10月14日 浄・慧・法
真っ直ぐ蔵人を絡め取った、不自然に色鮮やかな
いくつも歳下の小柄な少女を相手に、まさしく蛇に睨まれた蛙も同然の心地。
希里江が述べた会えば分かるという言葉の意味を、蔵人は理屈や道理の一切を差っ引いた、本能的な部分で理解させられていた。
「(なんだ)」
手も足も、息の根さえも凍った数秒を経て、ぎこちなく呼気と吸気を再開させる蔵人。
努めて意識を巡らせなければ、それすら滞ってしまいそうだった。
「(なんなんだ、こいつは)」
視線を重ねているだけで、この有様。
──異端。
尋常な規格の斜め上にズレた、およそ真っ当な物差しでは測りがたい異物。
目の前の少女は、少なくとも蔵人には、そうとしか評しようが無い存在だった。
「ひっ……」
蛍もまたルカの異常性を感じ取ったのか、一歩二歩と退きながらも銃口を突きつける。
対するルカは、ただ緩やかに視線を動かし、鷹揚と蛍を見返す。
「そんなに怯えないで。何もしないから」
双方を隔てる、概ね二十歩分の距離。
おもむろに一歩踏み出したルカが、二人との間合いを詰め始めた。
「わたしは、あなたのパパやママとは違う」
「…………は……?」
極彩の瞳が蛍を捉えたまま、遠くを眺める時のように細められる。
まるで、心の奥底を見透かそうとするかの如く。
「痛いことも、怖いことも、酷いこともしない。逃げなくていいの」
一語を紡ぎ終える都度、ルカは静かな足取りで一歩を刻む。
「移り住む先々で誰かを傷付けて、傷付けられて。いつの間にか、そういう生き方しか出来なくなってしまったのね」
「て、めぇ……なんで……何を……」
「あなたは、ただ愛されたかっただけなのに」
「ッッ……黙れ! 黙れ黙れ黙れぇッ!!」
悲鳴にも似た、張り詰めた怒声。
得体の知れぬ恐怖心を激情が塗り潰し、ルカ目掛け火球を撃ち放つ蛍。
だが。七つの炎弾は全てあらぬ方へと飛び、やがて火勢を失い、掻き消えた。
「そんなに心を波立たせたら、杖の支えを受けていても、まともに魔法なんか使えない」
そう呟くルカの左腕に巻かれた鉄条網が、小さく軋む。
「落ち着いて。本当に、あなた達に危害を加える気は無いの」
「あ……う、ぐ……ッ」
何をしたのか。何をされたのか。魔法を使ったのか。使っていないのか。
息を詰まらせ、アックスピストルを取り落とした蛍が、崩れ落ちるように膝をつく。
ひとつ吐息を挟んだ後、ルカは再び蔵人へと焦点を戻し、また一歩、距離を詰めた。
「四、三、五、九、一、零、零……」
淡々と口ずさまれる、意味するところの定かでない数字。
不規則なリズムで、しかし着々と縮まって行く間合い。
「ッ……!!」
半ば放心状態だった蔵人。
我へと返った時、ルカは既に、手を伸ばせば触れられるほど傍まで近付いていた。
「(動け、ない)」
周囲の空気が、重く全身へと纏わり付く。
勿論それは蔵人自身が作り出した幻覚に過ぎないけれど、故にこそ指一本動かせない。
そんな自縄自縛に陥った蔵人を見上げ、ゆらゆらと揺らめく瞳。
「可哀想な人」
そっと、ルカが囁く。
「(……まさ、か)」
互いの目に、互いの顔が映り込むほど間近となったことで、蔵人は直感する。
「受けた痛みが大き過ぎて、自分を見失ってしまったのね」
「(こいつ、まさか……!!)」
ルカの瞳は、文字通り他者の内側を見通しているのだ、と。
「……いいえ。あなたも本当は、とっくに分かっているんでしょう」
小声で発されているにも拘らず、鼓膜の奥まで沁み渡る口舌。
ひと言ひと言が蔵人の神経を揺さぶり、心の奥底へと突き刺さる。
「どれだけ周りに牙を立てたところで、あなたの痛みは微塵も和らがない」
「(見るな)」
何かを叫ぼうにも、蔵人の喉笛は張り付いたように動かない。
魔法で攻撃を仕掛けようにも、蔵人の思考は千々に乱れ、
「むしろ。そうするほどに、あなたの痛みは増す一方」
「(その目で、俺を見るな……ッ!!)」
緩んだ拳の隙間から、ぽろぽろと薔薇の種がこぼれ落ちて行く。
「だって、あなたは──」
下院蔵人という男の確信に迫る言葉をルカが紡ぐ寸前、金属を叩く高音が響き渡り、それを遮る。
刹那。二人の間を、燃え盛る火炎が奔り抜けた。
「──やめろ」
アックスピストルで床を打ち付け、火花から炎の壁を作り出した蛍。
未だ顔色は悪く、頬に冷や汗を伝わせながらも、彼女はルカを睨み付けた。
「やめてやれ」
そう言い放たれたルカは暫し目を伏せた後、自省と共に、かぶりを振った。
「……ごめんなさい。赤の他人が軽々しく触れていい傷では、なかったわね」
次いで踵を返し、塔の縁際へと向かって歩く。
「さようなら。また後日」
そして──何の躊躇いも無く、高さ百メートル近い螺旋の塔から、飛び降りた。
ルカが立ち去ったことで、深海のようだった重圧が掻き消えた屋上。
解けた緊張に堰き止められていた疲労感が、どっと二人にのしかかる。
「…………」
物言わず、身じろぎもせず、俯いたまま立ち尽くす蔵人。
アックスピストルの刃先を引きずった蛍が、おずおずと声をかける。
「お、おい……」
一度目と二度目は、完全な無反応。
三度目でようやく、蔵人は顔を上げた。
「……お前の仕事は片付いた。契約終了だ、もう帰っていいぞ」
ひどく投げやりな語調。
流石に今の状況でそれを素直に頷けるほど、蛍も無神経ではない。
「一人にさせてくれ」
だが、続けてそのように請われてしまっては、蛍にはもう何も出来ない。
無理に食い下がったところで、どうすればいいのか、蛍には分からない。
「ッ……」
いたたまれなくなった蛍は、もと来た階段を下り、去って行く。
そうして最後に一人屋上へと残った蔵人は、夜遅く、蛍から所在を聞いたレティシアが迎えに来るまで、ずっとそこから動けずにいた。
「くそったれが……」
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