10月18日 金銀妖瞳、偽愛に問う






「こうやってキミが訪ねて来るのは、これで二度目だっけ?」

「ええ。この世界の十月四日、ちょうど二週間前」

「マジ? もうそんな経つの? 一日が二十五時間になっても、日々の移ろいはあっという間だねー。まあ、初めてキミに会った時のことは多分百年経っても昨日の出来事みたいにハッキリ思い出……したくはないかな、その度に胃が縮みそう。ぎゅーって」


 楽土ラクド南部に七ヶ所点在する村落のひとつ、麦の村ヴシュケ。

 初戦後の僅か十日間ばかり自身のサークルだったその地に住まう元候補者、恋ヶ窪希里江の家を訪れたルカは、ソファへ気だるそうに寝そべる家主と対面していた。


「あ、お茶が欲しかったらセルフで淹れてね。ついでにボクの分もお願い」

「自分が飲みたいから他人の行動を誘導する。そういうやり口は予め塩梅を弁えておかないと、いずれ周りに人が寄り付かなくなるわよ」

「相変わらず手厳しいなー。しかもド正論。耳が痛くて吐きそう」


 微妙に視線を重ねず、ルカに向けて微笑む希里江。

 三つ編みのルーズサイドテールに結わえたガラス細工のベルが、ちりんと鳴る。


「……今のあなたに扱える魔力では、わたしに愛魔法は届かない。分かってるでしょう」

「んふふふふっ、つまーんない。ルカちゃんがヴシュケここのオトコ達みたいに下心丸出しで媚びてくれたら、すっごく面白いのに」


 言葉とは裏腹、むしろ上機嫌に口の端を吊り上げた希里江が、次いで首を傾げる。


「でー? ルカちゃんってば、何しにボクのところまで来てくれたのかなー?」

「尋ねたいことがあるの。下院蔵人、という人について」

「ふへ? クロたん?」


 きょとん、と縁無し眼鏡の奥で碧眼を丸くする希里江。

 ルカの告げた訪問の目的が、心底意外だった模様。


「そう言えばルカちゃん、カレとの継承戦で棄権しちゃってたよねぇ? なんで? どして? 四十文字以内でイイ感じに理由説明よろ!」

「わたしが下院さんとリンボで会えば、それだけで確実に彼を壊してしまうからよ」

「おお、ジャスト四十! 内容は意味分かんないけど、ハラショー! 国語の先生!」


 独特な称賛と共に打たれる拍手。

 からころ笑った後、希里江は仰向けに体勢を変え、ズレた伊達眼鏡を邪魔っけに外す。


「んふふっ。何の用かと思えば、まさかオトコ絡みなんてね。ああいう神経質で壊れ物を扱うみたいに愛してくれそうなのがタイプだったりするの?」

「生憎その手の流行病とは無縁なの」


 人生のほぼ全てを幽閉されて過ごし、面会相手は一定額の布施を支払った信者に限られていたとは言え、ルカが楽土ラクドを訪れるまでに人間の数は千人近い。


 そしてルカの深覗眼アビスが他人を見つめることは、大雑把な言い方をすればその人物の記憶を追体験する行為に等しい。

 故にこそ、一度として学校にすら通えなかった籠の鳥であったにも拘らず、頭蓋の内に収められた知識量も擬似的な経験値も、常人を遥かに凌ぐ。


 しかしその反面、人々の過去や感情を深く見続け、更には対象の大半が不幸や失敗によって心を病んだ者達であったために精神が老成し過ぎており、年頃の少女らしさは皆無。

 取り分け恋心というものに関しては思春期限定の疾病と解釈しており、自分自身で体験することは生涯無いだろうと判じていた。


「ちぇー、つまんなーい。てか恋バナじゃないなら、ボクがルカちゃんの相談に乗れるコトなんてあんまり無いと思うけどなー」

「わたし以外の視点から見た所感が欲しいの。物事を客観視する最適な手段は、第三者に意見を求めることよ」


 それに、とルカが一旦言葉を区切る。


「真っ当なコミュニケーション能力は、元教師のあなたの方が高いわ」

「……新卒から二年足らずで辞めちゃった職の話を持ち出されてもねー。今のボクは、ただのしがないニートでーす。すねかじり美味しー」


 一瞬だけ表情を曇らせた後、おどけた風に手を振る希里江。

 あまり、そのことに触れられたくないらしい。


「第一、ルカちゃんなら聞かなくてもボクの頭の中身くらい分かるじゃん」

「客観的な視点が欲しいと言ったでしょう。わたしの目に映ったものには、どうしてもわたしの主観が混ざってしまうわ」


 加えて、いかにルカの深覗眼アビスが埒外な性能を有しているとは言え、他人の精神を完全に読み解くには視線を重ねる必要がある。

 初対面の際、と約束した以上、ルカが彼女から掬えるのは表層意識に浮かぶ思考のみ。

 であれば普通に会話を交わした方が、得られる情報量は遥かに多い。


「あなたが抱いた下院さんの印象や心象を、あなたの言葉で聞きたいの。十月十三日に会っていたことは知ってる。あの時はまだ、ここはわたしのサークルだったから」


 そう言って席を立ち、キッチンへと向かうルカ。


 数分後、テーブルに紅茶が置かれると、ようやく希里江はソファから身を起こした。


「……三十分くらい話をしただけだし、参考になるようなこと言えるか微妙だよ?」

「構わないわ」


 ティーカップの縁を指先で撫ぜながら、しばし目を伏せる希里江。

 やがて言葉が纏まったのか、紅茶を半分ほど飲み干し、口を開いた。


「雰囲気がね。訃報を聞く前日の彼に、少し似てたんだ」


 普段の明るく緩やかな語調とは異なる、硬い小声。

 かつて希里江の記憶を見たルカは、それが誰を指す言葉なのか、即座に理解する。


「だからかな。会って早々、思わず魔法を使っちゃった。効かなかったけどさ」


 恋ヶ窪希里江が教師を辞めるに至った出来事。


 新米だったにも拘らず、人手不足という切実な問題に押され担任を受け持ったクラス。

 不慣れながらも業務をこなし、少しずつ自信もつき始めた頃に起きた事件。


「ほら。ボクの虜にしちゃえば、なんて考えるヒマなくなるでしょ?」


 生徒の自殺。原因は家庭環境の不和。日常的な虐待行為も受けていたらしい。

 いち教師の立場でどうこう出来る問題ではなかったと周りからは慰められるも、希里江は深く悔やみ、葛藤の末に教鞭を折った。


「ここ数日、ギルボアまで様子を見に行こうか何度も考えたよ。でもまた、あの時と同じことが起こったらって考えると、怖くてさ」


 目頭を押さえ、眼鏡をかけ直す希里江。

 対するルカは虚空を眺めながら、小さく息を吐いた。


「あなたは、下院さんがいつ死んでもおかしくないと感じたのね」

「仮に今この瞬間、首を吊ってたって聞かされても驚かない。想像したくもないけどね」


 数拍の沈黙を挟み、再度ルカが席を立った。


「ありがとう。とても有意義な時間だったわ」

「……会いに行くの?」

「ええ。でも今日はもう駄目。とても眠いの」


 陽光が差す窓の向こうに視線を向けながら、小さく欠伸を噛み殺すルカ。


 生粋の夜型サイクルな上、深覗眼アビスが取り込む膨大な情報量による脳への負荷を軽減すべく、ルカは一日あたり十八時間から二十時間を寝て過ごす。

 魔法使いの才覚に目覚めたことで脳の演算機能が発達を始めたため、いずれは起きていられる時間も長くなるだろうが、少なくとも数年は先の話である。


「……じゃあ、ボクの代わりにハグとキスをお願い! 異性とのスキンシップはエンドルフィンとかセロトニンの分泌を促してくれるからね!」


 ちろ、と赤い舌先で手の甲を舐め、努めて明るく振る舞う希里江。


 しかしながら、ルカが何の反応も示さず踵を返したことで、やにわに慌て始める。


「あれ? ちょっと、ねえ、ルカちゃん? もしかして本気にした?」


 等間隔のペースで歩いて行くルカを追う希里江。


「おーい、ルカちゃーん? 今のは軽い冗談だよー? てかルカちゃん相手だと、クロたん犯罪者になっちゃうよー? ほら、青少年健全育成条例とかそういうアレでさー」


 注釈するなら、戸籍の無いルカは条例の対象に当て嵌まらない。

 公的に年齢を確認する手段自体が無いのだ。当然と言えば当然だろう。


「──時間を割いてくれたお礼に、ひとつ助言をあげる」


 玄関前で急に足を止めて振り返り、淡々と告げるルカ。

 ぶつかりそうになった希里江はよろめきつつも姿勢を直し、何事かと耳を傾ける。


「特定の男性と交際どころか手を繋いだことも無いのに経験豊富を装っていたら、いざ本命の相手と出会った時に拗れるわよ」


 それじゃあ、と軽く頭を下げ、ルカは帰路に着く。


 小さく音を立て、閉まる扉。

 ぽつんと取り残され、棒立ちで表情を引き攣らせる希里江。


 やがて羞恥で顔を真っ赤に染め、言葉にならない奇声を両手で押さえ付けながらその場にうずくまり、転げ回るのだった。





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