10月15日 楽土継承戦・三回戦






 きっかり十三時。十六人の候補者達の眼前へと現れる、光で織られた術式言語の円陣。


 三回戦の舞台、リンボに続く入り口。

 それを正面に据えた蔵人の心中は、およそ意気軒昂とは言いがたかった。


「(……詰み、かもな)」


 レティシアの機能を使わなければ眠ることも出来ず、明かした一夜。

 朝食も昼食も無理やり胃の中へ押し込み、むかつくような吐き気に抗い、迎えた定刻。


「(億にひとつも、勝てる気がしない)」


 眉間に深くシワを刻みながら、蔵人はワンドを握り締める。


「(奴の術式が持つチカラは、で大方見当がつく)」


 蔵人が思い返すのは、植え付けた愛情と思わせぶりな振る舞いでヴシュケの住民を手玉としていた女、恋ヶ窪希里江。


 愛を操る術式などというものが存在するのであれば、ルカの『怖』が意味するところは十中八九『怖れを操る術式』だろう。


 ──そんな蔵人の推測は、ほぼ完璧に的を射ていた。


 脳の扁桃体を過剰に刺激し、恐怖心を掻き立てる術式。

 延いて、それをサークルから引き出した膨大な魔力で扱えば人間の脳神経など簡単に焼き切ってしまえる、極めて危険な魔法。


「(厄介は厄介だが、無敵と呼ぶには尖り過ぎた代物だ)」


 勿論のこと、欠点もある。


 術式対象が生物の脳髄に限られるため、物理的な攻撃に対する防御の手段を持たず、いざ受け手に回れば脆い。


 つまり怖魔法との戦いは、先手を掴んだ側が大きく優勢を得る道理。

 開始直後に目の前にでも立たれない限り、勝負を投げるのは早計が過ぎる話。


「(魔法の性質だけで勘定すれば、十分に勝算は弾き出せる筈だってのに)」


 にも拘らず、蔵人は自分がルカを降す光景を、勝利へと至るビジョンを、全く想像できなかった。


「(花檻はなおり花壁はなかべで向こうの魔力を遮断……半減が精々だな。僅かにでも怖魔法の影響を受け、大なり小なり恐怖心を植え付けられれば、こっちの動きも魔法の精度も確実に落ちる。そうなったら、あとは真綿の首絞めだ)」


 脳裏にこびりついた極彩の瞳が、一切の思考をネガティブへと貶める。


「(くそっ。どの状況でどう動いても、上手く行くと思えない……!)」


 いくつもの盤面をシミュレートしては、歯噛みする蔵人。


 だが。やがて強張った肩の力を抜き、嘲るように口の端を上げた。


「(……馬鹿馬鹿しい。何を躍起になってるんだ、俺は)」


 どうでもいいとばかりに、思考を断ち切る。


「(憂ささえ晴らせれば、勝ち負けなんて二の次の筈だろ)」


 ここが自分の潮時だった。

 ただそれだけのことだ、と。


「クロード様。いかがなさいましたか」


 円陣の前で立ち止まる蔵人を案じてか、レティシアが声をかける。


「……なんでもない。行って来る」


 肩越しに振り返り、淡々と告げる蔵人。

 そこでふと彼は、初戦前夜にレティシアから尋ねられたことを思い出した。


「(ああ。敗けた後は、どうするか)」


 楽土ラクドに残るか、楽土ラクドを去るか。


「(去ろう)」


 去った後は。


「(どこか静かな、当分は誰にも見付からない場所を探そう)」


 そして。


「(今度こそ──死ぬとしよう)」






 円陣に踏み入り、肉体と精神を切り離され、リンボへと降り立った蔵人が最初に感じたのは、潮の匂いと波の音だった。


「(海が近いな)」


 ゆっくり開かれた左目に映り込んだのは、整然と立ち並ぶレンガ造りの建物。


 人里。それも街。

 けれど見知らぬ景色。ギルボアでもイベリスでもない。


「(……ルーダンか)」


 漁港を擁する楽土ラクド第三の街。

 複製されたフィールドとは言え、よりにもよって対戦相手のホームグラウンド。


「(舗装路じゃ花が根付きにくい。大技は難しいな)」


 ローマン・コンクリート製の大通りを見渡した後、杖先で足元を突く。


「(潮風のせいか、使えそうな植物も乏しい)」


 全方位へと拡散させた魔力が術式対象である草花に反応を示すも、密度が薄い。

 懐や袖口に仕込んだ花の種以外で蔵人の武器となり得るものは、ほとんど無かった。


「(いよいよ運にも見放されたか。マリアリィの奴が本当にランダムでリンボの環境を設定しているなら、の話だが)」


 ともあれ少しでも有利な地形に移るべく、蔵人は駆け出す。

 敗けることが本能的に分かっていても、大人しく脳を焼かれる気は、毛頭無かった。






 舗装されていない路地に入り、種を蒔き、周りの壁や塀に茎葉を伸ばし、自身を小さな花檻で囲い、待ちの態勢を整える蔵人。


 十数秒に一度、リンボ全域の草花に微量ずつ魔法を行使し、魔力探知を行う。


 に気付いたのは、五分が過ぎた頃だった。


「(あの女……どこに居る……?)」


 全魔力を掌握下に置いたサークルの外であることに加え、花の数も少ない。

 故に魔力探知の精度は、お世辞にも高いとは言えない状態。


 それでも多少の気配や、そこに居た痕跡などは掴める。


 だと言うのに。五分経っても蔵人は未だ、ルカの魔力を微塵も感じ取れなかった。


 そして。蔵人が予想だにしなかった形で、状況が動きを見せる。


〔──やあ、クロード。聞こえているかな?〕


 突如、頭に直接響き渡る、マリアリィの声。

 蔵人は眉をひそめつつ、魔力探知に意識を傾けたまま、静かに口を開く。


「何の用だ。継承戦の最中だぞ」

〔ごめんごめん。けどキミに、その継承戦のことで重要な伝達事項があるんだ〕


 重要な話なら、事前に伝えておけ。

 そんな苦言を胸中にて吐き捨て、続く言葉を待つ蔵人。


 だが。マリアリィが告げた伝達事項とやらを理解するまでに、随分と長い時を要した。






〔たった今、ルカが棄権したよ〕





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