10月14日 嵐前






 がしゃん、と耳障りな音がテーブルの上で鳴り渡る。


「ッ……てぇな、クソが……!」


 乱暴な所作でソーサーに戻したため、真っ二つに割れてしまったティーカップ。

 鋭利な断面に指先を切り付けられた蛍が、顔をしかめさせる。


「手当てしてやれ」

「かしこまりました」


 指示を受け、薬箱を取りに向かうレティシア。

 鮮血滴る指を見下ろす蛍の対面に座る蔵人は、小さく鼻を鳴らした。


「いい加減に鬱陶しい。昨日から何を苛立ってる」

「……別に、なんでもねーよ」


 行儀悪く頬杖をつき、ぶっきらぼうに返す蛍。

 明らかに、なんでもないで押し通すのは無理がある態度。


「(そんなにが気に食わなかったのか)」


 ヴシュケまで赴き、希里江を訪ねて以降、終始この調子。

 一夜明けても、未だ虫の居所が悪い。


 しかし蔵人には、その理由が今ひとつ分からなかった。


 何せ希里江と交わした会話など、櫻ルカについての質問以外、ほぼ雑談のみ。

 顔を突き合わせた時間自体、淹れた紅茶が冷めきる間も無い程度。


 強いて心当たりを挙げるなら、珍妙な渾名で呼ばれたことくらい。

 だが、いくら蛍が短気な性分でも、それだけでこうなるとは流石に考え辛かった。


「そうか」


 とは言え、蔵人に蛍の不機嫌を深掘りするほどの関心は無い。

 カップを割られたのは迷惑だが、どうせ家財道具一式はマリアリィが用意したもの。

 目の前で暴れ始めたりでもしない限り、肚具合の良し悪しなど至極どうでも良かった。


「…………ッ」


 そんな最中。ふと蔵人が、白い本のページをめくっていた手を止める。


 異変と呼ぶには短い、ほんの数拍の静止。

 やがて本を閉じた蔵人は、傍らに立てかけたワンドを取り、腰を上げた。


「お前の止血が済んだら外に出る。ついて来い」

「あ? あーあー、はいはい、りょーかいしましたよー」






 レティシアに留守を任せ、代わりに蛍を伴い、街を歩く蔵人。


「こんにちはカイン様! お散歩ですか?」

「……ああ」


 その道中、すれ違う市民のいくらかが、挨拶がてら声をかけて来る。

 人嫌いの蔵人は薄く渋面を作りながらも、面倒臭そうに短く言葉を返して行く。


「(次期統治者候補という立場を考えれば仕方ないにしろ、この世界中に顔と名前が割れてるってのは厄介だな)」


 蔵人が楽土ラクドの地を踏み、そろそろ三週間近く経つ。

 継承戦の名簿に残る候補者は既に当初の四半分まで減った上、顔の包帯や服装などから人混みでも目立つ蔵人の存在は、本拠地のギルボアに於いて順調に周知されつつあった。


「お、カイン様! ちょうど焼き上がったところですよ、一本いかがです?」

「腹は減ってない」

「まあまあ、遠慮なさらず! 持ってって下さい!」


 また、言ってしまえば余所者であるにも拘らず、無愛想で口数少ない蔵人へと向けられる感情の大半は、驚くほど好意的だった。


 マリアリィが選んだ、次代の宗主の候補者。

 ただそれだけの理由で、あっさりと受け容れられていた。


「お前が食え」

「焼き鳥かよ……アタシあんま肉とか魚とか好きじゃねーんだけど……」


 ちなみに『カイン・クロード』という収まりの良い字面と音の響きからか、苗字カインの方を蔵人の名だと思っている者が相当数居たりする。

 蔵人自身も逐一訂正などしないため、なんなら誤解した側の方が多いくらいであった。






「あー! アメのお兄ちゃんと恥ずかしいお姉ちゃんだー!」


 大通りの広場に出た頃合、ギルボアが誇る悪童三兄妹と遭遇した二人。

 駆け寄って来る幼子達の姿に、蛍が顔を歪めた。


「出たなクソガキども。誰が恥ずかしいお姉ちゃんだ」

「ねーねー、魔法やってー!」

「魔法見たーい! ルー様がやってたみたいなやつー!」

「人の話はちゃんと聞けってパパとママに教わってねーのか?」


 蛍の苦言など気にも留めず、魔法魔法と騒ぐ子供達。

 そのうち他の通行人達にも注目され始め、期待するような空気が生まれて行く。


「……チッ。いっぺんだけだぞ」

「「「わーい!」」」


 半ば雰囲気に押される形で、アックスピストルの銃口を頭上に向けた蛍。


 引き金を絞ると同時、ハンマー先端の火打石フリントが火花を散らす。

 それを術式によって性質変化させた魔力で数千倍にも火力を増幅させ、五つの火球として擊ち出し──上空で、それぞれを花火のように弾けさせた。


「(……俺と戦った時より、遥かに習熟したな)」


 炎色反応を操ることで鮮やかなグラデーションを作り上げる火の粉。

 周りから拍手や歓声が鳴り渡る中、蔵人は内心で舌を巻き、次いで蛍のへそ下に位置する刻印へと視線を流す。


 刺青とは似て非なる質感の細かな模様。

 その面積自体は初戦後と大差無いが、格段に色合いが濃くなっており、二度リンボに行った今の蔵人と比べてすら、未だ魔力蓄積量は上回っている。


 ほとんど異常と呼ぶべき拡張速度。

 かつてマリアリィが評した通りの、魔法使いとしての飛び抜けた才能。

 まだ術式の扱いに慣れていなかった初戦での衝突でなければ、蔵人の勝率は限りなくゼロに等しかっただろうギフテッド。


「恥ずかしいお姉ちゃんすごーい!」

「大人だけど胸小さいのにすごーい!」

「いちいちカンに障ること言わねーと気が済まねーのか、てめぇら」


 そう言いつつも賞賛そのものに悪い気はしないのか、険しかった表情を和らげる蛍。

 満足したらしく、嵐の如く走り去る悪童達の背中を見送った後、後ろ腰のホルスターにアックスピストルを収めた。


「ったく、どんな躾されて育ったんだ」

「さあな」


 目を伏せた蔵人が、杖先で足元を擦る。


「……行くぞ」

「うぇ? あ、ちょ、待てよオイ!」






 具体的な目的地も告げず、ほぼ会話も無いまま歩き続けること四半刻余り。

 蛍が文句を垂れ流し始めた頃、ようやく足を止めた蔵人が、眼前を仰ぐ。


「……ここか」


 螺旋の塔。

 新暦九十三年に竣工した、高さ九十九メートルを誇る楽土ラクド最大の建築物。


 同時に、元々ギルボアがサークルだった蔵人や蛍は勿論のこと、全ての候補者が楽土ラクドで最初に訪れた場所。

 この世界と地球とを繋ぐ、唯一の出入り口。


「散々歩かせた挙句、こんなトコに何の用があるってんだ」

「さあな。俺が知りたいくらいだ」

「はぁ?」


 蛍の質問に対する返答もそこそこ、塔内部へと踏み入る蔵人。

 屋上まで続く完全に均一な螺旋階段へと足をかけ、壁面にびっしり刻まれた術式言語をなぞりながら上って行く。


「(これが両世界を繋ぐ術式……改めて見直すと途方もない文量だ。書き記す作業だけでも一体何年かかるやら)」

「のーぼーんーのーかーよー。ったく、雇われは辛いぜ……」


 不承不承、後に続く蛍。

 そんな愚痴を聞き流し、一段ずつ石段を踏み締めながら、蔵人は昨日の希里江の言葉を思い出していた。






『ボクの愛魔法ってさ、出力アクセルベタ踏みなら人一人の脳神経くらい焼き切れちゃう割と危険な代物なの。魔力の変換効率があんまり良くないから、サークルを失くした今となってはそこまで出来ないけど』


『まあ、だから結構自信あったんだー。どんな奴、どんな魔法が相手でも勝てる的な』


『けどさ。を見た瞬間、何もかも根こそぎヘシ折られちゃった』


『飛び降りたら絶対死ぬ高さって、下を覗き込んだらなんとなく分かるじゃない? 天敵に遭遇した野生動物とか、ああいう気分を味わってるのかもねー』


『クロたんも会えば分かると思うよ。ルカちゃん、継承戦の前日には相手のところまで挨拶に行ってるみたいだし』






 長い階段を終え、蔵人と蛍の視界が開ける。


 囲いどころか手すりも無い、高所恐怖症の人間なら居るだけで足がすくむだろう屋上。


 ──その端。半歩踏み出せば塔の根元まで真っ逆さまの縁際に、は立っていた。


「四、八、一、五、九、二、三、六、零、零、零……」


 艶やかな薄氷色アイスブルーのウェーブがかった長い髪を風になびかせ、街を見下ろし、ぽつぽつと何かの数字を口ずさむ少女。

 左腕には厳つい鉄条網が巻かれており、明らかに異質な存在であるそれを杖だと推察するのは、あまりにも容易かった。


「ッ……」


 奇妙な悪寒と、指先の強張りを感じながら、蔵人が口を開く。


「櫻ルカだな」

「そう。わたしがルカ。あなたは、下院さんね」


 蔵人に背を向けたまま、来ることは分かっていたとばかりに頷く少女──櫻ルカ。


「マリアリィからは夜型と聞いていたが」

「早起きしたわ。三つの街を行き来する乗合馬車は日中しか運行していないし、空間転移装置も他人のサークルには繋げられないもの。第一、夜中に訪ねるなんて非常識でしょう?」


 くあ、と言葉尻に紛れる欠伸の音。


「俺のサークルまで何をしに来た」

「リンボで会う前に、対戦相手あなたの顔を直接見ておきたかったの」

「そんなことのためだけにわざわざ危険を冒すのか。軽々しく他人のサークルに踏み入る馬鹿が、どこぞの破廉恥女以外にも居たとは驚きだ」

「おい蔵人! それまさかアタシのこと言ってんじゃねーだろーな!?」


 声を荒げて蔵人に噛みつきつつ、しかし視線も意識もルカを捉えたまま離さず、アックスピストルの柄を掴んだ蛍。


 反してルカは、悠々と風を浴びるばかり。

 少なくとも現時点において、蔵人達を脅威と感じているそぶりは微塵も窺えない。


 己がチカラを数パーセントも振るえぬ敵陣の只中であるにも拘らず、ごく自然体。

 故にこそ、一層不気味だった。


「……顔を見に来たなら、こっちを向いたらどうだ」


 いつでも攻撃に移れるよう薔薇の種を手中に握り込み、蔵人が告げる。


「ええ。そうさせて貰うわ」


 はためく髪を耳に引っ掛け、ゆっくりと振り返るルカ。


 マリアリィから聞き及んでいた年齢相応な、幼さの残る顔立ち。

 けれど同時に、蔵人や蛍が今までの人生で見た誰よりも美しい、魔性めいた美貌。


 顔も身体も完璧な均整を保った、完全な左右対称。

 唯一非対称だったのは、左右で色調の全く異なる、極彩の瞳。


 虹彩に曼荼羅図の如しが宿った双眸。

 その眼差しに見据えられた瞬間──蔵人は、冷え切った手で心臓を鷲掴まれたような錯覚に襲われるのだった。





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