10月15日 深淵を覗く瞳






 異空間リンボが模した複製品ではない、明瞭と楽土ラクドに実在するオリジナルのルーダン。


 その海岸にて、蔵人との交信を終えたマリアリィが、再三の確認を投げかける。


「一応聞かせてもらうけど、考え直す気は」

「くどいわ」


 砂浜の波打ち際に裸足で立ち、絶えず緩やかに吹く潮風を浴びながら、海原の彼方──常人の視覚では見ることが出来ない楽土ラクドを眺めていたルカが、短く返す。


「今からでも取り消して貰えると、すごく嬉しいんだけど」

「わたしに蔵人かれと戦えと? あれ以上、彼を傷付けろと言うの?」


 振り返り、極彩色の瞳でマリアリィを捉え、非難の眼差しを送るルカ。


「何故、彼を候補者に選んだの。何故、継承の儀なんかに巻き込んだの」

「……珍しく怒ってるね」


 にも拘らず、わざわざ詰問するあたり、よほど腹に据えかねている模様。


 けれどマリアリィにも、ひとまずの言い分があった。


「確かに私はクロードを勧誘したけど、最終的に参加を決めたのは彼自身……なんて言うのは、ちょっと卑怯か」


 伏せるように視線を逸らしながら、マリアリィは思い出す。

 当人達にとっては、ほんの二十日前。地球では既に数ヶ月前の出来事となる、あの日。

 幽鬼が如く虚ろな足取りで夜道を歩いていた、蔵人の姿を。


「私がクロードを見付けた時、彼の目には何も映っていなかった。怒りも悲しみも、何ひとつね。絶望が深過ぎて、そういう情動を抱くことさえ出来なくなっていたんだ」


 実を言えば、あの時のマリアリィは蔵人の勧誘を躊躇っていたし、彼が候補者になることを引き受けてくれるとも思っていなかった。

 当時の蔵人は、到底自分の意思で何かを決められるような精神状態ではなかった。


 しかし、結局マリアリィは蔵人に声をかけ、その胡散臭い勧誘に投げやりな了承を返した彼を急き立てるように楽土ラクドへと連れ帰った。


「六十三人目のスカウトに難航していた焦りからの行動でもあったことは、否定しない」


 リンボの創造やサークルの移譲などを行うには、超長文かつ複雑な術式が求められ、当然のことながら事前準備に膨大な時間を要する。


 その上、無理を重ねて作り上げた術式の耐用寿命は、楽土ラクドの暦で一年ちょうど。


 マリアリィが術式を稼働させたのは、新暦百年一月一日零時きっかり。

 そこから述べ三百五十日以内、つまりは新暦百年十月三十五日二十四時五十九分五十九秒までに全行程を完了させなければ、継承の儀は不完全なまま終わってしまう。

 

 そしてマリアリィには──もう一度術式を作り直せるだけの余命が、残っていない。


「私の都合に付き合わせる形になってしまったことも、クロードからすれば私の行為は余計な手出しだったことも、百も承知さ」


 けれど。目を離せば次の瞬間には死んでしまいそうな、実際に自らを終わらせる道行の途中だった蔵人を放っておけなかったこともまた、純然たる事実。


「どうにかしたかった。兎に角どうにかしてあげたかったんだ」

「その軽はずみな行動の結果が今の彼よ。痛々しくて見るに堪えないわ」

「……返す言葉も無い。ちょうど完成したばかりだった魔造メイド壱號レティシアをあてがっていなければ、食事すらまともに摂ってくれていたかどうか……」


 継承戦という目先の道標を示されたことで、蔵人は生きる気力を湧かせるどころか、辛うじて残っていたすらも削ぎ落とされた。

 命を絶つ機会を奪われ、家族の死による自暴自棄だけが残り、常々抱えていた周囲の人間に対する強い憤りを拠り所とし、他者を痛め付ければ心が晴れるという結論に至った。


 ──頭のどこかでは、そんな行為を重ねたところで余計に苦しみを募らせるだけだと、とっくに分かっていながらも。






 ひとつ、深い溜息を挟んだ後、ふとマリアリィが呟いた。


「にしても、相変わらず素晴らしい目だね」


 一瞥を注いだだけで、記憶も思考も感情も、全てを読み取ってしまう瞳。

 他者の明暗をありのまま浮かび上がらせ、映し出す鏡。


 故に、己の内面に弱さや後ろめたさを色濃く抱えた者がルカと視線を重ねれば、それだけで彼女を怪物と錯覚し、射すくめられる。

 自身に対する負の意識が、そのままルカに対する負の意識へと変換されるのだ。


「仏教の浄眼じょうげん慧眼えげん法眼ほうげん、だったかな?」


 物事の真実を見抜く浄眼。

 この世の真理を悟る慧眼。

 諸法の実相を見極める法眼。


 ルカの双眸は、それらの複合と呼ぶべき特性を赤子の頃から備えていた。

 あと千年早く生まれていれば、国家単位の人間達から神と崇められたか、或いは悪魔として排斥されただろう、あまりにも特異なチカラだった。


「厳密には全く違うわ。あの時は、わたしが知る中で最も近い存在を挙げただけ」

「だろうね。キミの目は地域や時代によって様々な呼称を持つけど、魔法使いの間では主に『深覗眼アビス』と呼ばれるものだ」


 通常、人間の目には視認した対象の表面しか映らない。

 けれど深覗眼アビスは、その名が示す通り内面的な深い部分まで見通し、つまびらかとする。


 箱を開けずとも中身を理解し、空気の流れに温度湿度、赤外線や電磁波などといった不可視の事象をも察知する。

 とどのつまりは視覚的な洞察力、観察力を窮極に発達させた異能。人類が進化の過程で喪ってしまった六番目の識覚、との説を唱える者も居る。


 魔法使いの歴史に於いては、手動術式を励起させる際に逐一と打ち込まなければならない周辺情報の観測に極めて有用であるとして、太古から重宝されてきた代物。


「私も近いものを持っているよ。まあキミと比べたら月とスッポンだけどね。これでも結構苦労して手に入れたのにさ」


 深覗眼アビスは七日に一度、特殊な眼球運動と自己暗示を七時間かけて行い、それを最短でも七年以上繰り返すことで後天的な獲得が可能。

 ただし異能を宿すまでの期間は体質や環境による差異が非常に大きく、マリアリィの場合は十八年と九ヶ月を要した。


 加えて、先天的に備えた深覗眼アビスを宝石に例えるならば、後天的に獲得したものは精々がイミテーション。双方の性能差は比べるにも値しない。

 と言うより、呼び名が同じだけの類似品に過ぎず、根源的には別物。


 しかしながら、脳が発する微弱な電磁波を読み取り、知識と経験則で解析し、目の前に居る人間の表層意識を察する程度であれば、贋作の目でも問題無く行える。

 それによってマリアリィは魔法使いの適性を持つ者達と簡単な会話を交わすことで大まかな思想を見分け、スカウト対象の選別を行っていた。


楽土ラクドを地球から切り離して間もない頃、フランスの田舎町で真作の深覗眼アビスが産まれる瞬間を観測したことはあるけど、実物に直接会うのは初めてだ。ましてや他人の過去や深層意識まで読み取れるほど強力なものなんて聞いたこともない」


 だが真に驚くべきは、このような異能を持ちながらも一切呑まれず、平然と正気を留めているルカ自身の並外れた精神力。

 僅か十五歳の少女とは信じがたい、まるで悟りを開いた僧侶の如し泰然自若。


「……他の子達には申し訳ないけど、私は十中八九キミが勝ち残ると思っていたし、その予想通りキミに勝ち残って欲しかったよ。ルカ」


 ルカの十倍以上の歳月を生き、百年間に亘って楽土ラクドを統治し、時の速度差が存在する地球で流れた六百年余りを観測し続けたマリアリィをして、前例の無い存在。


「きっとキミなら、を……」

「どうかしらね。わたしは誰かの母親でも、都合の良い神様でもないもの」


 マリアリィに背を向け、足先を波で遊ばせるルカ。

 やがて、またひとつ。深い溜息が、潮風に溶けて行った。






「ルカ。キミはこれから、どうするつもり?」


 野暮ったいフードを上着ごと脱いだマリアリィが、なんとはなし問いかける。


「私としては、残ってくれると嬉しいよ」


 継承戦を脱落した者が辿る道は二択。

 楽土ラクドに残るか、地球に帰るか。


 もっともルカの返答は、改めて聞かずともマリアリィには予想がついていた。


「分かっているでしょう。この継承の儀がどんな形で終わるにせよ、わたしの存在は次の楽土ラクドの宗主にとって邪魔なだけよ」


 敗れたなら、黙して去る。

 ルカが最初から決めていたことだった。


 ──けれど。


「すぐに帰る気は無いわ」

「え?」


 当初とは少しだけ、事情が変わった。


「正直、彼を勝ち残らせるべきではなかった。でも、リンボという精神が剥き出しの空間でわたしと会えば、彼は確実に壊れてしまった」


 何より。


「彼の心が叫んでいた。継承戦に敗けたら、すぐにでも死ぬつもりだって」

「……そっか」


 楽土ラクドで過ごすうち、時が蔵人の傷を埋め立ててくれれば、と淡い希望を抱いていたマリアリィだが、やはり簡単には運んでくれないらしい。


「彼を勝ち残らせる以外の、問題を先送りにする以外の選択肢を見出せなかったわたしには、その行く末を見守る義務があると考えているわ」


 だから、それまでは楽土ラクドに残る。

 そう言葉を締め括ったルカに、マリアリィが小首を傾げさせた。


「随分と献身的だね。何故キミがそこまでするんだい?」

「妙なことを聞くのね」


 再びマリアリィを振り返ったルカが深覗眼アビスを揺らめかせ、訝しげに眉根を寄せる。


「目の前でうずくまっている人が居たなら、手を差しのべてあげたいと思うのは。血を流す傷口にハンカチを当ててあげたいと思うのは、そんなにおかしいことかしら」


 淡々と意を告げるルカに、マリアリィは暫し唖然とし……次いで、ふっと笑った。


「やっぱりキミは、分かりにくいようで、とても分かりやすい子だよ」





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