、一手が……間に合った」


 震える杖先が、蔵人の足元を突く。


「〈花檻はなおり〉」


 サークルから吸い上げられた膨大な魔力が、空間を充たす。


 根深い花を敷き詰めた土台に形作られて行く、トリカブトと夾竹桃を織り合わせた半径数十メートルの巨大なドーム。


 降り注ぐ陽光を遮り、暗がりへと陥った半円。

 併せて内部に、大量の粉──トリカブトの花粉が舞い始める。


「ッ……ゲホッ、ゲホッ!!」


 植物界最強にして自然界屈指の猛毒を吸い、咳き込む藤孝。

 肺や気管は肉魔法の術式対象外。これを防ぐ手立てを、彼は持たない。


「〈磔花たっか〉」


 その間隙を突き、上下左右から何千本もの草花が藤孝を括る。

 咄嗟に筋力強化で応じるも、蔵人渾身の拘束を振り払える膂力には至らなかった。


「……あと数十秒、あれば……お前の肺は、毒に、浸かる……」


 呼吸を重ねる度、一層と回る毒。

 蔵人本人は、例えば蛍が自らの炎で焼かれていなかったように、花粉を吸っても無害。


 ──だが、それは花魔法の統制下に置かれていれば、という前提条件ありきの話。

 集中を欠いてしまえば、途端に花粉の毒性を御せなくなる。


 ただでさえ扱いの難しい花魔法を小刻みに行使し続けなければならず、瞬く間に目減りして行く刻印の魔力。


 事ここに至って、ようやく状況は五分五分だった。


「(これ以上……別の魔法を、繰り出すだけの余力は……残っていない、か……)」


 花縛はなしばりの要領で己を固定し、辛うじて立ち姿を保っている状態の蔵人。

 体内、体外からの出血もおびただしく、どうにか命を繋いでいる瀬戸際。


 戦闘不能と見なされるまでのタイムリミットは、双方共に、良くて数分。


「お前が毒で、斃れるか……」


 まさしく背水の陣。

 優にグラス一杯分の血を吐きながら、あえて蔵人は笑う。


「俺が先に、くたばるか……」


 蔵人を突き動かすのは、先程までの彼には一切欠落していた、死にもの狂いの精神。


「根競べと、行こうじゃないか……!」

「……上等やわ……気位で敗けたら、男は終いやで……」


 そんな蔵人の言葉を朦朧とし始めた意識の中で聞いていた藤孝もまた気力を振り絞り、虚勢を張って獰猛に笑う。

 男の意地。言ってしまえばそれだけの、しかし当人にとっては譲れぬ矜持のために。


「戸狩藤孝の根性……見さらせや……!!」

「ハッ……耐えられるものなら、耐えてみろ……!!」


 この戦いの最終局面。


「勝つのは、オレや……!!」

「勝つのは、俺だ……!!」


 その堰を切るように、まるで示し合わせたかの如く、二人は異口同音を吼え立てた。






 ──花檻はなおりが展開されてから、四分三十六秒後。

 下院蔵人と戸狩藤孝の継承戦は、決着した。






 勝者は──下院蔵人。





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